2006年 10月
ラジオ
国民投票、コソボ自治州をめぐる新憲法の承認を問う - セルビア
【ベオグラード/セルビア 28日 AFP】セルビアで28日、コソボ(Kosovo)自治州をセルビアの一部とする新憲法承認への国民投票が始まった。コソボ自治州内の多数派であるアルバニア系住民は、独立を求めている。投票は2日間実施され、660万人の有権者らの半分が支持表明すれば、新憲法は承認される。有権者らは、「新憲法を承認しますか」という質問に、「はい」か「いいえ」で投票する。写真は同日、ベオグラード(Belgrade)から南へ330キロ、民族間対立で割れるコソボ自治州北部の街、ミトロビツァ(Mitrovica)で国民投票のために開設された投票所。(c)AFP/DIMITAR DILKOFF
先日、国会放送をカーラジオで聴いた。
あえて言うまでも無く、運転中に。 いや、車は所持しているがラジオは持っていない人もいるであろうし、中にはそれが常識になっている恐れもある。 あえて言おう。 そういう自分も停車中の車内でかなり長い時間、ラジオを聴くことがある。 特別なオーディオ機器搭載のとてもカッコイイ車に乗っているため、わざわざ家から駐車場までラジオを聴きに行くわけでは決してなく、走行中に聴いていたラジオ番組のエンディングまでを、目的地に着いた後、エンジンを切った車内で聞き続ける。 よくある話といっても過言では無いのでは。 で、「ラジオの聴き方色々」は今日のテーマとなんら関係が無いので、そろそろ本題に移るとしよう。
おそらく、聞いた方、見た方も多いとは思うが、今回の国会での議題は憲法改正に向けた整備についてのことであった。 所謂、国民投票に向けたルールの制定。 改憲そのものの内容についてちらほらと耳にする機会が増えているので、それに向けたルール決めを急いで進めているように見えて仕方が無い。 あたかも、もう改憲を行うこと自体は決まっており、それに合わせるかのような後手後手の行動はどうかと思う。 それも話し合いの内容を聞いてさらにびっくり。 改憲に最低限必要な国民投票における全国民の3分の2の賛成、そして最低投票率の項目を都合の良いようにいじろうとしているではないか。 それを耳にする一国民からすると、「えー、憲法ってそんなに簡単に変えられるものなの」となる。 それというのも、全国民の3分の2の賛成を「有効投票数の3分の2」に変えるというのである、最低投票率を設けずに。 只でさえ慎重にならなくてはならない改憲に対して、あまりにもハードルを下げすぎなのでは。 例えば少し大げさかもしれないが、全国民の内、20人が投票して、そのうちの5票が白票なり無効票だったりするとしよう。 するとどうであろう、有効票は15票となり、賛成に投じた人間が10人居ればその時点で改憲となる。 もちろん、全国民の20人しか投票しないこと自体考えにくいが、最低投票数を設けない以上これはこれでアリなのである。 とてつもなく恐ろしい話ではないか。
放送を聞いてはじめて解ったことではあるが、この改憲に向けた国民投票の実施まで2年の猶予をとるようであるが、それまでの間、賛成派、反対派ともに国民に対する呼びかけを行うこととなっている。 しかし、ここでも理解に苦しむ項目が盛り込まれていた。 改憲賛成派、反対派の議員数によって、国民への呼びかけの媒体であるメディアや広告、パンフレット内での枠が決定されるというのである。 これはどう考えてもおかしいのではないか。 投票するのは国民であるし、双方の意見をしっかりと聞き、考えて行動しなくてはいけないのに、はじめから片方の意見を押し込まれて、少しだけ逆の意見を聞くチャンスがあるだけであると、公平な判断が出来なくなるのでは。 こればかりは、議会を構成する議員の数は関係も無く、見方を変えると、民主主義の仮面をかぶった別のものと思われても仕方が無いのでは。 現在のところ、反対を表明しているのは共産党と社民党のみで、この2党による議会での議員数は微々たる物で、4パーセントにも満たないという。 100分枠の国民に向け呼びかけ番組が組まれたとしよう。 96分間は賛成派の意見が垂れ流され、残りの4分で反対派が時間に押されながら早口で多くのことを羅列する。 聞いているほうとしては、何が何だかわからないうちに反対派の時間がいっぱいとなってしまうだろう。 ここまでくると、何を基準に公平の定義を決めているのかも解らなくなってくる。 まあ、この件に関しては、これから少しずつ煮詰めて少しでも傍目から観ても公平になるように努力するとの事であったが、そんなもの努力も何も無く、はじめから50・50で臨まなければいけないのではと思う。 あくまでも決めるのは国民であるし、そのための国民投票ではないのか。
