2006年 09月

なぜ哀愁のリスボンか?

8月の失業率は4.1%で7月と変わらず - 東京

【東京 29日 AFP】総務省の発表によると、8月の完全失業率は7月と変わらず4.1%となり、1998年4月以来の低水準となった5月の4.0%をやや上回る数値を維持している。写真は都内で29日、出勤するビジネスマン。(c)AFP/TOSHIFUMI KITAMURA

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【ファドと地唄舞】
「哀愁の京都」と呼ぶ人はいないだろう。しかしなぜか、ポルトガルの首都リスボンに関しては、旅行会社の宣伝文句では「哀愁のリスボン」である。狭い通り、どこまでも続く坂道、そしてファドの哀しげな歌声などからくる印象なのだろうか。今月、休暇をとって1週間、リスボンで過ごしたが、哀愁とは程遠い、明るく、のびやかな街である。近代的なビルは見るに耐えないほど醜悪だったが、旧市街の中心は色鮮やかなタイルで飾られ、壁の色は、ワイキキのホテル・ロイヤルハワイアンのようなピンク色だったり、もっと濃い赤色だったり、カラフルで美しい。道はすべて石畳で、東京の味もそっけもないアスファルトの道とはまるで違っていて、歩いていて心が軽くなる。それなのにどうして「哀愁のリスボン」なのだろうか?夜は定番のファドを聴きにいった。ファドの調子も、歌い手も物悲しげであるが、じっと耳をすませていると、日本の地唄舞「雪」を思い出させた。地唄舞「雪」は武原はんの舞で有名になった。雪の降るなか、恋しい男を思いやる女性の情感あふれる舞である。ファドの多くは恋の歌であるので、両者はとても似ている。哀愁というセンチメンタルな言葉で表現しきれない、壮絶なまでの人間の情念の美しさをぼくは感じた。その美しさはジェロニモス修道院の回廊にも感じられた。

【べレンの塔とポルトガルの精神】
リスボンに行こうと決心したのが、今年の初めだが、それまではリスボンは海に面した港街だと信じて疑わなかった。観光案内でリスボンの地図を見たら、なんとテージョ川という大河の河口に近い港街である。その点でロンドンやニューヨークのマンハッタン島に似ている。帆船時代、直接海に面した港よりも、河を少しさかのぼった地点にあって、外敵の攻撃や嵐から船を守りやすかったのだろう。日本の江戸も東京湾の奥深くにあり、港を成立させている条件は同じである。リスボンの中心地区から河口に近いところにベレンの塔がある。この塔周辺から、ヴァスコ・ダ・ガマはアフリカの最南端をまわりインド航路を切り開いたのである。彼がインドから大量の香辛料をポルトガルにもたらし、ポルトガルは一挙に世界で最も豊かな国になるとともに、香辛料貿易で繁栄していたオスマン帝国の経済力が衰退し始める。ヨーロッパ諸国の植民地経営が本格的に開始され、世界史が大きく変わるきっかけをヴァスコダ・ガマの航海がつくった。ヴァスコ・ダ・ガマが出航したときは、ベレンの塔はまだなかった。真っ青なポルトガルの空の下、見送りの人たちの歓声が沸き起こる中、4隻の船隊が、ゆっくりとテージョ河を下っていく風景が目に浮かぶ。待ち構える危険をものともせず、インドに向かったポルトガル人の強靭な精神に思いをはせるとき、リスボンに哀愁という言葉は似合わない。

【そして 東京】
リスボンから帰国し、東京の街を歩くと、どうしようもなく心が貧しくなる。北京の紫禁城、ローマのバチカン、京都の桂離宮に共通するものは、建物に銭勘定の影が感じられないことだ。東京の現代建築群のほとんどは、収益と費用のやりくり算段のいやしさを感じさせてしまう。ニューヨークの建物も同じ雰囲気があるが、こちらは資本主義の牙城という気迫があり、東京よりもまし。東京の建物群は個性もなく、豪快さも、美しさもない。無秩序で貧しい町並み、乾ききったアスファルト、青空をさえぎる高速道路。東京の街のほうがよっぽど哀しい。哀しくて、醜い。年寄りの駄洒落は禁物だとは思いつつ、東京にふさわしいキャッチフレーズは「哀醜の東京」だと思う。

