アムステルダム滞在記 DAY-4
DAY-4
DAY-4
12th April 2010
イエロー・バイク・ツアー1
英国をのぞいてヨーロッパのどこかの国に純粋な旅行目的で訪れることは久々だった。アムステルダムの旧市街そのものは、それほど広い場所ではなく、先に過ごした2日の間、だいたいの場所は訪れてしまったので、予定通りこの日には自転車で少し遠出をしてみようということになった。
アムステルダムの街中では、それまでにもレンタル自転車で動き回っている人をたびたび見かけた。わたしたちが借りたレンタル自転車は、アムステルダムを散策していると間にも、何度かお見かけした「イエロー・バイク」のもの。レンタルするのはその名の通り、黄色い自転車で、レンタル料は時間制。まずショップ内で自分にあった自転車を選び、またいでみる。サドルの高さがOKなら、あとはサドル下のところについている自転車据え付けのかぎと、チェーンのかぎの脱装着のやり方をざっと教わり、早速街中へ繰り出すことができる。
走り始めたわたしたちは、信号でとまるたびに、英国人のイーグルバーガー先生は「なんだかコワい国だなぁ~ オランダ人はバックブレーキだけでよくあんなに自転車が乗れるものだね」といって、街中の自転車を観て異文化について戸惑いを隠さない。その国それぞれに異なった交通ルールがあるけれど、まず英国や日本と、オランダとでは車の車線の方向が違う。先生とわたしはつい英国・日本式に、右見て左見て、の習慣が抜けないのだが、それでは危うく車にひかれかねない。
旅の間中、日本人のわたしより英国人のイーグルバーガー先生のほうが、自転車への対応の仕方に少なからずギャップがあるようだった。日本では自転車は基本的には車道の真ん中は走らない。どちらかというと自動車と人間の間をいくくらいの存在だ。だからオランダでは進行方向が違うこと以外は、自転車の乗り方に大きな違いはないように思えるし、自転車に乗る人も、歩行者をみて自在にスピードを上げ下げする柔軟性ももっていることも体で覚えている。一方英国では自転車は車道を走ることになっていて、自動車と同じような扱いになる。ゆえに英国人のサイクリストたちは自動車的感覚で道を走っているから、歩行者をみてスピードを緩めるとか、よけるといった柔軟性にいま一つ欠けている。どいたどいた、ここは自転車の道ですよ、といって歩行者めがけて道を突っ込んでくる自転車がけっこういるのだ。
オランダは自転車道路がちゃんと整備されていて、人々も感覚的には自転車に乗る人々が車道と歩道、自動車・トラムと人間の中間ぐらいの位置づけであると、きちんと理解している。だからたとえ歩いているときに真正面から自転車が走ってきたとしても、恐怖感はあまりない。けれども英国人にとってはそうでない様子。正面から自転車が迫ってくるのをみると(英国式に)そのまま突っ込まれると思うのか、妙な恐怖感を抱くらしかった。オランダと英国は海をへだてて隣の国なのに、こうも違うものもあるものだ。
ともあれ、そうした交通ルールのギャップはとにかく、わたしはといえばまず基本的な自転車の機能そのものにつまずいた。それはバックブレーキだ。オランダにはハンドルのところにブレーキを付けていない自転車もけっこう見かける。日本で自転車をのるときに、ペダルを前周りでも後ろ周りでも、どちらでもいいからくるっとまわして、自分の好きな高さにもってきて発進する癖がついているらしかった。
オランダでは、人間と自動車の中間の存在だといっても、進行方向は車と同じ。定められた自転車道路を走らないと、ほかに迷惑がかかる。ペダルをあやまって後ろ向きにまわそうとすると、がくっと強い力で自転車が止まってしまう。信号を渡ろうとするときにあやうくこれをやりそうになり、冷や汗をかいた。
イエロー・バイク・ツアー2 はしけに乗る
レンタルサイクルの店を出て、アムステルダム市内の道を、まずセントラール駅方面へ向かって進んでいった。澄み切った高い青空が頭上に広がり眩しいくらいで、オランダにもとうとう春がやってきたんだと、多くの人はそう感じていたに違いない。この旅の間は、とにかく好天に恵まれていた。
イーグルバーガー先生には何か考えがあるらしかった。彼はわたしにざっくりと「フェリーに乗って島へ行くよ」とだけ話をしていた。わたしはあまり詳しく地図をみていなかったので先生を信用しきってついていった。
