アムステルダム滞在記 DAY-2
DAY-2
10th April 2010
ダッチゲーブルの誘い
翌日の明け方、イーグルバーガー先生はまだのん気にぐっすりと眠っていた。わたしは独り、時差ボケに抗えずにいちはやく起きだして、部屋に明かりをこぼさないようにカーテンと窓の間にもぐりこんで外を眺めた。
窓の外は運河の水蒸気のためか、くすんだ朝もやのベヴェールがかかっていて、ちょうど冬から春へと移りゆく北国の空が、今日はどちらへ転ぼうかと決めかねているようだった。3階の窓辺からはアムステル川の様子がよく観察できた。運河が張り巡らされたアムステルダムの中で、唯一の川がアムステル川なのだという。その水の氾濫を治めるためにできたダムがこの街の名前の由来でもある。向こう岸にぎっしりとダッチゲーブルの家々が立ち並んでいる。街路樹の緑はまだほんの小さな若葉があるかないかのころで、芽を含んだ枯れ木たちは、立ち並んだ異国の風景の連続をそっくりそのまま映し出していた。
旅の疲れか体が少々重い。とはいっても日本の花粉症のせいでとんでもなく荒れていた肌も問題なかったし、目もちっともかゆくない。デラックスルームを指定したものの、部屋は古いヨーロッパの建物を使用しているだけあってそう広くはなく、防音もイマイチではあったけれど、アレルギーの天敵であるダストの掃除だけはちゃんと行きとどいていたのが分かったので一安心。
ぼちぼちと昼前から動き出した。気温はちょっとぴりっとした冬の名残があったものの、日本を出国したときは例年になく冬のような寒さだったので、それに比べれば過ごしやすい陽気だった。イーグルバーガー先生は「天気がいいから近くの公園に行って計画をたてよう」と、初日のアムステルダムの街のど真ん中で地図をおのぼりさんよろしく大らかに広げて、近くにある公園の場所を指差した。
ぶらぶらとその公園に向かって歩いていると、どうやら昨晩わたしたちがすっかり道に迷ってしまった通りに行き当たった。昼の明かりに照らされたその道は、夜のイルミネーションの道とはだいぶ様子が違うように見えた。昨晩ずいぶん長いこと回り道をしたことが分かる。ウォータールー広場駅は、ホテルからほんの数分のところにあったのだ。けれどもそれも、たったの一泊しただけで、さんざん道に迷ったことが遠い昔のことのように思えた。
ウエルトハイン公園には水仙が花盛り。オランダ名物のチューリップのつぼみはようやくふくらんできたころのようで、見ごろには少し早い感じがした。公園の隣にはライデン大学付属の植物園があったが、そこには行かず公園のベンチに座って仕切り直し。わたしたちが地図を広げながらのんびり話し合っていると、ドイツ人の若い学生さんたちがぞろぞろとやってきて、公園の中にあるユダヤ人のモニュメント(名前を忘れてしまった)を眺め、ガイドらしき女性がドイツ語で何か話していた。どうやらドイツ人にとっては、アムステルダムにやってきたら必ず訪れる場所の一つのようだった。
イーグルバーガー先生は見知らぬ土地で動き回るためのエンジンがかかるのが遅い。そこでわたしたちは初日を、景気よく始めることにした。あるいはそれが言い訳となり、向かった場所は、「ハイネケン・エクスペリエンス」。そこへ行けば、締め切り開けの先生にも多少のエンジンがかかり、わたしの時差ボケにも活画入るだろうという目論見だった。
ハイネケン・エクスペリエンス
「ハイネケン・エクスペリエンス」は、アムステルダム観光おなじみのアトラクション。オランダを代表するハイネケン・ビールの工場跡にあり、ハイネケンの歴史や作り方などをみて体験したあとに無料のビールを2杯いただける。ということなので、ここに来る人のほとんどは、成人であれば半ばこの無料ハイネケン・ビールが楽しみにしているはずなのだった。
入場とともにハイネケン・カラーの緑のブレスレットを渡される。そこについているボタンは二つあって、一杯飲むごとにそのボタンが外される。一人につき二杯だけ、それ以上のもうと思ってもあしからず。ともあれ本場で飲むハイネケンはとてもすっきりとして飲みやすい。旅先の恥はかき捨てというか、なんだか飲むごとに美味しく感じられる。
2杯のビールでほんのりほろ酔いのいい気分になったあと、「ハイネケン・エクスペリエンス」の前から出ている運河のクルーズを体験してみることにした。旅行用に前もって「オランダ・パス」を用意していたので、それを消費していくことも旅のモチベーションの一つ。お決まりのクルーズ出航まで、ちょっと待ち時間があったので、街中をすこし散策。自転車は次々と目の前を通り過ぎる。とくに大きな前かごに、小さな子供を二人、三人のせて力強く進んでいくお母さんたちの姿は、気取らずにたくましく好感が持てる。自転車がひっきりなしに行き来する橋の上に出ている屋台でホットドッグを注文し、オランダ式に道端で遠慮なくかぶりついた。スモークしたソーセージにたっぷりマスタード、ピクルスもたっぷりと乗せて。
庶民的B級ランチのあと、運河をクルーズするボートの上に、観光客がたくさん乗り込んできた。船上のアナウンスはオランダ語、英語、フランス語、中国語。イーグルバーガー先生が「おや、日本語のアナウンスはないんだね」と不思議そう。「こんなことってあるんだね。中国人はたくさんいるのに。ひょっとして日本の景気が悪いから?」。わたしは、「いま円高だからそんなことないと思うけど。そういえば10年前にも運河クルーズに乗ったけど、そのときも日本語のアナウンスはなかったような気がするよ」。
今時期オランダにくる日本人は、キューケンホフ公園のチューリップ目当ての観光客が多く、アムステルダムの真ん中はあまり歩いていないのかもしれなかった。そもそもオランダはベルギーとセットで来る人が多いだろうし、アムステルダムそのものはこぢんまりとしているので、滞在したって一泊くらいで十分と考える人も多いのだろう。
さてこの日は快晴続き。おかげで運河ツアーも盛況のようす。ボートの後尾にある小さな甲板に出ると、一段低くなったレベルから見渡すアムステルダムの街並みが楽しめた。10年前にも同じように、ボートに乗ったことを思い出す。けれどもそのときよりも、天気がよく、そしてお酒が多少入っているからか、アムステルダムの風景が何倍もきれいにみえた。
その一方で、オランダという国のもう一つの表情をみた。常に水に苦しめられてきたオランダ人の運河建設の背景には大変な努力と忍耐があっただろう。本質的にここの人々は、生きるための知恵者であり働き者に違いない。そのことを「理解する」には、たぶん10年前のわたしでは不十分だったような気がする。
勤勉なる人々のつくった家並みは、白やベージュ、グレー、黒、ネイビーといった比較的シックな壁の色と、それと対比するユニークなダッチゲーブルに彩られていた。個性と整然が、人知と過去の富がひしめく美しい姿を青空のもとに映し出され、わたしが今朝みた朝もやの風景とはまた一味違った質実と軽やかさを映し出していた。
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登録日:2010年 07月 01日 19:44:34
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ライター・ジャーナリスト・エディター。東京生まれ千葉育ち。千葉県八千代市在住。玉川大学文学部外国語学科を卒業後、広告制作会社、新聞社勤務を経てフリーランスとなり、日本や海外で活動中。「ガンダーラ・ハウス」は気軽なエッセイ集です。近況などは上記「ブログ」のリンクからどうぞ。
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