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登録日:2006年 09月 30日 18:37:58

いつも張り切っているわけにはいかない

<MLB>松井秀 復帰第2戦目は無安打に終わる - 米国

【ニューヨーク/米国 13日 AFP】MLB、タンパベイ・デビルレイズ(Tampa Bay Devil Rays)vsニューヨーク・ヤンキース(New York Yankees)。前日の試合で4ヵ月振りの復帰を果たしたヤンキースの松井秀喜(Hideki Matsui)は、快音は聞かれず3打数無安打に終わった。試合はア・リーグ東地区首位を独走するヤンキースが8-4で勝利を収め、連勝を5に伸ばした。(c)AFP/Getty Images Jim McIsaac

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【オリンピックの終わった年】
オリンピックの終わった直後のシーズンに活躍する選手は、次のオリンピックでメダルをとる確率は高くない。世界のトップアスリートは休養の年だからである。スピードス

ケートでいえば、2006年10月から2007年3月までのシーズンの記録は、2010年のバンクーバー・冬季オリンピックの予測するには、ほとんど参考にならない。オリンピックは心

身ともに想像以上に消耗するので、回復に1年くらいかかるし、オリンピックで活躍した選手の何%かは引退し、まったくの新人も登場する。調整シーズンという認識が各選手

ともにあるので、新しいスキルやトレーニング方法を実験する年でもある。調整シーズンは、オリンピック参加競技なら、程度の差があっても存在する。勝負はオリンピック

開始2年前から始まる。柔道やレスリングでいったん引退した選手が、現役のカムバックするタイミングとほぼ合致する。引退すると完全休養ができて、充電したての電池のよ

うになり、以前にもましてパワーアップしてオリンピックに臨めるのだと思う。

【ナポレオンの悲劇】
ナポレオンがイタリア遠征で華々しく歴史の表舞台に登場してから、ロシア遠征まで、彼の生活は毎年オリンピック競技に参加するような、修羅場の連続だった。平均睡眠時

間が3時間だったという伝説がある。おまけに女性関係も派手だったから、睡眠時間はさらに短縮されたのではないだろうか。さすがの天才も、スペインに侵略する頃から決断

の質が低下し、ロシア遠征では、往年の輝きはみられなくなる。エルバ島で受電できたはずだが、ロシア遠征の失敗で彼のエネルギーは使い果たされたのだろう。ナポレオン

はついに輝きを取り戻せずに歴史の舞台から姿を消してしまう。30代後半で、途中引退期間があり、心身の休養ができていたら、ロシア遠征の失敗はなかったのではないか。

【途中引退か、流刑生活か】
人間は人生の半ばで、長期の休養をしたほうが、トータルから見れば、充実したキャリアをまっとうできると思う。マッキントッシュの創始者スティーブ・ジョブズも一度は

経営の第一線から身を引き、アイポッドを引っさげて見事なカムバックを果たした。ロシア革命を指導したレーニンは、途中でシベリアに流刑され、読書とチェス三昧の生活

を送っている。 若くしてビジネスで成功した人も、そのまま経営トップを続けないで、どこかの時点で経営から身を引き、風月を友として、心身を休めたほうが、そのあと

の人生でさらに大きな飛躍ができるのではないだろうか。長すぎる休養期間も問題だが、不遇のときは焦らず、充電期間と考え、人間としての基礎をもういちど固めなおした

ほうがよい。ライブドアの堀江さんや、村上ファンドの村上さんも、人生はこれからである。しばらくは死んだふりをして、次の飛躍の備えたほうが得策だ。

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登録日:2006年 09月 14日 22:12:09

The time to say good-by

<06全米オープン・テニス>男子シングルス、アガシ 3回戦敗退で引退の花道飾れず - 米国

【ニューヨーク/米国 3日 AFP】全米オープン・テニス2006(the US Open Tennis Championships 2006)・男子シングルス3回戦。今大会を最後に引退を表明している米国のアンドレ・アガシ(Andre Agassi)は、ドイツのベンジャミン・ベッカー(Benjamin Becker)と対戦。アガシはセットカウント1-3(5-7、7-6、4-6、5-7)で敗れ、引退の花道を優勝で飾ることができなかった。(c)AFP/Getty Images Jamie Squire