セントラール駅の裏手にまでやってくると、自転車や小型車がたむろしている。彼らはフェリーを待っていた。フェリーはつまり「はしけ」の役割をしていた。次のはしけが広い河口の岸辺にたどり着いて甲板の扉が開かれると、自転車や小型車がいっせいにはしけに乗り込み始めた。そのまま自転車に乗ってすーっと入っていく人もいれば、自転車を降りて、手押しで入っていく人もいた。運河クルーズのときにも通った、アイ湖へと注ぐ河口近くの川をわたってはしけは進んだ。
ひんやりした風は、遮るもののない素直な陽光を受けて陽だまりに温められていた。水辺とともに営まれる人々の生活。ずいぶん前にイスタンブールのボスフォラス海峡で見た、丘にへばりついた家並みとモスクの尖塔を背景に、ぼろぼろのフェリーにぎゅうぎゅうづめになって水面を行く水上バスをふと思い起こした。アムステルダムでは、自転車も人口も多いからなのか、潮風にのってどこかアジア的な空気が運ばれてくるような気がする。おそらく国際港としての長い歴史をもつせいだろう。
ものの数分で向こう岸に着くと、甲板のゲートが再び放たれて、原動機付き自転車がパパパーといち早く軽い音をたてて飛び出した。自転車や小型自動車が、次々と対岸の島へと上陸していく。わたしたちもその集団の波に乗っていったんフェリーを降り、進行方向を確認するために片隅で降りて地図を広げた。
けれどもその地図というのが、思ったよりもずいぶん大雑把なもので、わたしもガイドブックなどを簡単に眺めて、「オランダのサイクリングはすこぶる簡単、サインもよく整備されているので道に迷うことなし」というようなことをどこかで読んで安心していたのは迂闊だった。あまり親切でないその地図、そして先導役が方向音痴であることにちょっと不安が残った。けれど、とりあえず広いサイクリングロードがちゃんと伸びているのはわかったので、道なりに進んでみることにした。
行き当たりばったりのわたしたち。とりあえず進んでみることにした。辺りはアムステルダム郊外の住宅地のような様子だった。平凡なテラスハウスや一戸建てがのんびりとした感覚で並んでいた。そうこうしている間にも、わたしたちは2件の交通事故現場を目撃した。いずれも自動車と原動機付き自転車の衝突事故のようだった。おお怖い、気をつけなきゃねと顔を見合した。
イーグルバーガー先生がまた道に迷ったかもしれないと言い出したので、人に道をきいてみることにした。中には、英語を話せない人もいた。アムステルダムの中心地ではまず完璧と言っていいほどの英語を話す人ばかりだったけれど、ちょっと郊外に出て、とくに比較的年齢が高い人は英語を得意としない人にも出会った。ここはオランダなのだから当然だといえば当然だ。英語を上手に話してもらえるだけでもわたしたちは感謝しなければならなかった。
ある50代くらいの男性は、一生懸命に道案内を説明してくれたが、すべてオランダ語だったので、イーグルバーガー先生もわたしもちんぷんかんぷんだった。とはいってもオランダで生のオランダ語をふつうのオランダ人から身近に聞けるというのはいいことだ。アムステルダムでは、外国人に対してオランダ語を話してくれる人は少ない。
その親切な男性の手ぶり身ぶりから、わたしたちは目的地へ向かう道からすこしずれてしまっていたようで、少し戻って左折しなければならないことが分かった。ボディーランゲージは、言葉以上に強いときがある。それまでにも確認のために何人かの人に道を聞いた。そっけなく無関心な感じの人も少なからずいて、親切なイメージのあるオランダでも、エリアによって観光客に対する反応もかわってくるんだと感じた。
イエロー・バイク・ツアー3 向かい風のダルゲルダム
やっとのことで目的のルートに入ることができた。途中、ニーウェンダムのボートヤード沿いに、童話に出てきそうなかわいらしい平屋の家並みが続いた。ところどころに手前につんのめりそうに、あるいは右に左に傾いた、丸みを帯びたダッチゲーブルの家々。ちょうど春の花がきれいに咲き始めたころで、大ぶりな窓からは大らかに室内を見透かすこともできた。どこもよく手入れが行き届いていた。古い村の前に広がるボートヤードにも、同じように人が住んでいるようだった。
大型犬の散歩をしている人もいた。わたしはどうしても左側通行の癖が抜けず、左側の車線をつい走っていたりしたが、同じ車線の向かい側から自転車が迫ってくるのをみて「おっとここはオランダだった」と、習慣というものはなかなか抜けきれない。
村やボートヤードの合間に、フリーゲンボスの森が広がっていて、そこにもちょっとだけ立ち寄って、若葉が萌える森の光を受けながらおやつを一服。さらに進んでいくと、オランダ特有のまったく平坦な土地は、さらに平らを極め、横風がいっそう強くなってくるころには、緑に生した草原に羊が草をはみ、自分の足元に水辺がいくつか浮かび上がっているように見えた。ゼロメートル地帯の水郷の水面は、風になぞられて幾重もの筋をつけていた。まるで春先の日本の水田のようでもあった。
