台湾民主政治の「想定外」と「情報公開」-呉淑珍総統夫人緊急入院によせて-
【台北/台湾 15日 AFP】汚職と文書偽造容疑で起訴された陳水扁(Chen Shui-bian)総統の呉淑珍(Wu Shu-chen)夫人の初公判が15日、台北地方法院(地裁)で開かれたが、休憩時間中に夫人が失神し、公判は中断された。呉夫人は、政府の公費から約1480万台湾ドル(約5300万円)を私的に不正流用したとして、横領罪に問われている。写真は同日、病院に搬送される呉夫人(地元テレビ局映像)。(c)AFP/TTV

写真下は、2000年総統選挙で、半世紀あまり続いた国民党一党支配を破り、平和的な選挙で政権交代を果たし、緊張の面持ちで最初の記者会見に臨む民進党幹部の面々。前列左から林義雄民進党主席=当時、呉淑珍総統夫人、陳水扁総統、呂秀蓮副総統。中列左の女性がこのほど高雄市長に当選した陳菊、一人おいて台北市長選挙で善戦した謝長廷の姿も見える。
12月15日台北地方法院で行われた総統府機密費流用疑惑の初公判で、出廷した呉淑珍総統夫人ら被告4人は、いずれも自身への疑惑を否定した。午前中の審理を終えたところで、呉夫人の体調が急激に悪化。急きょ台大病院に移送され、緊急入院する事態となった。したがって、午後の公判は夫人抜きで、残りの被告だけで行われた。夫人の容体は回復に向かっており、陳水扁総統は、「容体が回復しだい、出廷させる」と話している。
とまれ、夫人の起訴にも驚かされたが、初公判途中での入院という事態にも驚かされた。しかも台湾ではこれらはすべて公開され、テレビ中継されていたのだ。
だが、この程度で驚いていたら台湾政治のダイナミズムにはついていけない。龍眼の場合、2004年春の総統選挙では陳総統銃撃事件に驚かされ、翌日の陳総統再選で予想をすっかり裏切られた。ところが今度は、同年12月の立法委員選挙で民進党が大敗。再び
予想を裏切られている。
周知のように、台北・高雄市長選挙は、台北市は国民党の郝龍斌候補が当選。高雄市は民進党の陳菊候補がわずか1,114票の僅差で辛勝し、「一勝一敗」の結果となった。高雄の民進党勝利、台北での謝長廷候補の予想以上の善戦は、ともに「想定外」の事態。地元マスコミ各社の世論調査や予測とも異なった結果であった。陳水扁ファミリー(第一家庭)の腐敗ぶりには愛想をつかしていた有権者も、民進党そのものは見捨てていなかったということか…。
台湾政治を見る場合、ほとんど規制のない選挙運動、絶妙のタイミングで相手陣営のスキャンダルを流す情報工作。そして、「国家元首」であろうと財界の巨頭だろうと容赦しない徹底した裁判情報の公開など、日本では考えられないダイナミックな展開がある。
龍眼のたび重なる予想の狂いは、日本の感覚で台湾政治を分析したことだ。台湾では投票日の前日や当日になっても、思いがけない事件や情報操作によって投票に迷っていた有権者の票(中間選票)が怒濤をうって一方から他方へと動くことがある。こうした「作為」を、「ずるい」とか「卑怯」と言ってみても、勝てば官軍であろう。
各陣営はありとあらゆる権謀術策を使い、相手候補から容赦なく票を奪う。醜聞、事件、なんでもあり。土曜日の夕方4時に投票箱が封印されるまで、いやそれ以後も、熾烈な戦いがくりひろげられる。今回の当落も、日本語媒体が報じなかった舞台裏を知ってしまうと、後味の悪さだけが残るのだが…。
◆台北・高雄選挙の舞台裏
台北・高雄市長、市議会議員選挙が終わりすでに半月以上経つが、いまだに後味がわるい思いをしている。本ブログで「台北も高雄も国民党候補の圧勝に終わるだろう」と予測したこともあるが、投票日前日に陳水扁総統がおこなった「高雄で国民党陣営が選挙違反をやっている」という趣旨の記者会見が、じつに曲者なのだ。