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【スポーツ選手は引退後のことを考えたがらない】
Jリーグをはじめ、自分のキャリア・デザインができるような教育をスポーツ選手に受けさせる試みが始まっている。たいていのスポーツには引退があり、引退後の生活設計を現役のときからやっておく、という考えは、誰も反対できないくらい当たり前だと思うのだが、スポーツ選手はあまり好まない。現役中は競技に専念したいので、引退後の生活など考える暇がないという理由を挙げる選手が多い。しかし、いざ引退となると大慌てになる。20歳代で引退した選手は、競技生活は完全燃焼できなかった人が多いが、引退後の再就職は容易である。30歳以降に引退したときは、転進する選択肢がぐーんと狭まられる。おそらくアスリート、とくにプロのアスリートはそのことを百も承知なのだろうが、キャリアについて考えさせる研修をありがた迷惑と考えているようだ。あたかも私たちが「死の準備教育」を敬遠したくなるのと同じである。引退はスポーツ選手にとって、自分のアイデンティティのよりどころがなくなるという意味で、限りなく自分の死に近いものかもしれない。私たちがひそかに抱いている「不死の願い」は常に死をもって終わるように、アスリートのひそかな願い「永遠に競技場で輝き続ける」は、引退をもって終止符をうつ。

【スポーツ選手の幻影】
最近は、比較的地味な競技の選手でも、テレビのバラエティ番組に出場したり、雑誌に登場する機会が増えた。純粋な報道番組にもコメンテーターやレポーターに起用されることも多い。ニュースキャスターとして、引退後も華やかに活躍する人も増えそうだ。しかし、引退後もレギュラー番組を持ち、安定した生活を送れる人はごく僅かである。広告代理店の計算では、金メダルをとった選手が世間の目をひきつけられるにはせいぜい2年とされている。従って現役時代がいくらマスコミからちやほやされても、現役という期間限定付き「ちはほや」と冷静に割り切るべきだ。「ちやほや」された挙句、タレントになろうなどと考えないほうが身のためである。、もしタレントになろうと真剣に考えているならば、現役中から俳優や歌手として必要なきちんとしたトレーニングを受けるべきだろう。

【キャリアをどう考えるべきか】
スポーツ選手のキャリアを考えるとき、たいへん参考になる選手がアメリカに多い。トリノで金メダルをとったスピードスケート選手のジョイ・チークは政治家になると宣言し、さっさと引退した。オリンピックでスピードスケートの全競技で金メダルをとった不滅の名選手エリック・ハイデンは21歳で引退し、医師の道に進んだ。水泳の7種目のゴールドメダリストのマーク・スピッツも歯科医になった。個人の自律をと大切にするアメリカの伝統と、必要なとき、何歳からでも教育を受ける機会があるアメリカの大学進学の仕組みがあればこそであるが、日本でも今後は見習うべきだと思う。人生とトータルで考え、短い競技生活はその一部に過ぎないことを中学くらいから、スポーツ指導者は選手たちに教えたほうがよい。かってオリンピックの優勝者をたたえたピンダロスの詩句のよう、アスリートはひと筋の光を求めて「ただ1日を生きる者たち」であり、光をみれなくなったあとは、別の長い人生が待っている。

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登録日:2006年 09月 05日 21:56:42

自己実現症候群

<サッカー ダノン・ネーションズ・カップ>ベスト・プレーヤー賞を受賞した少年を祝福するジダン - フランス

【リヨン/フランス 3日 AFP】06サッカーW杯を最後に現役を引退した元フランス代表のジネディーヌ・ジダン(Zinedine Zidane、右)は、仏大手食品関連企業・ダノン社(Danone)のフランク・リブーCEO兼会長(Franck Riboud、左)と共に、FIFA公認の10歳から12歳の子供達が参加する国際大会、ダノン・ネーションズ・カップ(Danone Nations Cup)でベスト・プレーヤー賞を受賞した少年を祝福する。
≫続きを読む…
(c)AFP/JEFF PACHOUD

