緩慢な日常に潜む不安と、戦慄と。。。


 緩慢な日常に潜む不安を解消する処方は、ワクチンだけなのか。

 公衆衛生の備給と、衛生観念の教育、そして対策の継続を促す呼びかけなど、戦慄の事態を防ぐためには、おこりえる状況を想起できるだけのイマジネーションと、それを脳裏に構想できるインテリジェンスが欠かせない。

 情報収集と共有のあり方を考えるとき、われわれ市民はあまりに無力なように思える、のだが、これを誤謬だと言って聞かせてくださるだけの先達が、果たしてどこにいるのかについても、やはりわれわれ市民は情報の少なさというか、たよれる情報源に乏しいと言わざるを得ない。

 例としては飛躍するが、緩慢な日常に潜む戦慄の絵を描いた映画として、「ファイナル・デッド・コースター」を観た。

 日常の風景の部品としての個々の光景における諸要素が微妙に悪作用を為し、日用品やインフラストラクチャーが人々にとっての凶器と化す光景は、戦慄そのものなのだ。

 彼の映画が描くとおり、人の生は、ときに死の前のあがきに近いものに見えて仕方がない、と思えるときがある。

 映画では、予知夢に苛まれた主人公が、夢の中の犠牲者を救おうと尽力するが、やがて彼もろとも順番にUnwllingly being passed awayする運命に向かって片付けられていく光景が描かれて、終わってしまう。

 だが、やはり人は最後の最後まで、額に汗して、ときにヤキモキして、正義を導こうと尽力するのが人間らしい姿なのではないか、とヘンに思いを強くしたのである。

 死への導きとしての映画と、文明としての病(インフルエンザ)。

 われわれ人類を、そしてわれわれ市民の、生き方というのか在り方を問う現象と作品であると、妙な見解を抱いてしまったのである。


 といいつつ、今回の映画は見事に、脳裏に残っていないのだ。

 健康だけがすべてではないが、健康でなければすべてがない、がワクチンも同じようなものなのか、かわりのものがないのか、ワクチンがなければすべてがないのか!?

 うーん。わからない。

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登録日:2009年 10月 27日 00:09:34

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吉田正登
吉田正登
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