台湾は選挙運動の規制が少なく、選挙戦が公示された後にもさまざまなスキャンダルがマスコミを賑わし、それが選挙結果を左右する。日本のマスコミなら揃って報道を自制し、選挙後に摘発されるような事件も、選挙運動中に次々と明るみに出る。あらゆる情報が公開されるのは台湾民主主義のいいところ。不正や選挙違反に対する審判を、一票にこめることができ、選挙後に後悔することはないだろう。
だが、いくらなんでも投票日前日になって、「国家元首」たる陳総統ともあろう人が、テレビカメラの居並ぶ記者会見で、「高雄の国民党陣営が不正をやった」と流したら、影響はあまりにも大きい。かりに事実だとしても、党利党略という批判を受けても仕方ないだろう。しかも。結果はわずか千百票余りの僅差で決まった。この時に流された情報が、投票に迷っていた中道票(中間選票)の行方を決めたとしても不思議はない。
思い出したのは、2004年台湾総統選挙投票前日に起こった陳総統、呂秀蓮副総統に対する銃撃事件だ。陳総統らを乗せたオープンカーを先頭とする車隊が台南の中華路三段でカーブを曲がったところで、待ち構えていた二人の中年男が放った改造拳銃の弾丸が、フロントガラスを突き抜け、陳総統のお腹と、呂副総統の膝に当たった。二人とも軽傷ですんだが、陳総統は隣町の奇美病院で緊急手術。マスコミの報道は、陳総統の安否を気づかうニュース一色となり、相手陣営はなすすべが無くなった。
その日の晩に予定されていた数十万人規模の総決起集会は双方とも中止。しかし、選管は予定通り翌日に投票を行うと宣言した。その結果が僅差での陳総統、呂副総統の再選となったことは周知のとおりである。
龍眼はこのとき、勝利に沸く民進党のステージにも、思いがけない敗戦に打ちひしがれた連戦、宋楚瑜陣営のステージにも馳せ参じたが、勝った方の支持者たちの表情にも4年前の革命が起こったような解放感はなく、気が抜けたような安堵感が漂っていた。いっぽう、敗れた野党陣営には、落胆とともに、怒気がみなぎっていたのである。
それから一カ月あまり。総統府前のケタガラン通りでは、野党陣営が数万人を動員。連日連夜の抗議集会が続いた。野党陣営は、無効票が前回に比べて異常に多かったこと、投票用紙の規格が地区によって不揃いのうえ、予備の投票用紙が使用されるなど、選挙管理に不正とみられる現象があったこと、銃撃事件で、野党支持者が多い軍人や警察官が動員され、投票の機会を失ったことなどを挙げ、裁判所に陳総統当選無効の訴えを起こした。
それだけではない。投票日前日の銃撃事件にも、不自然なことが多々見られた。陳総統を狙った改造拳銃はモデルガンを改造した台湾製で、陳総統のシャツの脇かちポロリと見つかった弾丸は、いちじるしく殺傷能力に欠けていたことが判明した。弾道は陳総統のお腹の皮下脂肪を横一文字に通過し、大事にはいたらなかったのだ。呂副総統もオープンカーのフロントガラスを突き破った流れ弾に当たり、膝頭にかすり傷を負っただけだ。
台南の警察の対応にも不自然な点が多い。現場封鎖が遅れ、犯人をみすみす取り逃がしている。現場検証も野次馬を排除せずにおこなわれ、肝心な薬莢は警察車両が動いた真下から、野次馬が発見するというお粗末さだ。
国民党が主張する陳総統自身の自作自演説を採るわけではないが、妙に後味が悪い。台湾では選挙賭博が横行しているため、多額の借金を抱え、陳総統の当選で大儲けしたという台南の民進党市議会議員にも疑いの目が向けられた。警察の捜査は難航し、一年近く経って犯人どされたのは、遺書も無く自殺した男。遺族に告白したというのが唯一の証拠だが、その遺族が故人は犯人ではなかったと警察に再捜査を要求している。
つまり、陳総統らに対する銃撃事件は、いまだに解明されていないのだ。
