迷走する陳水扁政権-苦悶する2期目の4年間-
【台北/台湾 30日 AFP】台湾の陳水扁(Chen Shui-bian)総統の娘婿が、同国を揺るがすインサイダー取引容疑で身柄を拘束された。写真は30日、国会の外で陳総統の退陣を求め抗議スローガンを叫ぶ市民。(c)AFP/Sam YEH
台湾では「黒金」とよばれる政治家と暴力団の癒着、カネをめぐる不祥事は日常茶飯事。ついでに言うと、立法院(国会)での与野党入り乱れての乱闘もあたりまえの風景。台湾びいきの人は、「民主化なった台湾」などと喧伝するが、その内実はかなり危うい。
2000年3月のミレニアム総統選挙で、半世紀にわたった国民党一党独裁を破り、劇的な政権交代を果たした陳水扁総統。政権掌握後、与党民主進歩党(民進党)にもつぎつきと「黒金」疑惑が発覚。ついに陳総統の愛娘、陳幸妤さんの夫で台湾大学病院の医師趙建銘氏がインサイダー取引の疑惑で逮捕された。疑惑は呉淑珍総統夫人にもむけられており、陳総統への支持率はわずかに9%(TVBSテレビの最新の世論調査)というありさま。民進党政権は、政権掌握以来最大の危機を迎えている。
(写真)2004年12月の立法委員選挙では、民進党など与党連合が伸び悩み、過半数を取れなかった。思いがけない敗戦に、いつまでも姿を現さない陳水扁総統(党主席=当時)ら党幹部。業を煮やして泣き崩れる老婆に、台湾メディアのカメラが殺到した。(民進党開票本部で)。
◆そもそも2年前の総統選挙から奇怪しかった
今思えば、このような事態を迎えることは、2年前の春から、予測できたようにも思える。
2004年の台湾総統選挙。再選をめざしていた陳水扁総統、呂秀蓮副総統(民進党)に、野党陣営の連戦、宋楚瑜コンビが挑んだ選挙だったが、各種世論調査では、互角とはいえ、つねに野党陣営が与党陣営を少し上回る支持率で推移していた。
陳水扁政権成立後、これまで好調を持続してきた台湾経済が不況に突入した。また、与党の民進党にもさまざまな「黒金」疑惑が噴出するようになった。民衆の生活をかえりみず、いつまでも「狼少年」のように中国の脅威を振りかざし、軍事に傾斜するだけの陳水扁政権。民心はしだいに離れていった。不況が続くなか、製造業の大陸移転で、台湾経済も空洞化が進んでいる。取り残された人々は、日々の暮らしに希望がもてなくなった。
だから2004年春の台湾総統選挙は、前回の総統選挙が経験した「革命」が起こったような華やいだ人々の熱狂は、どこにもなかったのだ。わが龍眼が現地で見たものは、政権による挑発で、政治的に無理やり台湾人の「認同」(エスニック・アイデンティティ)を分裂させられ、相互に憎しみを募らせる人々のあさましい姿だった。
民進党が政権をとったのは、台湾を分裂させるためだったのか?
