TPP交渉参加表明の数時間前に…!?

■ISDS(Investor State Dispute Settlement) 
いわゆるISD条項と呼ばれている国際法上の紛争解決手続き。
ものすごく簡単に書くと、「損失を被った」と投資家が外国政府を相手取って提訴できるとした条項。

で、何がそう驚愕かと申しますと、野田首相がこのことについて良く理解していなかったということ。
日本がTPPに参加した暁には、あの手この手を使って海外の投資家から提訴されることが簡単に予想される。
この「ISD条項」については、諸外国でも大論争となっているにもかかわらず、野田首相は「寡聞にして知らない」と一言。
TPP交渉参加表明まで数時間を残した11日午後の国会中継を観ていてのハプニングだ。
自民党・佐藤ゆかり議員の質問に対しての対応だった。

「…絶句」である。

この人に任せておいて本当に大丈夫なのだろうか?
心底不安になりました。


■実は別の件について書く予定だった
同じTPP関連ではあるが、超党派による反対決議の本会議上程を意図的に阻止したことについてである。
衆院議運委員会の一部を入れ替えてまでもこれを阻止したことは、どう見てもやり過ぎ。
「反対表明は衆院の半数に満たなかったのだから、そのまま本会議に上げるべきだった」と、同日の国会で述べた新党日本の田中康夫議員は正しい。
にもかかわらず、不安要素を多く含む議題だからとこれを力業でねじ伏せた格好だ。
これが国会および民主主義の軽視に他ならないことは一目瞭然であろう。

このTPPの問題をはじめ、多くの問題については必要な情報量が圧倒的に少ない。
参加の是非を表明する当日にこんなゴタゴタがあるのもそれに起因するのではないだろうか?
原発問題も然りである。
少し前になるが、脱原発を求める署名活動に参加した際のことに触れたい。
地元駅前にて、ビラを片手に署名をお願いしていたのだが、どうも関心を示す人が少ない。
あれだけの事故を経験し、ましてや収束のめども立っていないこの状況。
何かしらの意見もしくは考えを皆それぞれが持っているだろうと思っていた…。
この私の認識は大外れだった。
通行人の大多数は、まるで「この件には触れないほうがいい」と言わんばかりの対応。
もちろん中には賛成・反対の意見を持ち、それを理由に署名をしてくれる人・拒否する人もいた。
だが多くの「無関心」には本当に驚いた。
発災前なら仕方がないが、311以降は…。


■民主主義について
この国の人々はもともと意見・議論を闊達に交わす文化にそぐわないのかもしれないが、民主主義を享受するためにはこれは必要不可欠…いや、責任ではないだろうか。
良く言われることである。
「自由には責任が伴う」と。

少し話を戻そう。
上に情報量が少ないと書いた。
人々が議論を交わすためには情報が絶対必要であることは、火を見るより明らかである。
しかし情報量が少ない。
それでも議論をするといった責任を放棄する訳にはいかない…。
どうすればいいのか?
…八方塞がりか。

一見、そう見えるが、実はそうじゃないのではないかと最近考えるようになった。
本当は、情報を与えられるまで待っていてはダメなのではないかと。
それを出すように自ら求めないと。
民主主義を享受するにはそこの部分から責任が発生するのではないのかと。
実は自由を享受するのは結構大変なことなのだと。


■今晩、首相がTPPへの交渉参加の是非を表明する
私は反対だ。
いろいろと問題はあるが、例えばである…
食料自給率が13~14%にまで落ち込んでしまったたら、食料安全保障に支障が出る。
ロシアが麦の禁輸措置を取ったことは記憶に新しい。
日本はたまたま円高の状態にあるため、急激な食糧の高騰に悩まされずにいる。
大規模農業に転換すれば、莫大な投機マネーが投下され食糧供給が安定しないといった可能性も出てくる…等々。

とにかく只の通商交渉ではないために不安要素が尽きない。
なぜもっと早くに公に議論を始めなかったのか?
なぜ知りえる情報だけでも出さなかったのか?
不安が不安を煽るこの状態。
やはりTPPへの参加は反対したい。

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登録日:2011年 11月 11日 15:22:02

産経(電子版)の記事を読んで感じたこと


「剛腕ではなく傲慢」「不快」 小沢氏会見、共感得るはずが…
電子版産経新聞の記事を読んだ。
初公判を終えた小沢氏の会見について、各方面からの声について書かれている。
さすがは産経さん(苦笑)…というか、とりあえず同氏に対しては手厳しい意見が並んでいる。

「質問に質問で返すのなら会見の意味はない」
「剛腕と言われていたけど傲慢(ごうまん)」
といった、ネット上の声もあれば、
「国民に無実を訴える狙いは完全に失敗。会見の意味はなく、寝ていたほうが良かった」
との専門家の意見も紹介されている。

