ブルー・プラーク
【フランクフルト/ドイツ 12日 AFP】シルン美術館(Schirn Kunsthalle)で12日から10月1日まで複雑さを増す現実世界を静止、空虚、静寂により表すことをテーマにした展示会「Nothing」が開催される。同展示会ではアメリカ人アーティストのトム・フリードマン(Tom Friedman)やイギリス人アーティストのマーティン・クリード(Martin Creed)らの作品が展示されている。(c)AFP/THOMAS LOHNES
あるものを、ないことで表現する。有から無を生む。その無の存在でさえ人為的につくられれば有である。ロンドンの街中を歩いていると、時折建物の壁に青くて丸いプレートがかけられているのを見かける。それらには歴代の著名人の名と、彼らがそこに居を置いた期間が記されている。これは「ブルー・プラーク」と呼ばれ、ロンドンを巡り歩いた人なら一度や二度は必ず目にするはずのものだ。日本人ではいまのところ、夏目漱石ひとりがコレクションに仲間入りしている。
...
さまざまな著名人の住居遍歴や当時の息遣いの証拠となるブルー・プラーク。元来はロンドンのお株だが、もちろんほかの地域でもみられる。地方になると青い色とは限らず、別の色、形式にのっとって地方機関が管理していたりする。リバプールではジョン・レノンが住んだ家にプラークがかけられていて、絶えず観光客を引き寄せていることで有名だ。
プラークは「ゆかりの家」だけが許された立派な「表札」である。ちなみに、一般的には、イギリスでは家の門構えに苗字の表札をかける習慣がないので、郵便物を届けるポストマンたちは皆、宛名を無視して通りの名前と番号を優先して投函してくる。その家に住む人の名が誰であるのかなど、おかまいなしである。
かわりに、家そのものに愛着をもって名前がつけられていることはよくある。貴族のカントリーハウスはもちろん、ほんの小さな家でも、「ザ・□☆」だとか「◎×ハウス」「△○ホール」といった名前が、通りから目立つところに記されていたり、刻まれていたりする。
それらの名前(記録)が、誰によりいつ記されたものなのかは、想像にまかせるしかない。庶民レベルでは土地への執着というものが格段に低いこともあって、誰かがその家を去ってしまえば、その空間は、次の持ち主の手に染まる。よほど有名人でない限り、ブルー・プラークのように公式に「我ここにありき」と登録されるのは稀である。
だがこんな例外もある。イギリスのモダンアートを代表する前衛アーティスト、ガヴィン・ターク氏は、大学で修士号修了を記念するエキシビションで作品発表とMA取得を拒否し、そのかわりに自らすすんで「偽ブルー・プラーク」をつくり自己表現をすすめた。ターク氏はほんのちょっとの期間、ある特定の場所に居合わせたり、仕事をしたりした場所(例えばレストランや公園など)に、「我ここにありき」といわんばかりの非公式プラークを作成して話題を呼び、結果としてそれが彼の出世作となった。
石文化ゆえに、建物自体が何百年ももつ不動性を有するゆえに、人々は逆に流動を享受できる。ターク氏の場合、芸術論は別の方にまかせるとして、不動と流動のニッチな隙間に、自己主張を切り込んだおもしろい例である。
私がいまいる場所の近所に、けっこう長い地下道がある。子供だったら「あー!」とか「わー!」と叫んで、つい音響を楽しんでしまえる、そんな規模のトンネルである。その薄暗い両脇の壁に、誰が描いたのかもわからないストリート・アートのペイントが繰り広げられている。それらストリート・アートワークは、見るたびに刻一刻と色や形が変化し、ときにはちょっと目を疑うくらい大胆にすべてが描きかえられている。誰がいつそこで活動しているのかは謎のままだ。
けれども、その透明人間的なペインターはどこかに存在していて、絵を進化させる速度をゆるませない。無機質なコンクリートの洞窟も、名前も知らぬストリート・ペインティングのおかげで生きているように見える。絵だけが刻一刻と移ろいで行くのだが、名も知らぬアーティストもいっしょに生きているんだということを知らしめてくれる。
人々が泣いて笑って限られた人生を送る、そのことすら知ってか知らずか、黙して語らないモノたちも、機械的に飛び交う情報たちも、人の手により有意義から無意味、そして無意味から有意義へと変幻する。それも人あってこそ認知されるだけのもの。