それでも陳総統が2004年総統選挙で薄氷の勝利を得ることができたのは、投票前日に台南市内で起きた銃撃事件抜きには考えられない。
「陳総統、呂副総統が撃たれた!」というニュースは、選挙のお祭り気分を一気に吹き飛ばしてしまった。与野党は選挙運動を自粛、投票前夜恒例の総決起集会も中止が決まった。テレビは陳総統らが治療を受けた奇美病院から、総統らの安否を気づかう支持者たちの動きや、銃撃前後の遊説の映像を繰り返していた。野党陣営はなすすべもなく、呆然とした表情で陳総統らへのお見舞いの言葉を述べている。台湾じゅうが二人の安否を心配し、沈鬱な雰囲気に包まれるなか、夜が明け、投票日の朝がやってきた。
わが龍眼は、それまでの一週間、台湾を時計まわりに鉄道で周遊しながら、各地で選挙情勢を取材していた。銃撃事件が起きたのは高雄から台北に戻る途中。携帯に台北在住の友人から急報があったが、特急はすでに新竹駅を通過していた。
いまさら戻る気もせず、この日は台北のホテルで悶々とテレビの画面にかじりついて過ごした。
「こんなことまでありか。もう台湾取材はいやだ」。内心、そう思った。
それでも、投票は予定通り行われた。沈鬱な雰囲気のなか、人々は押し黙ったまま、次々と投票所に姿をみせた。通夜のような雰囲気の中、次々と投票用紙が投ずる人々。街角のあちこちで、顔をしかめてヒソヒソ話をするおばさんたち。
こんな異常な選挙を取材したのは初めてだった。
せっかちな台湾の選挙はいつも土曜日の午後4時に締め切られる。明るいうちから即日開票が始まったが、午後7時すぎまでは、いくぶん野党陣営が優勢だった。ところが暗くなるにつれて形勢が逆転。その後は与党優位のまま開票は進み、選挙委員会は、陳水扁総統、呂秀蓮副総統の再選を宣言した。野党との差は僅かに0.02%強。
のちに投票用紙の規格が不揃いであったことや、予備の投票用紙をめぐる替え玉投票の疑惑など、選挙管理をめぐる数々の疑惑も噴出した。(詳しくは、楊富美著『2004年台湾総統選挙の不正を告発する』日本僑報社刊)。だがこれもあとのまつり。
前日の総統銃撃事件についても疑問の声があがった。現場検証で、警察車輛の立ち去った場所から、犯人のものと見られる薬莢が見つかったこと。総統の遊説についてきたたくさんのテレビカメラがカーブにさしかかり、ちょうど中継が途切れる瞬間を狙って銃撃事件が起きたこと。しかも陳総統らの遊説車は地元支援者が運転する無防備なオープンカー。防弾ガラスはなく、総統らは防弾チョッキを着込んでいなかった。
撃たれた陳総統らが、事件後しばらく予定通りの遊説コースをたどったことも不思議だった。銃撃現場近くの大病院を避け、どうして隣町の奇美病院(独立派の財界人、許文竜の経営)に行ったのか?
総統が担架に乗らず、歩いて救急治療室に入ったことも疑惑を招いた。緊急手術を担当した医師団の説明によれば、弾丸は総統のお腹の皮下脂肪を横に貫通し、お腹とシャツの間から「ポロリ」と発見された。つまり、弾丸は陳総統のお腹を飛び出したあと、総統のシャツを貫通する余力さえ残っていなかったことになる。実際、銃撃に使われた改造拳銃は殺傷能力に乏しく、至近距離から撃っても、総統を殺害できなかった。
捜査のあり方にも疑問点が多い。このような重大な事件が起きたのに、警察は事件後しばらく捜査線を張らず、みすみす犯人らを捕り逃している。捜査が迷宮入りするなか、捜査当局は事件後一年あまり経過してから、すでに自殺した人物を犯人だと公表したが、世論調査が示すところによれば、台湾の多くの民衆はこれを信用していない。
2000年の陳政権の成立が「漁夫の利政権」であるとすれば、現在のそれは「ケガの功名」政権。有権者からそっぽを向かれたとしても、仕方がない。
釈然としないなかで、陳政権の二期目が始まった。もっとも、野党陣営はその後もしばらく総統選挙の無効を主張し、陳総統の当選を認めなかった。
わが龍眼としても、もし本当に陳水扁が勝ったのだとすれば、彼のなりふり構わぬ再選への執念が、お坊っちゃま育ちの連戦に、わずかに勝ちまさっていただけだと思っている。
この段階から、台湾の「一国二政府」は始まったのだ。
◆財界こぞっての「扁嫂詣で」
その4年前。2000年総統選挙で陳呂コンビが国民党一党独裁を倒したとき、いちばん影響を受けたのは、陳総統の家族だろう。「ファースト・ファミリー」となった彼らは、どこに出かけるにも始終マスコミにつきまとわれる。