さて、問題の会見については、新聞テレビなど大手メディアはどこも「端折って」伝えていた。
もちろん時間や紙面の制約もあるだろう。
ただその「端折り方」についてはどうにかならないものか?
NHKさんですらそうだ。
自分はラジオでこの会見についてのニュースを聞いていたが、後に(会見の)全文を読んだ際の印象とは、まるで別物のようであった。

以下のサイトに会見の詳細が掲載されていた。
「君はどう考えてるの!」小沢氏、記者の質問に声を荒げる―Blogos

これを読む限り、自分は傲慢との印象は受けない。
傲慢どころか、理路整然とした話であるとすら感じる。
三権分立のくだりも然りである。
このような基本中の基本をすっとばし、すぐに政局に話を持っていこうとするのが昨今のメディアの悪い癖。
問題の記者さんはその部分を指摘され、諭されているだけであろうに…。

産経新聞のこの記事の問題は、事の本質を捉えず、「別のもの」にすり替えてしまっていることではないだろうか?
会見について、「ネット上で評判が悪い」とし、またある専門家が「会見は(無意味で)やるべきでなかった」とした意見を伝えているが、このような「他者」の意見を紹介する事だけがメディアのやるべき仕事なのだろうか?
内容を「ちゃんと」伝えた上で、氏が一体何を目的として会見に臨んだのかを分析したりはしないのだろうか?

「(その内容に対して)誰だれがこう言っている」が大切なことではなく、会見に臨んだ本人の「意図」それ自体が一番重要なことである。
もちろん多くの意見があって然るべきであろう。
ただそれは、その意見が反映される「基」があって初めて意味を持つものであり、「基」が無くては、意見など何の意味も持たないのである。

メディアには、権力を持つ者を監視するウォッチドッグとしての役割もある。
どうかこのタスクに、公平・公正の観点からしっかりと臨んでしていただきたいものである。

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登録日:2011年 10月 08日 02:37:37

雰囲気

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雰囲気

辞書で「雰囲気」の意味を調べてみると:
・その場の気分やその人の持っている感じ
・その場を包む気分
・ムード
とある。

我々人間は、この「雰囲気」とやらにやたら飲まれながら日々の生活を送っている。
それは無意識に作用している部分もあるだろう。
例えば、「今日の晩御飯は○○の気分」だとか、「このBGMはムーディーだ」など。
これらは普段何気なく感じ取っていることであろうし、おそらく誰にだって経験がある。

一方、人間にはこの「雰囲気」を感じ取り、それを意識的に利用することだって出来る。
何でも良い。
音楽や絵画、ファッション、インテリア、等々。
ある「雰囲気」を基本(ベース)にものを構築する。
よく「こんな感じの…」という表現が用いられるが、それが正にそうである。
あまり好きな表現ではないが、「○○風」というのもそうだろう。

さらには「雰囲気に呑まれる」ということもある。
これはネガティブな意味合いで使われることが多いようだ。
ことの本筋から外れ、周りにつられることの表現であろう。
映画や小説など、それがもつ情緒的側面に引っ張られるのであればまだ良い。
一般的に「世論」と呼ばれる、所謂社会のムードというものがあり、これにつられてしまうと厄介なことになる。
いや、そうではないな。
全くその逆で、厄介なことなど全くないはずだ。
社会のムードに流されることなく、いつも抗っている方がよっぽど厄介なことになるだろう。

この国の大手メディア(新聞・テレビ)は、この「雰囲気」を操作するのに長けている。
報道の切り口はどこも大差なく、これにより自然と世論が形成されていく。
これだけ多くの報道媒体があるのにもかかわらず、ニュースの伝え方は一糸乱れぬ軍隊のようでどこか気持ちが悪い。
原因として考えられるのは、最近ではよく耳にするようになった「記者クラブ」の問題以外に、電通といった大きすぎる広告代理店の存在もそこにはあるだろう。

しかしそれだけではないはずだ。
原因は我々にもある。
いとも簡単に流されてしまう我々が一番の問題なのかもしれない。
テレビから流れてくるニュースや、紙面に踊る活字を疑うことなく鵜呑みにしてはないだろうか?
私自身もよく流されるので、あまり偉そうなことは言えないのだが、とりあえず立ち止まる努力はしているつもりだ。
編集部の人が丁寧に「編集してくださった」情報について一度解体するのも手だろうし、背景にあるものを精査するのも良いだろう。
以前、日経新聞が「ニュースを疑え」とのコピーを謳っていたのを思い出す。

直近の話題では、石川議員をはじめとする小沢元民主党代表の秘書ら3人に対して有罪判決が言い渡されたこともそうだ。
この判決については、大いに議論すべき点が多々あるにも関わらず、各メディアはいつも通りに足並みを揃えたままだった。
正直、目が点になった。
本来、判決が判事の憶測に基づくものであったという時点で、ウォッチドッグであるはずのメディアが噛み付かなくてはならないのだが、全くのスルー。
直後、テレビ出演したある元検事が、「状況証拠のみで被告を有罪にした」と語り、また別の元検事は「検察を期待を上回る判決だった」と述べている。
推定無罪の原則はどこへ行ったのやら…。