もう一度、憲法とはなんであるか、そして憲法と国民との関係性を考え、その定義をしっかりと踏まえた上での議論を進めてもらいたいものである。 国民投票を本当に行うことになるのであれば、その憲法の定義をしっかりと掲げ、改めて投票を促すようにしてもらいたい。 国が国として成り立っているのは国民の存在があるからとのボトムラインを忘れないで欲しい。
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登録日:2006年 10月 30日 14:11:27
「マリーア」
【ハイデラバード/インド 22日 AFP】ホワイトタイガーは個体数が少ないため、野生で見られることはまれで、ほとんどは動物園で飼育されている。動物園ではホワイトターガーの寿命は約20年と言われている。写真はハイデラバード(Hyderabad)のNehru Zoological Parkで22日、檻の中であくびをする生後20か月のホワイトタイガーKapila。(c)AFP/NOAH SEELAM
昨日の晩から新しい家に入っている。 まだ住み始めとは言い難いレベルの話であるが、とにかく引越しをした。 形だけではあるが、一応はメデタシ、メデタシである。 しかし、引越しのための準備を進めているころは、「ココハコウシテ、アソコハソウシテ」などと、一生懸命プランを立てることに愉しみを…などと、以前書いたのだが、一旦引越しを始めてしまうと、今度は片付けに追われてしまいそれどこでは無くなってしまう。 住処を気持ちよくするために、自分の心との戦いがここに潜んでいるとは思いもよらなかった。 心を折らずに少しずつで良いのでがんばって進めて行きたいと思う。
しかし、その面倒な引越しは速やかに終わらせなければいけない。 というのも、近いうちに動物を引き取ることになっているのである。 それも複数匹。 前にも書いたが、幸運なことにこの家には十分な広さがあり、自分ら以外の生物と共存することが可能な仕様となっている。 特に屋上がこの件には大きくかかわっており、もし犬を引き取ることとなっても、ある程度の自由を与えることができる。 予定としては、はじめに猫を引き取ることとなっていて、来週にも「お見合い」をすることとなりそう。 以前にも猫や犬などを引き取った経験はあるが、今回のようにお見合いを行うことは未経験で、実は少しドキドキしているのが現状。 動物とのお見合い。 自分にとっては未経験なことではあるが、このような形をとることは、動物の里親となる上ではそう珍しいことではないらしい。 はたして、「結構なお見合い日和で」などと、言葉を交わすことを考えただけでなんだか可笑しくなってきてしまう。
ペットのために家の改造をしたり、それこそペットのために家自体を設計するほどペットを溺愛する人間の存在はよく聞く話。 いままで、他人事のように聞き流していたことではあるが、今回の引越しで、実は自分たちもそう変わりはないことが判明した。 実際のところ、いろいろなプランを立てる上で、動物にとっての安全を最初に考慮して決定することもある。 もちろん、それほど経済的に恵まれている環境にはないので、純金製の寝床を特別注文などしたりはしないが、できるだけのことはしてあげたいと思う。 ちょっとした親心に似たものかもしれない。 とにかく早いところ落ち着かないと、動物を引き取ることもままならないし、いざ引き取ったとしても、今度は動物が落ち着かないであろう。 引き取られた先が修繕作業の途中だと、ただでさえ落ち着かない新しい場所での生活に慣れたくても、そうできないのが現状となってしまう。 そうなっては幸先のいいスタートを切ることはできないだろうし、新しい場所に慣れることができないがために家に寄り付かなくなり、ちょっとした「非行動物」となってしまう、最悪のケースも想定できる。 例えば…
知人: 最近どう、お宅の動物? 可愛くて仕方がないんじゃないの?