民進党は党外(非合法勢力)時代から、「選挙上手」と言われる。
台湾社会に網の目のように張りめぐらされた国民党一党独裁を相手に闘ううえで、マスコミを利用した情報戦略は不可欠だった。日本の野党とは異なり、いったん権力をとれば、権力資源の回収にもぬかりがなく、抜け目がなかった。
だが、いつまでも手品のようなことをやっていれば、いつかは有権者に見放される。
今は「冬眠モード」に入っている施明德元民進党主席らの「倒扁運動」が数十万人という大きな盛り上がりを見せた(本ブログ「赤シャツ軍団は陳総統を引きずり下ろせるか」シリーズ参照)のも、国民党、民進党いずれの利権にもつながらない都市中間層のなかに、政権の腐敗に敏感で、かつ中国との統一や台湾独立にこだわらない、新しい世代が台頭してきたことを示している。
彼らが最も嫌うのは、権力の腐敗、堕落である。
その意味で、台北市長選挙の終盤に露顕した馬英九台北市長(国民党主席)の首長特別費不正疑惑も、いただけなかった。
馬市長は、「行政院の規定に沿っている。運用の便宜でやったことで、問題はない。職員が他人の領收書を使ったことは、監督不行き届きで国民にお詫びするが、これを汚職というのなら、他の首長たちや民進党の四天皇(呂秀蓮、蘇貞昌、謝長廷、游錫●(方+方+土)の4人)も、みんな同じ問題がある」と、まくし立てた。
実際、首長特別費問題は、馬台北市長の問題が発覚する以前から、基隆市の許財利市長(国民党)にもあり、基隆市では国民党が分裂。国民党改革連線が倒扁運動とも連動して市長罷免要求を行っている。
また台南地検は、同様の疑惑で許添財台南市長、許陽明前台南市長(ともに民進党)の事情聴取を始めており、首長特別費の問題は、与野党の名だたる政治家に飛び火する可能性が出てきた。捜査当局がなにを不正、違法と捉えているのか注目されるところだ。
台北、高雄両市長選挙では、ご多分に洩れず選挙賭博の摘発も始まっている。07年暮れの次期立法委員選挙、そして繰り上げ同日選挙の可能性が取り沙汰され始めた次期総統選挙。政界の腐敗を取り除いておくことは、台湾にとって、大いにいいことだ。
◆うごめく過去の政治家
台北、高雄市長選挙は、過去二たび陳水扁と総統などの座を争った宋楚瑜親民党主席を政界引退に追い込んだ。もっとも、引退とはいっても親民党は解散しないらしいから、今後は、李登輝前総統と台湾団結連盟(台湾原理派、急進独立派政党)との関係のようになるのだろう。慰留の声もあるというが、宋楚瑜が引退しても、政治的人物であることは疑いをいれない。
じつはその李登輝前総統が、心臓病という爆弾をかかえながらも活発に動いている。倒扁運動の全盛期には、ポスト陳総統構想として、総統に昇格する呂秀蓮のもとで、王金平立法院長を副総統に充てる中道政権構想を描いていた。
そもそも李登輝政権のもとで、まず国民党外省人派が離党して「新党」を作った。そして李登輝が後継者に連戦を指名したことで、最有力候補だった宋楚瑜は国民党を出て総統選挙に出馬。惜敗後に「親民党」を組織した。その李登輝本人も、総統選挙敗戦の責任問題で国民党を追放され、いまは国民党李登輝派と台湾建国独立連盟関係者を糾合した台湾原理派(急進独立派)政党、「台連」の精神的領袖。李登輝のもとで国民党は三たび分裂した。いま李登輝が画策しているのは、国民党の第四次分裂。つまり、国民党の解体である。
そしてまもなく終焉を迎えるであろう陳水扁政権にかわる、第三勢力の糾合をめざす。自らはその黒幕として、台湾政界で影響力を発揮したいのだ。
その李登輝も台北・高雄市長選挙後はいくぶん軌道修正してきた。台北市長選挙で善戦した謝長廷を次期総統候補に擁立し、王金平立法院長を副総統候補にする方向で、連戦ら国民党長老や、国民党本地派(本省人派)にさかんに秋波を送っている。