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【隠者の話】
隠者という言葉は若い人たちの間ではもう使われなくなっているのではないだろうか。人里はなれたところにひっそりと住み、瞑想にふけったり、お祈りをしたりして、生涯を送る人のことである。定職につかず、小さな庵や洞窟で、一人で暮らしている。自分の部屋から出ないで、社会との接触をたっている「引きこもり」の人たちと生活形態は良く似ているが、隠者は自活しているところと、深い思索や厳しい修行をしている点で、「引きこもり」の人たちとは違っている。河合隼雄先生の話によれば、悟りをひらいた人は、すばらしい人格者だが、たいていは世俗的な仕事がまったくできなくなる(たとえば家庭生活を営むとか、会社勤めをするとか)ということで、社会的な適応能力が衰えることに関しては、隠者と引きこもりの人たちと共通しているのかもしれない。「引きこもり」は社会問題化しているが、隠者は、本場のインドでも困った問題と考えられていないのは,両者がともに生産的な存在でないことでは共通しているので、不思議といえば不思議である。

【自己実現は高くつく】
心理学者のユングは「自己実現は高くつく」という名言を残している。自己実現を「こころの奥底からやりたいと思う使命を見出し、その使命を果たすこと」と定義する。日本の歴史で自己実現をした人として、歌人の西行をあげたい。西行法師は妻子を捨て、所領を捨てて出家し、歌の道ひと筋に生きたのだから、彼の自己実現はおそろしく「高く」ついている。西行絵巻には、西行の出家を必死に止める妻子の姿が描かれていて、西行自身は満足だったかもしれないが、妻子にとって、西行の自己実現は極めて迷惑な話であったに違いがない。こころの奥底からやりたいと思う使命を発見するのは至難の業で、魑魅魍魎が住み着いた私たちの潜在意識を潜り抜けなければならず、その過程でとんでもない偽者をつかまされる危険も高い。そのような場合は、自己実現ができないばかりでなく、自己破壊を引き起こしてしまうかもしれない。昔、自己啓発セミナーの主催者が、死者をよみがえらせる能力があると言い張って、大きな事件を引き起こしたのも、自己破壊の例ではないかと思っている。安易に潜在意識などをもてあそばないほうがよいと思う。

【自己実現はエクセレンスへの唯一の道ではない】
自己実現をしないと幸せにならないとか、せっかく生まれてきたかいがないと思うことには、賛成できない。心理学ブームが到来し、自己実現とか自分探しなどの言葉が日常的に使われるようになった。自己実現に関する書物がたくさん出版されているのも、自己実現に対する関心の高さのあらわれだと思う。ぼく自身は、自己実現できるに越したことはないが、できないからといって悲観することはないと思っている。毎日誠実に仕事をすること、周囲の人からサポートしてほしいと頼まれたら、ベストを尽くすということを守っていき、その結果として、自分やりたい使命を果たせたらすばらしいし、果たせないときは、致し方ないと思っている。ぼくのやり方が最善であると思っていない。しかし、あまり自己実現に捉われて、足元がおろそかになれば、エクセレントな生き方からは遠ざかるのではないだろうか。

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登録日:2006年 09月 04日 21:14:45

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プロフィール
松下 信武
(男)
■職業:感情心理学の一書生 エグゼクティブ・コーチ&メンタルコーチ
■主な経歴:40歳のとき河合隼雄先生の講義に衝撃を受け、ユング心理学の勉強を始める。その後、Emotional Intelligenceを中心とした感情心理学を研究。現在の肩書きは(株)ベルシステム24・執行役員 総合研究所所長兼ベルカレッジ統括長 日本電産サンキョー・スケート部メンタルコーチ
■ひとこと:レンブラントは絵筆で人間の姿を描き続けましたが、ぼくは心理学をつかって、「こころの肖像画家」になりたいと思っています。
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