長男の陳致中さんは台湾大学の学生。幸いにもまもなくして兵役についたため、比較的マスコミの視線から離れた場所にいた。その後も米国に留学。だが、留学先の米国滞在中には、ガールフレンドとデートしているところを、パパラッチ誌にスクープされた。
もっとも可哀相だったのが、陽明医学院歯学部に学んでいた長女の陳幸妤さん。すっきりした顔だちに、ショートヘアー。色白で可愛らしい雰囲気を持つ彼女は、マスコミの格好の餌食となった。男友達と一緒にいるだけで写真を撮られる。ついには、彼女を主人公に見立てたポルノ仕立ての作品まで登場。そんなわけで、幸妤さんにはSPが付けられ、24時間監視つきの生活。
「こんな生活、もうヤダ」。「家を出たい」と、幸妤さんはすっかりおかんむり。
彼女は大学を卒業すると、かねてから交際中だった医学部時代の学友と結婚。24時間監視付きのファースト・ファミリーの生活から、ようやく脱出できたのだった。
だが、運命の皮肉はそのあとも続く。というのも、その結婚相手が今回逮捕された趙建銘医師。現職の台湾総統の娘であるかぎり、人々は彼女を最後まで自由の身にしてくれなかった。
いまは妊娠中で身重の彼女。入院先の台湾大学病院では、傷心の彼女を気づかい、日本の病院で出産させる計画も取り沙汰されている。
人生を狂わされたのは、娘だけではない。
過去の清廉なイメージが大きく損なわれたのが、呉淑珍夫人だ。彼女は夫が台南県長選挙に落選した1985年、「謝票」(支持者廻り)のおりに、何者とも知れないトラクターにはねられる白色テロで、両足を切断された悲劇のヒロイン。「党外」(在野勢力)に対する弾圧で陳水扁が投獄された1988年には、自ら身代わりとして立法委員(国会議員)をつとめている。その総統夫人を台湾財界の有力者たちが見逃すわけはなかった。
政権党となった民進党に接近しようとする財界人たちの間で、多忙な陳総統に代わり、呉夫人を訪ねる「扁嫂詣で」とよばれる習わしが盛んになった。そもそも彼女は資産家の娘、財テクにはぬかりがない。呉夫人が手にした株券は、不思議と何倍にも膨れ上がった。そんな事情もあり、呉夫人もさまざまな疑惑の渦中にいる。
2004年春の総統選挙のおりには、呉夫人がインサイダー取引で巨万の富を得たとする疑惑が報じられていた。その後も呉夫人にまつわる「黒金」疑惑はあとをたたず、現在も、「台湾そごう」の経営権争奪をめぐる新旧経営陣の内紛絡みで、同社の株式を大量に取得して巨額の利益をあげたという疑惑が報じられている。
与党民進党にも、政権獲得以来、数々の「黒金」疑惑がある。
2002年の高雄市長選挙のおりには、謝長廷市長夫人への献金疑惑が噴出。このときは謝市長自身が夫人と共に壇上で土下座して釈明する大芝居を演じ、僅差で再選を勝ち取った。その後の高雄市議会議長選出をめぐる贈収賄事件では、民進党の市議会議員からも多数の逮捕者が出た。
2003年には、総統選挙の前哨戦といわれた花蓮県長選挙で、民進党の謝深山候補が原住民の酋長を抱き込むため、酋長手当の支給を公約したとして、選挙違反に問われた。このときには、公約への関与を問われた陳総統自ら花蓮地検に出頭。現職の「国家元首」が法廷で証言するという、前代未聞の事態になった。
そして2004年春の総統選挙でも、桃園県の工業港建設がらみで、トンテックス・グループ(東帝士)の陳由豪総裁から民進党が多額の政治献金を受けていたという疑惑がマスコミを賑わせた。じつは国民党も多額の献金を受けていたのだが、国民党は、「李登輝がやったことだ。関係ない」とどこ吹く風。比較的「清廉」だと見られてきた民進党が受けたダメージのほうが、はるかに大きかった。
民進党を、「クリーンでリベラル」だとするイメージ操作は、つくられた虚像にすぎない。
◆「黒金」の元兇は李登輝前総統
そもそも台湾の「黒金」政治は、李登輝前総統時代に蔓延したものだ。
党内基盤の弱かった李登輝前総統は、その政治基盤を固めるため、多額の政治資金を必要としていた。その金庫番となったのが劉泰英中華開発金融控股公司会長である。また、外交に弱い台湾の立場を補強するため、日米両国を舞台とした機密外交工作の番頭役をつとめたのが、いまも李登輝側近をつとめる彭栄次台湾輸送機械会長であった。