ロンドンという街では、たまたま名のある先人はその功績をもってして、後人のたゆまない人類賛歌とともにブルー・プラークの碑をいただく栄誉をえる。さて夏目漱石が、「我輩は猫である」をしたためている最中、何十年もあとに母国の千円札のモデルとなり、うつぎみになってしまった異国の地でそんな栄誉ある碑をいただくことを予想したかどうか。先人曰く、「我ここにありき」。その音なき声を想像するのもまた、我々にとっての有意義なのだ。
カテゴリー[ アート・文芸 ], コメント[4], トラックバック[0]
登録日:2006年 07月 13日 05:06:56
コメント
ほれ込みました。
この文章。
着眼。
特に近くのトンネルの壁面に刻々と描かれていく
ところの描写は秀逸。
確かにその壁面のペインティングの変化と
流動性は、明らかに誰かが、なぞの人物か
芸術指向の若者かは知らないが、何かの
意図と目的とをもって挑戦しているということ
になるのであろうか。特定の限られた人間が
それをするのか。何を訴え、何を語りかけようとして
そのトンネルを芸術活動の場として選んでいるのか。
単なる落書きの領域とはその描かれた質において
落書きのそれとは趣が大きくことなるようなイメージ。
大変楽しい、格調の高いエッセイ、堪能しました。
このようなすばらしい記事の発信を心から歓迎します。
Y.F. @ 2006年 07月 14日 05:29:22
ありがとうございます。
意識したわけではないのですが、
実は最近、リンゴ(以前記事に書きましたね)に
つけられている小さなラベルをコレクションしていて
それを貼り付けるボードがあるのです。
食べていくたびに、そのボードにさまざまな
ラベルがはられていきます。ちりもつもれば山となる。
でも、その間にいろいろなことがおこっても
そのラベルばかりが語らずして増えていくんです。
それを漫然と眺めては、どこが到達点であるのか
わからなくなる。それがまた楽しいのですが・・・
ひょっとしたらこの感覚かも。
確信をもってアートするのも、すばらしいけれど
説明しきれない不思議さがあるからこそできる
こともあるとおもうんですね。
地下道アートもそうした理由から
続けられていっているのかもしれません。
mika @ 2006年 07月 14日 18:01:34
地下道芸術家がいつのまにか自己表現できる
舞台をごくごく自然体で許容しえる社会の成熟度を
感じますね。
昨日茨城でゴルフをしましたが、一緒にプレーした
70歳の元出版関係の経営者は、”英国に
ほれ込んだ、あの国はすばらしい!”ということを
盛んに言ってました。
文化と歴史とかなりの範囲で許容できる懐の
大きさと民族の成熟度みたいなものを、この
人は言っていたのかも知れません。
日本人は確かに頑張っている。
しかし、常にあくせくしている。
ゆとりがない。大人の風格がない。
地下道芸術家が自由闊達にのびやかに
自己表現でき、それを暖かに、時として
シニカルにみつめ許容できる、そんな
包容力のある社会に日本が成熟したとき、
日本は初めて国際的にもものを言い、みんなから
認められる一流の文化の国に成熟したといえる
のかも知れませんね。
理屈はともかく、りんごのラベル、
トンネルの絵描き、
それを通してのなんらかのメッセージ。
急にイギリスのことに興味がもてそうな
気持ちです。
Y.F. @ 2006年 07月 14日 20:37:46
国それぞれに良い面、悪い面があり
完璧な社会なんてそうそう簡単にできるものでなく
イギリスもまた、問題だって沢山あると思うのですが
たまたまやはり、現在にいたるまでの経緯をみると
社会レベルでは先輩だなぁと素直におもいます。
(ただこの先どうなのかは、
誰もわかりませんが・・・)
究極の個人主義だけれど、だからこそ
互いの個性もおもしろがるくらいの余裕が
出るのでしょうか。
イギリス人になろうとは思いませんが、
ゆっくりとした時間の中で自己表現を否定されない空気は
日本にないものがあり、時として心地よく感じます。
不思議の国 とはよくいったものです。
mika @ 2006年 07月 15日 05:40:16
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ライター・ジャーナリスト・エディター。東京生まれ千葉育ち。千葉県八千代市在住。玉川大学文学部外国語学科を卒業後、広告制作会社、新聞社勤務を経てフリーランスとなり、日本や海外で活動中。「ガンダーラ・ハウス」は気軽なエッセイ集です。近況などは上記「ブログ」のリンクからどうぞ。
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