親小沢とか反小沢とかではなく、今回露呈したのはこの国の三権分立が危ういものであったということ。
検察の暴走の次は司法の暴走。
これでは戦時中のような言論統率がいつ始まってもおかしくない状況ではないか。
言いたいことの言えない社会がもうそこまで来ているようだ。
…「リアルマトリックス」
なんともオゾマシイ世の中である。


個人的には、「雰囲気ありき」はあまり好きではない。
おそらく、ある特定の形に自分を押し込めるようで窮屈な感じがするからだと思う。
抗ったり、もがいたりは大変だけど、その代わりに「生きてきる感」は得られるだろう。

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登録日:2011年 09月 27日 23:52:07

運命の男

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■運命の男
「運命の男」に会った。
勘違いされそうな書き出しだが、別に一生を共にするといった意味での「運命」ではない。
お互い既婚者で、いわゆる「non気」の男同士である。
それでもお互いが一緒になる「運命」にあるというのであれば、それはそうなのであろう…。
だがこのケースに限っては、おそらく…いや、ほぼ100%の確立で違うハズ。
そうでないと妻に申し訳が立たなくなってしまう。

のっけから話が脱線してしまった。
この「運命の男」なる人物、実は大学院時代に知り合った友人なのだが、彼の「運命」の部分については今回初めて知ることとなったのである。

現在、都内大塚にあるギャラリー「Misako & Rosen」にて開催中の展覧会『Happy Mind - My View』に出品している友人。
その関係からこの度帰国することとなり、久しぶりに会う手筈をとった。
待ち合わせ場所となった同ギャラリーへと出かけると、そこにはきれいに伸ばした髪を後ろに結んだ一人の男がなにやら作業を進めていた。
「オウッ、久しぶり」
その半ばアメリカンなフランクさを携えた挨拶で確信した―間違いない、彼だ。
ロサンゼルスに活動拠点を構えているせいか、前にも増してこんがりと日に焼けている。
韓国人俳優の某ヨンジュン似(笑)のはずだったのだが、浅黒くなったせいで、どこかもっと逞しくなった感じを受けた。

セルフ「人体の不思議展」+α的(?)な制作活動を続ける友人。
今回の展覧会では、切れ目のない、超ロングな自家製ソーセージを使った映像作品を出品していた。
どこか中央アジアを思い起こさせるリズムに乗って、超ロングなソーセージがうねうねと動き回る映像なのだが、初見の印象は「スネークマンショー」だった。
おそらく逆回転再生による不自然な動きも、そんな印象を抱かせることに一役買っているのだろう。
思わず「レッドスネーク、カモン!」とつぶやくと、周りからは冷たい反応が返って来たのは言うまでもない。

自分、人体、不思議、ソーセージ、逆回転、うねうね、etc.
これらエレメントが紡ぐもの…後はご想像にお任せいたします。

■何がそんなに「運命」なのか
ギャラリーを後にし、近くの居酒屋に場所を移した我々。
久しぶりに会ったせいか、話のネタに困ることはなかった。
そんな中、ふとあることに気が付いた。
友人の口から、「たまたま」とか「偶然」といった言葉が多く発せられるのである。

例えば…ある時、大好きな作家の話をしていると、相手が「たまたま」その作家の知り合いで繋がる事ができた―とか、またあるアーティストにソーセージの作品を見せた際に、「偶然だね、僕もソーセージの作品を作っているんだ」と言われたことがある―など。

後者についてはかれこれ十数年前の話で、これをきっかけにそのアーティストの元で働くことになり、現在もその関係は続いている。
「ソーセージ と アート」…ピンと来た人もいるでしょう。
他でもないポール・マッカーシーさんです。
現代アートでは超有名人ですね。

ほかにも多くの「たまたま」や「偶然」が話にでてくるのだが、中でも極めつけは昨年生まれた子供についてだった。

■生まれ変わりの「運命」
この友人には、昨年秋に子供が生まれている。
本当に楽しみにていたようで、出産に立ち会うため前もって色々と準備を進めていたという。
しかしこの小さな命、予定されていたその日を前倒しすることを決めたようで、友人夫妻は不意打ちを喰らうことになった。
本来ならどこにいても駆けつけるつもりだったというが、海を越えてしまってはやはり難しかったようだ。
出産当日、友人は英国に出張中だった。
大西洋の向こう側から「もうすぐ生まれる」との一報を聞き、相当焦ったという。
それはそうだろう。