3期12年にわたった李登輝政権は、彼ら民間人の援助なしには考えられない。
その李登輝が2000年総統選挙後国民党を離れ、小党にすぎない台湾原理派(急進独立派)政党の「台湾団結連盟」(台連)を組織した。国民党は李登輝を除名。かつて側近として仕えた人々が、今では政敵。当然のことだが、李登輝政権時代のさまざまな疑惑が、次々とスキャンダルとして噴出することになった。
金庫番だった劉泰英は、高雄近郊の大型商業施設「新瑞都」の利権をめぐる背任容疑など数々の疑惑が噴出。逮捕され、求刑16年で起訴されている。
日本政界も無関係ではない。2002年3月、「台湾のCIA」ともよばれる国家安全局の機密外交工作が明らかになった。「國安密帳」と呼ばれるそれは、同局の劉冠軍元会計長が海外に逃亡したおりに発覚。最大手紙「中国時報」と、香港資本の『壱週刊』(台湾版)がスクープして明らかになった。台湾の安全保障をめぐる極秘資料が大量に流出した事態に、台湾政界は天地が逆転したかのような大騒ぎになった。
注目されたのが、「明徳専案」とよばれる対米、対日工作をめぐる疑惑。流出した極秘文書によれば、李登輝は日本政界に「明徳グループ」とよばれる同調者を組織し、台湾有事の備えにしていたという。その工作の中心人物が台湾輸送機械の彭栄次会長。国家安全局の楊六生参事らがこれを補佐し、自民党、官僚、自衛隊幹部らにさまざまな献金工作を働きかけていた。本人たちは一様に疑惑を否定するが、「明徳グループ」の一員として名前が挙がった人々のなかには、当時の橋本龍太郎首相、秋山昌廣防衛事務次官、志方俊之自衛隊北部方面軍司令官などの名前があった。さらに追い打ちをかけるように2004年2月に香港の『星島日報』が報じた新たな極秘文書には、「明徳グループ」のメンバーとして、さらに椎名素夫参議院議員(職位は当時のもの、以下同じ)、岡本行夫首相補佐官、加藤良三外務審議官のほか、評論家の日高善樹氏や複数の自衛隊幕僚OBの名前もあがっていた。
これら極秘文書の内容の細部については疑問視する意見もあるが、李前総統をめぐるスキャンダルが相次いで噴出したこと自体、台湾政界における李登輝前総統のいちじるしい影響力低下を如実に示している。最近になって、李登輝前総統に関するスキャンダルが鳴りをひそめてしまったのは、いまや李登輝前総統には、叩かれる値打ちすらなくなったということだろう。彼が影響力を発揮できる舞台は、もはや日本以外にはなくなった。
さて、いまや「レームダック」(死に体)化したといわれる陳水扁政権。
TVBSテレビが継続して行っている「台湾政治十大人物」に対する信任度調査(2006年4月調査)では、陳総統は、李登輝前総統(8位の23パーセント)や宋楚瑜親民党主席(9位の21パーセント)よりも下位の13パーセントに甘んじ、10人中の最下位。
もはや、「過去の人」の扱いである。
台湾の人々の目は、明らかに次の世代に移っている。
一番人気は野党国民党の馬英九主席の70パーセント、次いで王金平立法院長が54パーセントで追う。与党では、蘇貞昌行政院長(前台北県長)が44パーセント、謝長廷前行政院長(現高雄市長)が40パーセントでこれに続く。
2年後に迫った台湾総統選挙。私たち日本人の知らない名前が次々と登場し、台湾政界はすっかり様変わりしているだろう。
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登録日:2006年 05月 31日 11:35:19
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- プロフィール
- 龍眼
- (男)
- 本名和仁廉夫。 ジャーナリスト。高校、予備校の教壇生活を経て現職。1990年代から香港問題に関わり、マカオ、台湾、中国、華僑華人世界の持つ多様な観点を紹介してきた。著書に、『旅行ガイドにないアジアを歩く・香港』(梨の木舎)、『香港返還狂騒曲』、『歴史教科書とアジア』、『東アジア・交錯するナショナリズム』(社会評論社)など。自称の「龍眼」とは、中国南部で広く食されるライチに似た果物。淡い茶褐色で、食味はジューシィ。そもそも「龍」とは、中華世界の幻の神獣。「龍眼」はその「龍の眼」に由来している。
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