自分: いやー、あいつ家に寄り付かなくてさ。 最近、見ていないんだ。
知人: やっぱり、まだプチ家出の癖が直ってないんだ。
自分: ウン、やっぱりあの時、カウンセラーにちゃんと相談しておくべきだったよ。
二人: (ため息) はぁ…
などと、このようなことになっては大変なので、大事に至る前にしっかりと対処しておかなくてはならない。 そのためにも、早急に引越しを終わらせ、ちゃんと落ち着いた状況を整えてお出迎えをしてあげないと。
待っていてね、マリーア(猫に付ける予定の名前)。 ちゃんと君を幸せにするからね。
Art of マリーア
まだ見ぬマリーア
想像でしかないが、君にはこの名前がぴったりなはず
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登録日:2006年 10月 26日 12:18:40
バランス
【クアラルンプール/マレーシア 3日 AFP】太陰暦であるイスラム暦9番目の月に始まる断食月「ラマダン(Ramadan)」は、世界中のイスラム教徒にとって内省と祈りの期間である。ラマダン期間においてイスラム教徒は日の出から日没まで断食、禁欲を行う。写真は2日、クアラルンプール(Kuala Lumpur)で、その日の断食後の食事のため販売される食品。(c)AFP/Aamir QURESHI
今週、久しぶりに風邪をこじらせて寝込んだ。
風邪をひくと、急に訪れる食欲減退によって気付くことが多い。 今回も、「あれっ、何か変だぞ」と思い、体温計を腋の下に挟んでみると38度+を示しており、なんとなく感じていたフラフラ感と関節の痛みの源を知ることとなった。 しかし、病気になって何が一番悔しいかと言えば、周りの人間がここぞとばかりに普段の生活態度における落ち度を指摘してくることである。 「もうトシなんだから昔のように無理は利かない」などと言われた日には、そんなことは言われなくても解っていると大声で言い返したくなるのであるが、その時点ではもうそんな余力も残って居ない。 素直に「ワカリマシタ」と頷くばかりである。 実に口惜しい。 まあ、体が言うことを聞かなくなり、倒れるまで気付かない自分の体質を恨む以外に仕方が無い。
しかし、体の調子を崩し、寝込んでいる時にいつも思うことではあるのだが、我々人間は体の末端まで縦横無尽に敷き詰められている神経の存在を、健康な状態では忘れがちになっているような気がする。 当たり前の様に動く体のパーツが、一旦、その調子を崩すとそれが当たり前ではなくなり、ちょっと動くことに対しても億劫になるのもそうだが、その分、体中の神経一本、一本にまで意識が到達するようになり、普段、忘れがちになっている神経網の存在に気付く。 それはあたかも、これ以上の細菌の侵入を拒むべく体内においての厳戒態勢が敷かれているよう。 体はだるいし、頭もぼーっとしているのに意識だけはいつも以上に働いている感があり、このような状況下では、体だけではなく自分の脳神経までもが変になってしまったのではないかとの不安に襲われる。 しかしながら、脳細胞にまでも侵攻してきた風邪菌を恨めしく思ったりしながらも、実は普段体験できないこのような感覚を半分楽しんでいる自分もそこには存在し、あながち病床に臥すことは悪い事ばかりでは無いのではとの錯覚にも陥ってしまう。
このように、自分の体内で起きている事への対処で精一杯になっている時、外部からの情報にはうまく対処できない。 病気になり、周りで気遣ってくれる人間が発する言葉が言葉としては伝わってこず、耳の奥の方、もしくは脳みそのどこかで、只単にビンビンと鳴り響く音となり、対処不可能となる。 こんなことを書くと、とてもひどい奴だと思われてしまうかもしれないが、体は正直に反応するので仕方が無い。 これと似たようなケースに前にも一度、接していることを思い出したので書いてみたい。
