変わらぬ祝日、棄てられる祝日、つくられる祝日-祝日の背後にある政治的思惑-

中国民主党、天安門事件の犠牲者を追悼 - 香港

【香港 5日 AFP】死者の霊を慰める中国の清明節(Ching Ming festival)に当たる5日、民主党(Pro-Democracy party)が、1989年6月4日の天安門(Tiananmen Square)事件の犠牲者を追悼する式典を開催した。同事件では、中国政府が抗議行動の鎮圧に戦車や兵士を投入、数百人から数千人の死者を出した。写真は犠牲者を弔って花を手向ける党員。(c)AFP/TED ALJIBE

AFPBB News


きょう5月3日は憲法記念日。1946年には東京裁判が開廷した日でもある。
そこで、祝日がらみの話題ということで、「AFP-BBニュース」の写真ストックから、中華世界で普遍的な清明節(4月5日)の写真を探し出してきた。
清明節は、台湾では「民族掃墓節」と言い換えるが、わかりやすくいえば、春分の日。
中華世界では、線香や花を持った人々が一斉に帰郷し、民族大移動がおこる。こういう伝統的な祝日は、時代や価値観の変化にもたえ、生き残るのだろう。
ところが各国・地域の祝日には、その時々の政権などの思惑で、棄てられる祝日、つくられる祝日もある。最近の香港と日本を例に、さらに検討を進めてみよう。

◆天安門事件犠牲者追悼をめぐる誤解

写真には、「天安門事件の犠牲者を追悼する」というキャプションがついているが、清明節は決して民主活動家だけのものではない。また、中国の民主化運動は1989年の第二次天安門事件だけに矮小化できない。そもそも、天安門事件犠牲者を個別に追悼するなら、毎年ビクトリア公園に数万人を集めて開催される6月4日のキャンドル集会がある。だから、このキャプションは正確ではない。
さらに写真の標題は、「中国民主党(Pro Democracy Party)」となっている。ところが、実際に写っている人々の半分以上は、香港の民主活動家。例えば、前から三番目の人物は、工盟(香港基督教工業委員会)の李卓人立法会議員。一番後ろの白髪頭の老人も、香港でよく顔が知られた民主活動家のひとりだ。
同じテーマの別の写真には、(香港)民主党(The Democratic Party)の何俊仁(アルバート・ホー)副主席(立法会議員、弁護士)の姿もあった。その後ろには、独立民主派、四五行動の古思堯や、民主派の小党、街坊工友服務処の梁躍忠立法会議員の姿もある。このほかにも、既に解散した台湾統一派系の一二三民主同盟の活動家の姿も見える。
かりにこの追悼行動に中国民主党の活動家が含まれていたとしても、香港の民主派は寄り合い所帯。ひとり(中国)民主党に限定するのは、明らかに間違いだ。
正確には、「花輪を献ずる中国・香港の民主活動家の人々」とすべきだろう。

写真の撮影場所は、九龍半島の最南端、尖沙咀(チムサァチョイ)の旧九港鉄道九龍駅の時計塔付近。かつては中国大陸への直通列車がここから出発していた。
ちなみにこの時計塔、1941年12月に日本軍が香港を攻撃した時の弾痕が蜂の巣状にびっしりと残るなど、ながく歴史の風雪にたえてきた。現在は香港政府によりきれいに修復され、周辺は公園化が進められている。
花輪の後ろに見える建物は香港文化センター。視野を広げれば、右手にはビクトリア湾、左手にはオーシャン・ターミナル(海洋埠頭)が見えるはずだ。カメラマンの背後には、九龍と香港を結ぶスター・フェリーの船着き場もある。
  
◆対日配慮で消えた香港の祝日

さて、祝日の話題に戻そう。
写真の舞台となった香港の場合、法律で定められている祝日は、新暦正月(2日間)、春節(旧正月の3日間)、2月12日の元宵節(新年最初の十五夜の満月)、4月5日の清明節(春のお彼岸)、4月14日から4日間続くイースター(キリスト教の復活祭)、5月1日の労働節(メーデー)、5月5日の仏誕節(旧暦4月8日、ブッダの誕生日、花祭り)、そして5月31日の端午節(日本でいう「子どもの日」)と続く。
そして、7月1日の香港特別行政区成立記念日(香港返還記念日)を経て、9月7日の中秋節翌日(中秋節はモンゴルから漢民族を解放した反乱の記念日に由来。月餅を食べる)、9月30日の重陽節(秋のお彼岸)、10月1日の国慶節(中国の建国記念日、2日間)、最後に12月25日の聖誕節(クリスマス、2日間)にいたる。
このように香港には、年間合計13日、通算21日間のパブリック・ホリデーがある。
このうち、香港回帰(香港返還)後新たに祝日になったのが7月1日の香港回帰記念日と、5月5日のお釈迦様の誕生日。イギリス植民地時代、香港政庁はキリスト教の祝日には熱心だったが、仏教の祝日を無視してきた。香港の祖国回帰にあたり、政局を安定させるために、伝統的な仏教界にも配慮したのだ。
代わりに犠牲となったのが、8月最終月曜日の重光記念日(抗日戦争勝利記念日)。
戦後、日本軍政からイギリス軍に権力が移行したのが8月末だったことに由来するが、返還後の香港政府は、民主派の反対を押し切り、この日を祝日から外してしまった。
なにしろビジネス優先の香港。対日配慮もちらつく。
もっとも、学生にとっては夏休みのまっ最中で、痛くもかゆくもなかった。