「予定日までまだ数週間あるはずなのに、なぜだ?」
「どうにかして早く帰らないと」
「一本でも早い飛行機に乗らないと」
「テロへの警戒?飛行機が飛ばない!」
「俺は爆発に巻き込まれて死ぬのか?」
「海の向こうで生まれるのは…俺?」
「そういえば今日は俺の誕生日だ」
「今日死んで、今日生まれる」
「また同じ誕生日だな」
「運命…なのか」

気が動転している様子がしっかりと伝わってくる。
遠く離れた空港でテロへの警戒が出されるだけでも普通は動揺する。
ましてや妻が産気づいたと聞けば尚更のこと。
奇しくもその日が自分の誕生日ともなれば、変な液体で脳みそが満たされることも容易に想像できる。
これぞ「生まれ変わりの運命」と思い込んでしまうシチュエーション…なの…だろう…か。

■誕生
この「運命の男」、見方によっては「偶然の男」とも形容できる。
中には「奇跡」と捉える人もいるかもしれない。
その違いを考えるとき、自分には明確な答えを出すことができない。
「匙加減」ひとつなのだろう。

私はこの友人について、「偶然の男」や「奇跡の男」ではないと決めた。
「運命の男」がここに生まれた。

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登録日:2011年 07月 13日 01:53:23

「メルトダウン・メルトスルー」発表の裏側にあるもの


■第12回「終焉に向かう原子力」
6月26日、日比谷公会堂にて開催された第12回「終焉に向かう原子力」へと出かけた。
ほぼ5時間にわたる長丁場だったが、その長さに苦痛を感じることは「ほぼ」無かった。
あの年季の入った椅子に腰と背中をやられたことを除けば…。

明治大学で行われた4月下旬の同会では、来場者が多すぎて会場のキャパを大幅に超えたため、今回は公会堂での開催となったという。
何を隠そう、我々も会場入りできなかった前回。
渋々と岐路に就いたのである。
今回はセーフ…というより、逆にかなり余裕があったとのニュアンスがより正確だろう。
特に若い世代が少なかったように思う。
…残念な限りである。

同会は2部構成:(1)浜岡原発の現地報告と、(2)原発および放射能の専門家によるトーク。

浜岡原発については、菅首相が「一時停止」を指示したことで広く知られることとなった。
しかしあくまで「一時停止」なので、注視することが必要であるとのこと。
また同施設廃止を求める訴訟についての経過報告があった。
これまで長く延期され続けたようだが、7月に高裁での公判が再開されるとのこと。
一審では、原告被告共に皆ひっくり返る「びっくり判決」だったようで、これが審議されるようだ。

第2部の専門家によるトークでは、先月NHK・ETVで放送された「ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」の木村真三氏(元放射線医学総合研究所の研究員)によるチェルノブイリでの現地調査報告行われた。
否が応にも現在の福島と比較してしまい、行政および政治の対応のまずさが指摘された。
また現在でも多くの人が健康に問題を抱えつつ、この汚染された地域での生活を続けていることが伝えられた。
事故後、25年が経過した現在でも。

■「冷却材喪失」では都合が悪い?
次に壇上に立ったのは、元原子炉製造技術者の田中三彦氏。
同氏は福島第一原子力発電所での事故について、発表された公式データを元に検証を進めた。
今回は1号機に的が絞られた。
正直、「進行・段取り」に大問題があったものの、最終的に田中氏はとても重要な点を指摘した。
事故後、同氏は早くから「冷却材喪失」が起きているのでは、と指摘していた。
「冷却材喪失」とは、ウラン燃料を冷やすための「水」が無くなってしまうことを指す。
それも津波により電源喪失が起こる前、すなわち地震により配管が破損したことにその原因があると氏は推測する。
勿論、発表された公式のデータを元に検証をした上で。

しかし、これは政府および東電にとっては大問題。
あくまで「悪さ」をしたのは「想定外の津波」であり、地震そのものによるダメージは限定的だったハズなのだから…。
東電の賠償スキームのためにも、また各地の原発再稼動のためにも事態は「想定外」でなくてはならない。
万が一、地震への対策が不十分だったとしても、それが表にでることは絶対に許されないのである。

■「メルトダウン・メルトスルー」発表の裏側にあるもの
そこで彼ら(東電・政府)はどう対応したのか?
田中氏によると、メルトダウン、メルトスルーといった、これまでタブーとされてきた事象について、自ら認める行動を取り始めたというのだ。
それも事故直後には既に起きていたと。

この事象は早ければ早いほど、東電・政府にとっては好都合だという。
というのも燃料冷却の失敗を説明する際、その原因を配管の破断ではなく、あくまで電源喪失によるものと結論づけることができる為だ。
するとどうであろう、彼らがメルトダウン及びメルトスルーを認めたことについて、到底「潔い」などと賞賛することはできないだろう。
「自分たちが描いたシナリオに整合性を持たせるため、敢えてそうしただけ」―田中氏は主張する。
国際原子力機構IAEAにも同じく伝え、「既成事実」を作ろうとしたのだ、と。
所謂アリバイ作りに近い感じなのだろう。