半年ほど前の話になるが、学生時代からの友人と久しぶりに食事をすることとなり、食べ放題の店に出向くこととなった。 学生時代は二人とも大食いで、方々の食べ放題の店を回った(ある意味、荒らしまわった)ものであるが、このときもその感覚での食事となった。 よせば良いものを、「昔とった杵柄」で二人ともに調子に乗り、店側にとっては只単に迷惑としか思えないような量を頼み、片端から平らげていった。 まあ、食べ放題をうたっている以上、迷惑などとは微塵にも感じてはいないであろうが、やはり大人気無い。 そんな「大人気無い」行為に対しての罰であろうか、終盤戦において二人ともかなり限界に近づき、楽しいはずの食事が少しずつ試練へと変貌しつつあった。 しかし意地とプライドが許さなかったのであろう、結局、友人は全てを平らげ、その勢いでデザートまでも注文した。 その行為が、後にとんでもないことをもたらすとは露知らず。
何とか無事に食事を終えたと思ったその矢先、友人の様態が急変した。 その食事の席に同席した数人の目の前でその友人が急に黙りこくり、苦しそうな表情で脂汗を流し始めたのである。 これはヤバイと思い、「大丈夫か、トイレに行こうか」などと皆で声を掛けるも、その友人は、目をつむったまま、「そっとしておいてくれ、ほっておいてくれ」と言わんばかりのジェスチャーを、力の入らなくなっているであろう右手で懸命に行い、周りの人間をフリーズさせる。 しかしながら、その場所はレストラン。 放っておくわけにはいかず、何とかしようと手を差し伸べるも、返ってくるのは拒絶するしぐさのみで、終いには周りの人間に「少し黙っていてくれ、静かにしてくれ」と要求してきた。 これにはどう対応していいのかもわからず、皆であたふたとした。 約30分後、少し回復の兆しを見せた友人は、無事に帰還することに成功。 なんとか事無きを得た。
このときの友人の「ちょっと黙っていてくれ」を今回の風邪で自分もなんとなく理解できたような気がする。 なぜ、体の調子を崩すとこのような神経過敏な状態になるのかはよく解らないけれども、少しでも神経に異常をきたすことによって、人間が人間として機能しなくなることが良く解った。 本当に微妙なバランスにおいて、人間は成り立っているのであろう。
Art of バランス
人間としてのバランス
そして、自分のバランス
人にはそれぞれ違うバランスが備わっている
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登録日:2006年 10月 13日 20:02:29
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【東京 27日 AFP】テレビネットワーク局6社は26日、ラジオ・地上デジタル放送用の電波塔「第2東京タワー」の建設地を、東京都墨田区の貨物跡地に決定した。2010年の完成を目指す。高さは世界最高となる約600メートルの予定。写真は、墨田区が公表した第2東京タワーのコンピュータグラフィックス。(c)AFP
前回の続きではあるが、今回も家の工事について少し書いていきたいと思う。
そろそろ、必要な部分での工事が終わる。 言い換えれば、ここさえ出来てしまえば「居住可能」的な基本レベルに近づいてきた位の最低限の部分が終わりに近づいてきている。 正直、ここまでの工事にはあまり「愉しみ」を感じることが出来なかったのが事実で、お楽しみはこれから。 前にも書いたとおり、建物自体からのインスピレーションを旨く汲みつつ、手を加えていく作業がとうとう始まる。 土台は出来た、これからは色づけ作業が始まる。 リビングルームの家具作りとその配置、3階のオフィス的スペースの構築、そして実作業はおそらく来年の春になるであろう気持ちの良い屋上に手を入れること。 他にもスタジオスペースでの作業など、細々とした無数の項目は残ってはいるものの、これらはどれも苦痛ではない。 苦痛どころか、手を入れたくてウズウズしている。 しかし、どれもこれも住み始めてからのフィーリング次第なので、この時点での次の作業はまだ決まっていないのが現状であるのも事実。 それで良いのである。 頭の中で色々と考え、プランを立てるのは自分たちにとって賢明ではない様な気がして仕方が無い。 見る事、そして感じることを基本に少しずつ進めて行きたい。