馬英九国民党主席が自らの市長特別費問題でつまずき、高雄市長選挙で思いがけない敗戦にいたった間隙をつき、馬英九に不満を抱く国民党本地派や、民進党に揺さぶりをかけているのだ。李登輝は老いてもなお見事と言うしかない。
もっとも、陳総統はそうはさせじと動いているし、蘇貞昌、馬英九ら与野党指導者は、李登輝らの暗躍を阻止するということでは、完全に利害が一致している。そしてこれに、公萬(ウィークリー・マンション)で蟄居し、いまは「冬眠」(死んだふり)を決め込んでいる施明德らの倒扁運動が絡む。やがては「引退」した宋楚瑜も、政局に絡んで動くのであろう。
◆東アジアの民主化と情報公開
台北・高雄市長選挙後の台湾政局は、呉淑珍夫人らが起訴された総統府機密費問題であり、裁判所が中心舞台となる。憲法上の規定から起訴を免れた陳総統ではあるが、夫人が有罪と確定すれば、公約どおり辞任しなければならない。だから夫人らの裁判は、「世紀の審判」と位置づけられるのだ。
その夫人らの初公判でびっくりしたのが、裁判所の情報公開の徹底ぶり。裁判の過程はマスコミに公開され、審理の様子は傍聴席だけではなく、廷外のロビーに据えられたスクリーンに大写しにされる。それだけではない。夫人らの『起訴状』は、裁判所のホームページなどで、48ページ全文がウェブ上で読めるのだ。
PDFを開いてみると、「国家元首」夫人である呉淑珍夫人の年齢、住所、ID番号から、容疑事実、事件のあらまし、さらに起訴を免れた関係人物の氏名まで、いっさいが包み隠さず、公開されている。
敗戦とともに頂戴した『押しつけ憲法』のもとで民主制度を享受しているはずの日本とは異なり、台湾、韓国、香港など遅れて発展した東アジア諸国、地域では、血で血を贖う歴史を経て、ようやくの思いで民主制度を築いてきた。台湾の陳水扁政権の揺らぎ、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の不人気は、それが必ずしも成熟したものではなく、また、磐石の政治的基盤を持っているわけではないことを如実に物語っている。
だが、つねづね日本の官庁、司法の情報公開の閉鎖性に取材を邪魔されている龍眼としては、かれらの民主主義のほうが、日本のそれよりも遥かにまっとうに見えるのだ。
安倍政権のもと、防衛庁の防衛省昇格、教育基本法の改悪など、軍事化、国家主義化を邁進するわがニッポン。対抗勢力を欠くまま、右旋回まっしぐら。
それにひきかえ、政権も野党もダイナミックに民主を享受しはじめた台湾など、東アジア諸国、諸地域の民主政治。ハラハラさせるような波乱含みだか、今後も目が離せない。
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登録日:2006年 12月 20日 20:55:48
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- プロフィール
- 龍眼
- (男)
- 本名和仁廉夫。 ジャーナリスト。高校、予備校の教壇生活を経て現職。1990年代から香港問題に関わり、マカオ、台湾、中国、華僑華人世界の持つ多様な観点を紹介してきた。著書に、『旅行ガイドにないアジアを歩く・香港』(梨の木舎)、『香港返還狂騒曲』、『歴史教科書とアジア』、『東アジア・交錯するナショナリズム』(社会評論社)など。自称の「龍眼」とは、中国南部で広く食されるライチに似た果物。淡い茶褐色で、食味はジューシィ。そもそも「龍」とは、中華世界の幻の神獣。「龍眼」はその「龍の眼」に由来している。
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