更に驚くことがまだある。
既に発表されたデータの中には、どうやらこの「シナリオ」にそぐわないものがあるようだ。
それら一部データについては、「正確なものではない」と東電は位置づけをしているらしい。
このデータとは事故後の冷却水レベルを計測したもので、ココに来てなぜだか「不正確」なものになってしまったようだ。

検証するにあたり、事故発生直後の観測データが重要な鍵となりうるのは想像に容易い。
しかし東電はこれらデータの存在を否定し、そこだけぽっかりと穴が開いているのが現状である。
そして今度は、既発表のデータを「不正確」として引っ込める。


…キナクサイ感じを受けるのは私だけでしょうか?

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登録日:2011年 06月 27日 15:46:22

「いつもどおり」

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日々の出来事。

車にいたずらをされた。
リアワイパーを「引きちぎられた」。

買ったばかりの携帯電話が壊れた。
一月間に2回も。
初期不良のため、新品との交換。
手元には3代目がある。
果たしてこいつは大丈夫なのだろうか?

家庭菜園の放射線量が思いのほか高い。
対処法としてヒマワリとモロヘイヤを大量に植えた。
EMが放射性物質の除去に効果ありとの情報を得たので、とりあえずやってみる。

からし菜も植えたが、ネキリムシとアオムシに邪魔された。
今はヒキガエルさんたちが虫たちを食べている。
庭先では放射性物質の移行が日々行われているのだろうか?

政府の東電賠償スキームに驚いた。
「兆」単位の内部留保を考えれば、「億」単位の資産売却など痛くもかゆくも無いでしょ?

近所にそれはそれは美しい「楽園」を見つけた。
犬の散歩コースを変えた際に偶然と。
急坂を登りきったところに見える一面の畑。
他には何も見えない。

コンピューター監視法が参院本会議で可決した。

なぜだか進まないギター製作を再開した。
悩ましいピンホール問題に一筋の光が…。

子供手当ての見直し、現政権が着手しそうだ。
現政権のやることなすこと、すべてに反吐がでる。

横にはネコが、対面にはイヌが寝ている。

少しはなれたところのホームセンター、駐車場に大きなひび割れ。
おそらく先の震災によるものだろう。
ところどころで割れていたり、盛り上がったりしている。
片隅にはカラーコーンで立ち入り禁止の部分が仕切ってあった。
この地区では液状化も報告されていたが、実際に見るのははじめてだった。

スーパーでペットボトルの水を買おうとしていた初老の女性。
まるでそうすることが当たり前のように「何本まで売ってもらえるの?」と質問していた。
そのスーパーでは、特に本数制限は無かった。

きれいな夕焼けを見ながら、「これって地震雲かな」。

ソフトバンク孫社長がメガソーラーを提唱している。
脱原発には賛成だけど、全国の耕作放棄地での発電については疑問だ。

TPPで苛立つ米国。
近づく遺伝子組み換えの国内認可。
…菅さん。

久しぶりにファストフードを食べた。
味が濃い
なぜだろう?
罪悪感にも似た感覚を覚えた。


震災から100日が経とうとしている。
いつの間にか、いつもの「いつもどおり」が変わった様に思える。

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登録日:2011年 06月 17日 02:24:48

オメデトウゴザイマス


FCバルセロナ、2011CL制覇おめでとう。

チーム4度目となる欧州制覇。
その内3回は過去6年間で達成というのだから脅威的。
そして3回とも生で観戦できた私は、本当に幸せもの。


先程、本日2度目の試合観戦終了。
さすがは2度目。
あまり興奮はしなかった…って、当たり前ですね。

しかし試合運びなどは逆によく見えた。

試合後、各所で「バルサ強すぎ」などと大いに騒がれた。
しかしふと疑問が沸く。
本当にそうなのだろうか?
確かに今回の決勝戦だけを見れば、さまざまなポイントでバルサがマンUを凌駕していた。
我等バルサファンにとっては嬉しい限りである。
だけど、どのスポーツでもそうなのだが、やはり「相性」というものはある。
今回は、それがバルサに有利に働いたのではないだろうか。

今年のマンUは強かった。
2年前のCL決勝の時よりもだ。
よりチームとしてまとまっていたのであろう、攻撃に転じた際の厚みがすごい。
だがその攻撃のチャンスそのものが圧倒的に少なかったのも事実。
恐らくバルサが中盤を支配したせいだと思う。
スルーパスの成功率を見る限り、最終ラインと中盤の間にできるスペースもバルサにとってはプレーしやすかったようだ。

各チームの持つ特性、そして相性というものが大きく響いたと思われるこの試合。
マンUの鋭い攻撃と硬い守備とのバランスが、バルサのそれには効力を発揮しにくかったのだろうか。
ジャンケンに例えるなら、ファーガソン監督の哲学が「グー」で、グアルディオラのが「パー」といった感じ…ちょっと違うか。

