美女の中華人類学・その壱-「一挙三方得」の中国モデル業界-

<第14回中国国際ファッション・ウィーク>水着の新作発表 - 中国

【北京/中国 1日 AFP】北京で開催されている第14回「中国国際ファション・ウィーク(China International Fashion Week)」で1日、現地のデザイナーが手掛けた新作が発表された。写真は、様々なデザインの水着を披露するモデル。(c)AFP

AFPBB News


さっそうと歩くビキニ姿の中国人モデルたち。男たちはその布地の小ささに驚き、女たちは女性たちの美しさに目を奪われる。
「これが社会主義中国か?」
このところ中国では大規模なモデル・コンテストやファッションショーが目白押し。
週末ともなれば、テレビでもミスコンやモデル・コンテストを中継している。テレビ中継が成立するということは、有力なスポンサーがあり、高い視聴率が期待できるということだ。
そんな中国モデル事情を紹介したい。

◆私が出会った中華圏のモデルたち

モデルは中国語では「模特」、台湾では「模兒尼」と書く。

私が最初に中華圏のモデルに遭遇したのは、2003年夏の台北で開かれた「マルチメディアショー」の会場だった。おりしも非典型肺炎SARSの感染指定地域から解除された矢先。会場の世界貿易センターには、ほっとした表情を浮かべる老若男女で満員だった。
ステージでは、アップテンポの音楽に乗り、露出度の大きな原色のシャツをまとい、ホットパンツ姿のモデルたちが、宣材のノートパソコンやデジカメを器用に持ちながら、華麗なウォーキングを展開していた。黒山の人だかりはほとんど動かない。男たちはモデルを凝視して、興奮していた。

次に出会ったのが、2004年夏のマカオタワーでのこと。マカオ行政長官選挙が終わり、再選なったエドモンド・ホー長官の会見取材を終えて階下におりると、地下のショッピング・アーケッドが、何やら騒々しい。
「なんだなんだ」とエスカレーター伝いに階下におりると、中央のステージでは、日本製のビデオカメラを持ったセクシーなモデルたちが、音楽に合わせ、ステージを闊歩していた。
聴衆が少なかったせいか、広東語で目線やポーズをお願いすると、注文通りのポーズをとってくれた。地元の事情通によると、彼女たちはマカオの女性ではなく、香港から来たモデルさんだったようだ。

その香港では、日本人男性のモデルに邂逅したこともある。コーズウェイベイにあるバックパッカー向きの安宿で、深夜ロビーのソファーでまどろんでいると、二人組の日本人男性のチェックインを流暢な広東語でてきぱきと世話している青年の声に目を覚まされた。青年に、「広東語がお上手ですねぇ」と声をかけると、青年は、「香港でモデルをしています」と答えた。広東語はガールフレンドから教わったという。羨ましいことに、香港の日本人モデルはモテモテだったのだ。今では中国大陸での仕事も多いらしく、青年は「今は中国語を勉強しています」と意気軒昂だった。

◆百花繚乱の中国モデルコンテスト

中国のモデルを語るうえで欠かせないのが、自ら「ニューシルクロード・モデルコンテスト」を主催している新絲路模特経紀公司だろう。同社は中国におけるモデル事務所の草分け的存在で、欧米のモデル・マネジメントに学び、モデルの発掘、養成から、さまざまなステージまで、中国を代表するモデル事務所に成長した。

1989年からほぼ毎年行われている「ニューシルクロード・モデルコンテスト」は既に10回以上を数え、国内大会のほか、広東省の南方電視台と提携した「南方ニューシルクロード・モデルコンテスト」などの大規模な地方大会、さらに世界各国の代表と競い合う世界大会を毎年中国国内で催している。

その「ニューシルクロード・モデルコンテスト」の2005年世界大会に出場した日本代表は、宿舎のホテルから、巡業先に向かう移動のロケバスの中で、中国代表の一人が、デジカメで、盛んに「自画撮り」をして、どのような角度で、どのような表情をとると、いちばん写真写りがいいか、「決め」の表情を研究している姿を目撃し、舌をまいてしまった。
実際、中国人モデルのウォーキング、ポージングは堂々としており、キマッテいるのだ。

モデルコンテストは、テレビ局の看板番組にもなっている。

広州テレビ局の「美在花城」(美は広州に在りモデルコンテスト)は、「ニューシルクロードモデルコンテスト」に先行する1988年に始まった。「ニューシルクロード」のような厳しい身長制限がないため、毎年、中国全土からお嬢様系、カワイイ系の美少女が集まるということで、たいへんな人気があり、昨年で13回目を数えた。

毎回、5~6月に募集を開始し、全国の提携テレビ局に設けた分賽区(地区大会)と、地元広州で初賽(面接)、複賽(二次選考)に勝ち上がった少女たちを集め、8~9月に催される準決賽(準決勝大会)、11~12月に行われる総決賽(決勝大会)まで、その美貌と、才智、才芸を競い合う。才芸審査の出し物も、民族舞踊、京劇のヒトコマ、モダンバレエ、ラテンダンス、インド舞踊、歌唱など。いずれも玄人はだしで、日本ではままある瞬間芸や宴会芸はまったく通用しない。日頃、練習に練習を重ねた成果がステージで披露されるのだ。

