ジンガ

ワールドカップも残すところ後2試合のみとなってしまったが、正直このような展開を見せるとは誰も思ってはいなかったのでは。よく言えば、経験値がモノをいった結果だし、悪く言えば、ある意味において尻つぼみとでも言えば良いのか。僕自身、大会前からアルゼンチンの活躍を期待していたし、グループリーグ、決勝トーナメントともに期待通りの試合をしてくれた。少なくとも、最後の対ドイツ戦での監督の采配を除いては。後半20分にローマンを下げる行為、あれはいったい何だったのであろうか?残り時間を考慮しても、守りきって準決勝進出をそのまま決めるのは難しい。特にアルゼンチンのプレースタイルを考えるとなおさらである。

今大会、屈指の層の厚さを誇るアルゼンチンではあったが、「個」の能力にのみ頼ることは決してなく、あくまでも「チームプレイ」に徹していたように見えた。それは観ていてとても気持ちの良いサッカー、そして「正しい」サッカーとして見受けられた。しかし、そのチームサッカーの要となるローマンことリケルメを下げてしまっては自分たちのスタイルを自ら壊すようなものである。どんなスポーツでもそうだが、「相手をリズムに乗せない事」とは、試合を有利に進めるための第一条件だし、試合のペースを掴むことにより、普段の練習どおりに慣れ親しんだ「形と流れ」を思う存分発揮するために必要不可欠なエレメントなはずである。そんなせっかく手に入れたリズムとペースを自ら相手チームに献上してしまうとは、観ている側からすれば理解不能な行動以外の何物でもない。

そんな中、自分の中でほぼマークされていなかったチームがこの「リズム」を大切に終始試合を進めていた。メキシコである。マルケスを中心にボールが目まぐるしく動き、いや、ボールだけではない。各選手はもちろん、その選手たちの役割までもが目まぐるしく変わり続けるサッカーをしていた。ゲーム中、数秒前まではディフェンスに徹していた選手が次の瞬間には中盤、サイド、そしていつの間にかまたディフェンス、もしくはフォーワードの位置についているではないか。こう書いてしまうと、まるで小学生が体育の時間にやるボールの周りに群がるあれを想像させてしまうかもしれないが、メキシコのサッカーは決してそうではない。どんどんポジションが入れ変わり、その空いてしまったスペースに変わりの選手がすかさずカバーに入り、これでもかって程に流動的なサッカーを繰り広げる。本当に「目まぐるしく」という言葉がしっくりと来る。そんな自分たちのスタイルを最後までやり抜き通しても結局は負けてしまったが、自分たちのリズムを崩さず、そのリズムを信じ続けるその姿勢はとても気持ちの良いものであったし、スポーツという枠を超えた部分で何か大切なものを教えられた気もする。

「信じ続ける」ことの難しさ
アルゼンチンの層の厚さを持ってしても途中敗退してしまったのには、実はこの部分が大きく関係しているように思えるのであるが、さて本当のところはどうなのであろう。超一流の選手層とその各エレメントを余すことなく使いきる名シェフことペケルマン監督。しかし、彼は最後の最後で本質の部分での「味」そのものよりもレストランの持つ「星の数」にこだわったようにも見える。「味」とは、有名レストランが有名であらんとする理由であり、レストランの顔そのものである。いくら有名なシェフが居て、どんなにすばらしい食材を仕入れることが出来ようとも、自分たちを信じてすべてを使い切りらなくては意味の無い話である。自分たちを信じて進んできたからこそ、有名レストランとして確立できたのであるし、アルゼンチンが強豪チームとして名を馳せることが出来たのである。信じることを止めること、すなわちそれは、勝負を捨てることを意味することなのかもしれない。僕らが生きていく上で信じることを投げ出すことはこれと同じで、生きることを止める事であるような気がする。

先日、「ジンガ」なる映画を観た。ブラジルでのサッカーについての映画である。今大会のブラジルの成績、そしてチームの姿勢を考えるととても皮肉に思えてくる映画となってしまったが、この映画の中でとても印象に残る一言があった。

人にはそれぞれジンガがある。一人一人が違うジンガを持っている

結局、最後までこの「ジンガ」なるものに対する言葉での説明は無かったものの、(少し乱暴な書き方をする事になるが)大まかに言って「人生観」や「生き方」のようなものだと僕は感じた。ここでのこの映画に関する説明や感想はあえて避けさせて貰うとして、僕はこの「ジンガ」を今大会、メキシコチームからもっとも良く感じ取ることが出来たと思う。途中で敗退してしまったものの、やはり一番格好よく、そして少し大げさだが、尊敬できるサッカーチームであった。信じることを最後まで諦めない格好よさがあった。


Art of 「ジンガ」
信じることを止めたときに全てが水の泡となる。
信じ続けること、それが「ジンガ」なのであろうか?

人にはそれぞれ「ジンガ」が備わっているらしい。
では、僕等のそれは一体何なのであろうか?


もしかして、
…いつものあれか?

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登録日:2006年 07月 09日 01:19:48

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