それでもファーガソン監督は、あえて自身の哲学を固持した。
結果、オープンで観る者を魅了する試合となった。
1発勝負というのもあったのだろう。
もし信念を曲げて勝ちにこだわり守りに徹していたのであれば、試合は全くと言っていい程別のものになっていたと思う。
言わずもがな、つまらない方に。


結局何が言いたいかと申しますと…。
「勝ってよかった」ということ。
応援しているチームが優勝したので本当にウレシイということ。
下戸ではございますが、今は勝利の美酒に酔いしれたいということです(笑)


(バルサの強さはわかった。今度はニックスの優勝を期待してるぞ。何年待たせれば気が済むんだ…)

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登録日:2011年 05月 30日 01:44:02

あれっ? エネルギー改革とTPPと遺伝子組み換えと


■いや~な感じ
先の参議院行政監視委員会に参考人として出席したソフトバンク孫正義社長。
その中で同氏は、被災した3県での発電事業について述べた他、国内の耕作放棄地にて発電事業を推し進めるアイデアについても触れた。
「なんとも素晴らしいお志」―頭が下がるばかりと関心しながらネット中継を見ていた。

時を同じくして、農林水産省があるプレスリリース(こちら)を発表した。
その内容とは、ある一定の遺伝子組み換え製品について、「生物多様性における影響はないと判断した」との趣旨を伝えるもの。
こちらに関しては、「このご時世にドサクサに紛れて…」というのが正直な感想だった。

しかし日を改めた昨日、上記2点の事柄について「あれっ」となった。
コレってもしかして、TPPに関係している?

孫社長が触れた、国内の耕作放棄地での発電とは、その土地での食物の生産が「正式に」されないということを意味する(と思われる)。
コレはすなわち、食品の多くを輸入に頼ることがオフィシャルになるということ。
同氏によって政監視委員会で説明されたところでは、設置される太陽光パネルは脱着式としていたが、実際に設置してしまったものを再度移動するのはなかなか難しいのではと、素人の私は勘ぐってしまう。

そこに遺伝子組み換え食品承認への動きがこっそりと顔を出す…。

とはいってみたものの、この2つの事象を直接的に繋げるにはあまりにも無理がある。
ちょっとだけ想像力を働かせたとの域を超えるものではない。
ただ気になるのは、ここにきて急展開し始めた政局だ。
倒閣の勢いが一気に高まったことや、各方面からかかり続けていた小沢一郎元民主党代表に対する圧力が急激に弱まっていることなど、違和感を覚えるレベルではないだろうか。
もしかすると米国の対日政策が、何かしらの方向転換をしたことの裏返しなのではとも思えてしまう。
最近訪米を果たしたばかりで、親米派そして反小沢の急先鋒として知られる前原前外相が小沢元代表にすり寄ってきたという事実も、この憶測に一役買っている。


■得体の知れないモノには譲歩できない
わが国のエネルギー政策に転換期が訪れようとしていることは、まことに喜ばしいことである。
その過程において、福島第一原子力発電所の事故という不幸な出来事が起きてしまったものの、地域独占型の電力供給にメスが入ることは実にに素晴らしい。
「エネルギーの地方分権」とも呼べることかもしれない。

しかしこのエネルギー政策によって、国内の第1次産業が犠牲となってしまってはいけない。
ましてや、遺伝子組み換え製品などもっての外。
遺伝子組み換えが行われた農作物とそうでないものが一度でも交配してしまったら、もう二度と元には戻れないという。
なんとも恐ろしいことです。

遺伝子組み換えされた農作物とは、あくまで「人間の想定し得る範囲における病害虫への対応」がとられた製品のことである。
人間の想像・想定できる範囲などは大したことモノではない。
先の大震災後、当事者らが取った(取っている)行動を観れば一目瞭然である。
それを「未曾有」だとか「想像を絶する」などといってごまかしているだけではないか。
そんな生半可な考えの下、絶妙なバランスで存在する在来固定種を根絶やしにされてはたまらない。
原発のこともそうだが、あまりにもその代償が高すぎる。


■作物や種子の「免許」
アメリカでは昨年、「食品安全近代化法」 (Food Safety Modernization Act) という法案が上院を通った。
この法案は名目上、米FDA(食品医薬品局)の機能強化が目的とされているが、その一方で市場に出回る農産物の取り締まり規制が大きくなるといった面も指摘されている。
コレの意味するところは、育てる作物およびその種子に「免許」が必要になるということ。
判りにくいかもしれませんが、その出所がはっきりしないものは取締りの対象となるということ。
ではその「免許」を誰か発行するのか?
この点については、はっきりとしたことが明記されているわけではない。
だが、しっかりとした管理ができる農作物となると、やはり遺伝子組み換え品に限られることとなるため、自ずとそれを製造する会社となるのではと言われ懸念されている。