◆「の」のつく日は、戦前の国家行事に由来

ひるがえって、わが日本の祝日はどうか?
近代日本の祝日は、1月1日の元旦、2月11日の紀元節、11月3日の天長節という、「三大節行事」に始まる。戦前の学校では、この退屈な儀式に我慢すれば、紅白饅頭の「下賜」もあり、早く放課にもなるので、この日を心待ちにしている子どもも少なくなかった。
大正に入り、11月3日を明治節として残したため、一つ増えて四大節行事となった。このほかにも、国家神道と民間の年中行事を結合させたいくつかの祝日があった。
戦後、国是は「国家主義」から「民主主義」に変わったが、戦前の四大節行事など、天皇制国家行事に由来する祝日は、いまもその名称を変えて復活している。
たとえば4月29日の天長節。名前は「天皇誕生日」と変わり、昭和天皇逝去後は、「みどりの日」。さらに来年からは「昭和の日」と、名前も意味もコロコロ変わった。
11月3日の天長節、明治節も、戦後は「文化の日」として今日にいたる。「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律第178号)によると、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とあるが、明治天皇がなぜ、「自由」「平和」「文化」とつながるのか、私にはうまく説明できない。11月23日の「勤労感謝の日」も、戦前の「新嘗祭」の読み替え。つまり、農耕民族の収穫祭で、天皇代替わりの翌年だけは、とくに「大嘗祭」といった。昭和の終焉を経験した人ならは、あのおどろおどろしい儀式を、今も覚えているだろう。
「海の日」も明治天皇の東北巡幸に由来する。明治天皇が青森から函館を経由して横浜港に無事帰着したのが1876年7月20日。おりしも、自由民権運動が広がりをみせはじめ、陸路では不穏な情勢下にあった。戦前には「海の記念日」として、太平洋戦争開戦直前の1941年7月20日に制定されている。ルーツは戦時体制にはじまっていたのだ。
もっとも、祝日法の改正で、いつのまにか「7月第3月曜日」という、わけのわからない日が休日になった。祝日の意味をまじめに考える人は少ないし、休みが増えること自体に多くの人々は反対しないからだ。
そもそも、地上の時間や祝日を定めるのは、天上の神から地上の王が負託された、すぐれて権力的な行為だ。祝日の制定にこだわるのは、政治的野心のある輩である。
そして、前述したように、戦後の国民の祝日のうち「の」の日の多くは、天皇制国家行事に由来する。なにしろ日本人は天皇が大好き。明治節(文化の日)はもとより、昭和節(昭和の日)もついに復活を果たした。ならばいっそのこと、神武天皇から今上天皇まで、歴代天皇すべての誕生日を祝日にしてはいかがだろうか。全部調べたわけではないが、かりにダブりがあったとしても、年間百日ぐらいは確実に休日が増える。そして、今後も増え続けるだろうから、年間労働時間の短縮、さらに休日拡大による消費拡大、景気浮揚。さらに実労時間の減少による労働力の絶対的不足を補うための雇用促進と、実にいいことづくめではないか?

◆国民の祝日にGHQの亡霊

ところで、日本の国民の祝日に東京裁判の記念日が数多く含まれていることを、ご存じだろうか。
たとえば天皇誕生日だった1946年の4月29日には、連合国がA級戦犯28名を起訴している。そして、同年5月3日に東京裁判は開廷した。翌年の同じ日に日本国憲法は施行されているが、制定した日は明治節(文化の日)の11月3日。そして、裁判開始の翌々年の1948年の11月12日、A級戦犯に対する判決が言い渡された。奇しくもこの日は、1990年に現在の天皇が即位の礼をとりおこなった日と一致する。
そして、のちに天皇誕生日となる1948年12月23日に東条英機らA級戦犯7名の処刑が行われた。
少しだけタネ明かしをすると、憲法施行を「2月11日(紀元節)にしたい」という吉田茂の提案は、マッカーサーが拒絶して、5月3日になったとか。つまり、憲法よりも東京裁判のほうが先だった。また、A級戦犯処刑の日が12月23日なのは、GHQがあらかじめ皇太子の誕生日を知っていて、わざわざこの日を選んだのだとか。侵略戦争の犯罪性を後世の日本人に繰り返し思い起こしてもらうための仕掛けでもあったのだ。
このようにGHQは、あらゆる意味で天皇制を利用していた。

ところで、5月3日を、「リカちゃん記念日」だなんて言っているのは、どこのだれだっけ?

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登録日:2006年 05月 03日 23:06:40

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プロフィール
龍眼
(男)
本名和仁廉夫。 ジャーナリスト。高校、予備校の教壇生活を経て現職。1990年代から香港問題に関わり、マカオ、台湾、中国、華僑華人世界の持つ多様な観点を紹介してきた。著書に、『旅行ガイドにないアジアを歩く・香港』(梨の木舎)、『香港返還狂騒曲』、『歴史教科書とアジア』、『東アジア・交錯するナショナリズム』(社会評論社)など。自称の「龍眼」とは、中国南部で広く食されるライチに似た果物。淡い茶褐色で、食味はジューシィ。そもそも「龍」とは、中華世界の幻の神獣。「龍眼」はその「龍の眼」に由来している。
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