北京の中国中央電視台(CCTV)も負けてはいない。今年で7回目となる「CCTVモデルテレビコンテスト」は、全国の放送局が地区大会(分賽区)を催す大がかりなモデルコンテストだ。応募者数で見れば、その規模は中国最大、いや世界最大だろう。

地区大会では、応募者を「面試」(面接)、「複賽」(二次予選)でふるいにかけ、勝ち上がった「選手」たちで、盛大に「準決賽」「決賽」(地区大会準決勝、決勝大会)を行い、この段階から、地元ではテレビ中継される。この地区大会の「冠名公司」(メインスポンサー)になるために、地元企業が競って莫大な資金を投入するというから、驚きだ。「冠名公司」は、企業名やブランド名をコンテストの名称に組み込むことができ、その宣伝効果は抜群。たとえば、AFPが「冠名公司」になるとすると、「AFP杯CCTV模特電視大賽地方分賽区」と呼ばれることになる。

この地区大会を勝ち上がってきた選手たちが北京の中央電視台に集まり、こんどは全国大会を行う。これも一回こっきりの番組で終わるのではなく、「男模第一場」(男性モデル第一ステージ)、「女模第四場」(女性モデル第四ステージ)などと、数回に分けて、数日間にわたる選抜のステージが組まれるから、それだけ話題が持続することになる。なにしろ全国大会には、中国各地の地元「選手」が出場している。おらが代表がどこまで勝ち進むかに一喜一憂する心情は、甲子園野球の応援に似た心情かもしれない。

◆美女経済の行方

中国語では、トップモデルのことを「名模」という。

「名模」と評価されるためには、全国的なモデルコンテストで、優勝するなり、上位に入選して、認められる必要がある。こうしたキャリアの積み重ねが「名模」の地位を固める。

一回あたりのステージでの出演報酬も、全国的なモデルコンテストの「三后」(冠軍、季軍、亞軍、つまり優勝・準優勝)クラスで、8千~1万5千元(12万~22万5千円)、「十佳」と呼ばれる上位10位以内で、5千~8千元(7万5千~12万円)、「二十佳」とよばれる20位以内で3千~5千元(4万5千~7万5千円)、その他のエントリー選手クラスで、1500~3千元(22,500~4万五千円)だという。もっとも、これはモデル事務所に所属している場合で、「野模」と呼ばれるフリーランスのモデルの場合は、1回あたり80元(1200円)の場合もあるというから、モデル稼業も大変だ。

モデルの活動領域も格段に広がっている。

それでも、右肩上がりの経済成長がつづく中国では、都市部を中心に、高価な商品に手が届く中間層が厚みをまし、「汽車模特」(自動車モデル)、「房屋模特」(住宅モデル)など、モデルの活動領域は広がるばかりだ。
珠海サーキットでカーレースの国内大会を取材したおり、パラソルを持った「賽車女郎」「香車女郎」(レースクィーン)が大勢活躍していたのに驚かされた。50元(750円)の「パドック・パス」一枚で、彼女たちの美しさを間近に堪能できるから、ちょっぴり得をした気分になった。大きな都市の「商場」(ショッピングセンター)や、有名レストランの入り口にも、「形象小姐」(イメージガール)のたすきを掛けた可憐な少女が立っているのを見かけることもある。とある都市では、市の「形象小姐」として、公務員待遇で迎えられた事例もある。

大学進学率の上昇も背景に

この10年あまりの間に、中国では大学などの高等教育に進学する青年がほぼ倍増した。いまや大学を卒業したからといって、ただちに就職が決まる時代ではなくなった。

東京で中国人タレントやモデルを手がけてきた芸能事務所、「中華藝能」の呉敏暁社長は、「中国では大学3年ともなると、女子大生の目の色が変わってくる。中国のコンテストは、本人たちにとって、遊びではない」と強調する。

中国エンターテイメント界の最高学府ともいうべき北京電影学院に留学した経験を持つ『関西華文時報』発行人の黒瀬道子社長も、「保守的といわれる中国だけど、モデルや女優になるつもりの女子大生たちは、本当にエレガントでファッショナブルだった」と強調する。さらに、「中国では求人票に、『容姿端麗』、『身長170センチ以上』、などの条件がつく場合が少なくない」。「中国で外国人と接する機会の多い職場には、なぜか美女ばかりだった」と自身の留学経験を振り返る。

中国では、美貌も社会的ステイタスとして、肯定的に受け止められているのだ。

テレビ局などモデルコンテストの主催者、スポンサー企業、そして応募者それぞれの立場のすべてに利益のある「一挙三方得」の中国美女ブーム。今後ますます発展することはあっても、当分の間は廃れないと見ている。なぜなら、そこには市場と商機があるからだ。

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登録日:2006年 04月 15日 07:28:09

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プロフィール
龍眼
(男)
本名和仁廉夫。 ジャーナリスト。高校、予備校の教壇生活を経て現職。1990年代から香港問題に関わり、マカオ、台湾、中国、華僑華人世界の持つ多様な観点を紹介してきた。著書に、『旅行ガイドにないアジアを歩く・香港』(梨の木舎)、『香港返還狂騒曲』、『歴史教科書とアジア』、『東アジア・交錯するナショナリズム』(社会評論社)など。自称の「龍眼」とは、中国南部で広く食されるライチに似た果物。淡い茶褐色で、食味はジューシィ。そもそも「龍」とは、中華世界の幻の神獣。「龍眼」はその「龍の眼」に由来している。
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