■農水省に直接「やめませんか?」
ここ数年間、その面積を少しずつ広げながら家庭菜園を楽しんでいる。
今年はまた、有機栽培のノウハウを取得するために学校にも通い始めた。
育てること、作ることの奥深さを実感している中でのこのニュース。
今後のことを考えると、背筋がぞっとしてくる。

現在、政府が示す被ばくに関する基準値を見る限り、国は国民の健康および命を守ろうとの意思があまり無いように思えてくる。
その政府が、遺伝子組み換え食品における未知数の部分をしっかりと考慮してくれるとは、到底考えられない。

実際、私たちが日々遺伝子組み換え食品を消費していることは確かである。
炭酸飲料などに含まれるコーンシロップなどはその代表格ではなかろうか。
しかし、その「素」となる遺伝子操作された種子をわざわざ取り入れ、在来固定種を絶滅の危機にさらすのは如何なものだろうか。

この件について、農水省は国民からの意見を募集している(こちら)。
どれだけの効果があるかはわからないが、「怖いのでやめませんか?」との意見を送ってみようと思う。

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登録日:2011年 05月 26日 12:13:37

「永久成長は不可能である」 ~とある経済学者の理念


最近、マンフレッド・マックスニーフ(Manfred Max-Neef)という、チリの経済学者のことを知った。
かなり著名な人物らしく、1983年にライト・ライブリフッド賞を受賞し、また1993年にはチリ大統領選挙にも出馬しているという。
恥ずかしながら私、つい数週間前までマックスニーフ氏の名前すら聞いたことがなかった。

我が家のハードディスクレコーダーには、録画したまま観ていない番組がたんまりと溜まっている。
(どれ位溜まっているかというと、常時約80%の容量が埋まっている状態)
その中のひとつに、朝日ニューススター(CS)で放送している「Democracy Now!」というアメリカのテレビ番組がある。
そこで取り上げられていたのがマックスニーフ氏であった。

マックスニーフ氏は南北アメリカ各地で経済学の教鞭をとる傍ら、貧困層でのフィールドワークにも積極的に取り組んだとされ、その経験から途上国開発における問題点を提起したという。
詳しくは番組ホームページ(http://democracynow.jp)を参照していただきたいのだが、マックスニーフ氏が掲げる「経済理念(公理)」とは以下の通り。

1. 経済が人に仕えるのであり、人が経済に仕えるのではない
2. 開発はものでなく人が対象である
3. 成長と開発は同義ではなく、開発は必ずしも成長を必要としない
4. 生態系の恩恵なくして経済はありえない
5. 経済は生物圏という有限なシステムの下部システムであり、それゆえ永久成長は不可能である

…正直「ドキリ」とさせられた。
昨今の「行き過ぎた経済至上主義」についてはもちろん、このたびの震災による福島第一原子力発電所の事故が頭を過ぎる。
事実上、競争の原理が働いていない電力会社の地域独占により生じた、「人が経済に仕える」という形。
ともすれば「無限に続く経済成長」という幻想をも抱かせる「技術」という言葉。
そして自然および自然エネルギーの存在を「無視」してまで推し進めた原子力政策。

私たちが暮らす社会の歪みを、シンプル且つ的確に指摘する同氏の言葉。
あまりにもタイムリーではないだろうか。
「経済成長」とい聞きなれた言葉の意味について再考を促す。
…いや、それどころではない。
最後の項で、マックスニーフ氏はそれをはっきりと否定している。

―「永久成長は不可能である」

わが国の現政権は、何としてでも東電を存続させたいようだ。
同社が超優良企業であり、今後も「成長し続ける」との幻想に取り付かれているかのようにも見える。
東電救済の資金調達のためには、電気料金の値上げを行い、国(国民)から浅く広く徴収するとの話まで飛び出した。

財務省の顔色を伺い、あえて税金ではなく、電気料金の値上げという形をとったのであろうが、これはまったくの筋違い。
まずは全責任を負うべき東電自らが資産売却などで賠償に充て、それでも足りない分が出た場合にのみ、国会で審議してもらうというのが本来の形ではないのか。
ましてや原子力損害賠償法の適用なんてとんでもない。
このような事態が起きてしまった以上、当事者はその責任をしっかりと全うしてもらいたい。
機関投資家などの株主の損失について優先的に考えてしまっては、周辺住民をはじめとする、直接的に被害を被った人たちへの考慮があまりにもなさ過ぎると言わざるを得ない。
そんなことでは、現在の資本主義社会が「行き過ぎた」と言われても仕方がないのではないだろうか。

「経済が人に仕えるのであり、人が経済に仕えるのではない」―マックスニーフの言葉が辛らつなトーンをもって響いてくる。


余談ではあるが、同氏が出演したこの番組、録画したのはもう随分と前になる。
3月11日の震災よりも前。
テレビ局も、このような形でマックスニーフ氏の主張が日本の現状を指摘することになるとは夢にも思わなかったであろう。