前回、触れることは無かったが、建物と同じ位に大切なものはやはり地域性ではないであろうか。 引越しをする際、まず先にエリアを決める人も少なくは無いと思う。 自分たちもその口であったことも否めない事実であるし、たまたまそこに探しているモノにしっくりくる物件が見つかっただけ。 東京の下町で町工場が立ち並ぶこのエリアには、なぜだかゆっくりとした時間が流れている。 こう表現してしまうと、とても月並みな感じがして嫌なのであるが、実際にその場に居ると、やはりそれを感じる事が出来る。 そこで、このゆったり感の出所を考えてみた。 思いついたエレメントは「人」。 まだ本格的に住み始めたわけではないのでさわりの部分しか解らないが、やはりそんな気がする。 近所の人以外にも、工事の最中にご飯を食べに行った先などで色々な人間に出会ったが、みんな「気が良い」のである。 店の人だけではなく、そこに居合わせる人間も含めてみんな「ウェルカム」の姿勢で臨んでくる。 が、しかし、実はそのやりとりは少しプロセスを踏むというか、単純明快ではなく、ほんの少しだけ複雑な人間心理を表しているように思える。 またそこがなんとなくすばらしく、おもしろく、そしてちょっといとおしいのだが。
実を言うといわゆるここらへんの「下町」の人々は、初対面から、よく日本人のイメージする「スーパーフレンドリーなアメリカ人」のように両手を広げてウェルカムな訳ではない。 初めは「よそ者」(多分服装、態度、言葉使い、はたまたオーラ? などでバレるのだと思うが)に対して、ある程度の距離を持ってやり取りが行われる。 つまり、「店」や「客」などの役割からはみ出さないような言葉だけを交わす、よくある東京近郊で目にする光景だ。 が、こちらが「いや〜、今度こっちに引越ししてくるんですよ〜」 「ここらへんはあれっすね〜」などのメニューの注文のやりとり以外の言葉で話しかけると、途端に手のひらを返したように態度が変わる。 「あ〜、そう、よろしくね〜、 はい、タンメン一丁」だけでは終わらない。 始めは「どこから来たの?」や「何してるの?」などのこちらへの興味に始まり、はてには「この店は親父の姉がはじめた店で、戦前からやってるんだよね〜」で「ま、いつでもいらっしゃいよ」と続き、そして、気が付くとお店の人だけではなく、常連さんも席を移動してこの会話の輪の中に加わっている。 「ウチは商店街でパン屋やってんだ」 「あれ、商店街わかんない?」 「ま、越してくりゃそのうちわかるさ」 「近所じゃ有名なんだよ〜」 など、など、などである。
もちろん、このケースが全ての人に当てはまるとは到底思えないが、短期間でこの手の人間にこれほど遭遇することは今までそう無かったし、そこにはやはりこの地域特有の「地域性」が存在するとしか思えない。 とても気持ちのいい人間が集まっている。
先日などは、作業後に訪れた居酒屋で、映画「男はつらいよ」の一場面を切り取ったような光景に出くわした。 出くわしたというより、そのシーンのキャストとして出演させて貰ったと言った方が正しいかもしれない。 もともと、その場に居合わせた客たちは顔なじみらしく、みんなでガヤガヤとやっていた。 そこに自分たちが割り込んで行った訳なのであるが、食事が終わる頃にはそこに存在していた全ての人が「友達」の輪のようなもので結ばれていて、終いには、メルアドの交換までもが行われ、老若男女入り乱れての合コンのようになっていた。 いや、合コンと言うよりは、とにかく無礼講無礼講、の長年の友人同士のような気の置けないもの同士との飲み会である。 本物の自分の家族とも友人ともこんなに腹をかかえて笑ったのは、久しく無いのではないだろうか。(それはそれで、少し悲しいが…) とにかく、人と人との繋がりをしっかりと感じられる夕食であったし、楽しい時間には「時間の概念」を忘れさせる作用があることも再認識させて貰った。
そんな素晴らしい時間の流れる場所に住めること、本当に嬉しく思う。 この感謝の気持ち、一体誰に向けてよいのやら。
Art of 「ウェルカム」
… Come on in … Thank you!
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登録日:2006年 10月 07日 11:27:12
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- 加賀美豪 と 牧谷光恵
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