私は、このマックスニーフ氏の考え方に大いに賛同する。
番組HPには動画も掲載されていたので、興味のある方は以下URLからどうぞ。
http://democracynow.jp/video/20100922-2

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登録日:2011年 05月 05日 00:19:28

地域主権 ~ボトムアップで変える (最下部に追記アリ)

■藻+CO2=原油(モドキ)
なんとも素晴らしい技術ではありませんか。

福島第一原発での事故以降、国内外を通じてエネルギーに対する関心がより一層高まっていると思われます。
そんな折、タイムリーに掲載されたのがこの記事。
正に目から鱗の「藻から原油」。
実用化されるまでには、もう少し時間が掛かると思われますが、このような技術は決してお蔵入りにはせず、ぜひとも実現させて欲しいものです。
関連業界の利権といった、一部の利益だけを重視するのではなく、この星に暮らすすべての生き物の命を尊重して欲しいと切に願うばかりです。

■統一地方選挙
タイムリーな話題をもうひとつ、4月24日の統一地方選挙―。
福島の事故を受け、原発について見直す動きが鮮明になるかと思われたこの選挙だったが、現実は違った。
「もんじゅ」を擁する福井県敦賀市においては、市長選に立候補した7人全員が原発容認であったと報じられた。
おそらく地域の経済状況を考えると、軽々しく「反対」と言えないのが現状なのであろう。
しかし地域主権・地方分権を強く訴える候補が1人位いても良かったのではないか。
少しは、「中央集権の現状を打破する。原発のようなリスクの押し付けはもう沢山!」と声を挙げても良かったのではなかろうか。

どちらにせよ現状がすぐに変わることは、ほぼ100%ありえない。
それでも現状を変えたいのであれば、どこかで意思の表明を始めなくてはならない。
民主主義国家における意思の表明とは選挙である。
市民が積極性を持たずに賛成や反対の声を挙げないのであれば、それは現状の維持を意味するだけ。
当たり前の話であるが、民主主義における唯一の力は民の声だ。
よって現状を変えることができるのは市民だけとなる。
ちなみに聞いた話では、最近の政治家(全員ではないだろう)は若い有権者の一票をあまり恐れていないという。
それは投票に行かないからに他ならない。
もし本当だとしたら、実に嘆かわしいことである。

■もったいない
同24日、東京の代々木公園では地球環境や社会について考えるイベント、「アースデイ2011東京」が開催された。
正確には23、24日の2日間。
イベントには、多くのNPOやNGOが参加し、環境や社会における問題を提起、市民レベルでの運動を呼びかけていた。
運動の呼びかけと言ってしまうと、「硬すぎ」ますね。
もちろんどの団体も真剣に活動していると思われるが、当日の雰囲気はもっとフレンドリーなものでした。

普段、こういった団体の存在やその活動については、あまり知ることができないのが現実で、こういう場を通じて実際に知ることができるのは、とても意味のあることと思えた。
しかしそれは同時に、各団体の市民レベルでの活動がなかなか見えてこないという一面を表しており、またその実態について知る機会が少ないという事を如実に物語るものでもある。
もちろんNPOやNGOのことは調べようと思えば、いくらでも調べられる。
しかしその情報は個人が自発的に行動しない限り、なかなか見えてこないのも実際のところだ。
その結果、何をやっているのかが今一良く判らないことから、これら団体とは一定の距離を置くことになることが多いのではないだろうか。

しかしそれでは実にもったいない。
アースデイのようなイベントだけがお披露目の機会となってしまっては、そのポテンシャルが台無しとなってしまう。
せっかく行政や、政治では目の届かない場所を、市民レベルでもって活動してくれている、とてもありがたい存在なのだから、もっとアクティブに交流する機会を作るべきである。
そうすることによって、各団体についての情報やその評価も自ずとついてくることとなり、そしてその表面化がさらなる交流へと繋がるのではないだろうか。

では、どのような方法があるのか…それが難しいところ。
欧米ではよく見られる、週末のファーマーズマーケットを頻繁に開催してみるのも良いのではないだろうか。
週末に地域の広場で市を開き、そこで地域主体で活動を進めるといった形だ。
または各地域にある道の駅などの施設に、小さいコーナーを設置させてもらうのはどうだろう。

…あまり良いアイデアが浮かばず申し訳ない。
ただ市民レベルでの交流や活動が地域の活性化を促し、最終的にはそれが国政に影響を及ぼすことにもなり得ると私は考えます。
本来の「民主主義」とは、そういうものではないかと思います。
このような市民のつながりが、結果的に地域主権を自然と形成していくような気がします。
国は地域の集まりで、そして人の集まりが地域社会を作るのですから。
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登録日:2011年 04月 26日 04:27:12

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