そうこうしているうちに、先を行くイーグルバーガー先生の姿がどんどん小さくなっていった。わたしのほうが乗っている自転車の車輪のサイズが小さかったし、さすがのわたしも、こんなに潮の香りがする強風にあおられて、前かがみで進まぬペダルを一身に踏みしめたのは、東京湾沿いにあった高校に自転車通学したとき以来かもしれない。
強風に吹き飛ばされそうになりながら自転車をこいだ。やっとのことでイーグルバーガー先生のところへたどり着いた。先生はわたしが追い付くのを待つと言った。「あと2キロで村につくよ。疲れたらここで引き返してもいいんだよ」。英国人はキロの感覚がわからないことが多い。「2キロだったら、1マイルもないよ。だから行こう」と、息も切れ切れにわたしが促す。びゅうびゅう横風が吹くオランダの緑のゼロメートル地帯を抜けると、やがて防波堤のダムが伸びるようになり、ちらほらと飾り気のない海沿いの家が現れ始めた。
そこはアイ湖をのぞむダルゲルダムという村だった。背後に緑のゼロメートル地帯、低い防波堤を境に干潟とボートヤードが広がり、その先は海へと続いていた。白い灯台がこぢんまりと村のはずれにたっていた。海と湿地帯を隔てる防波堤に上ると、内陸の目と鼻の先に小さな村が見えた。地図によればその村はランズドルフという村らしい。そこにも行ってみようか、そんな話にもなったけれど、時計をみるとすでに午後2時を過ぎていて、この先を行っても、きちんとした地図がないし、さらに道に迷うには十分な時間はなさそうだということになった。
結局ダルゲルダムの村のカフェに立ち寄り、海を一望する席でコーヒーを飲みながら一休みをした。ぼんやりと海風になでられているうちに、旅行先ではスケッチをしようと思って小さなスケッチブック持参で日本を発ったはずなのに、なかなかその機会がなかったことを思い出した。ようやくこの日に、村の教会の絵を簡単にスケッチすることができたのだけれど、結局これが最初で最後のスケッチになってしまった。
帰りは若干の追い風で、行きよりは楽なコースになった。あとでもっと詳しい地図をみたら、この日のサイクリングの旅は10キロメートルくらい。ものの10キロというのか、それとも10キロもというのか、準備不足で道に迷い、しかも向かい風の旅だったから、その倍以上も動き回ったような気がした。帰りは道に迷わず、前回に比べると慣れた様子で例のはしけに乗ることができた。アムステルダム市街に入ってレンタルバイクショップに自転車を返すころには、わたしたちはくたくた。バイクショップのおばさんは目を丸くした。「おやま、あんなところまで出掛けたんですか? 風が強かったでしょう?? 今日はきっとゆっくり眠れるはずですよ!」
飾り窓地帯と外国人
その日の夜、わたしたちはサイクリングのために血の巡りがよくなったのか、思ったより元気だった。ディナーの場所を探しながら、日もかげったころ、向学も兼ねて合法的な春のエリア「飾り窓地帯」を観察しにいった。中世の古い街並みが残る街の一画は赤い明かりが灯され、窓の向こうにしかるべき格好をした女性たちが、外を歩く人々に妖しげかつしたたかな視線を送っていた。彼女たちのそうしたパフォーマンスは真剣なる仕事の一環であることに違いはない。
「飾り窓地帯」は、アムステルダムの中でも有数の「観光スポット」だ。あたりをそぞろ歩く観光客を観察すべく、先生とわたしは、危険区域でないカフェの外の椅子に腰かけ、軽くハイネケンを飲みながら、この国の自由なる法律とモラルについて語り、道ゆく観光客を眺めていた。
そのうち何やら恰幅のいい中高年の団体観光客のご一行が、この赤くゆらめく飾り窓を、首からカメラを引っ提げ、きょろきょろしながら前をすすんでいった。直感的に、「彼らはイギリス人だな」と思ったら、イーグルバーガー先生も同じことように思ったようで、ちょっと大きめの声で「どちらから?」と彼らに声を投げた。すると団体観光客のうちのひとりの60代の男性がわたしたちに気付いて振り返り、「イングランドですよ!」との答え。先生はおもしろそうに「ご感想は?」。と今度は男性の奥さんが、すこし控えめながらもおかしげな表情で「ときめく場所ね」との答え。この深遠なるやりとりは、オランダの飾り窓地帯を観光がてら、イングリッシュジョークにほかならない。
果たしてわたしたちはその夜、「飾り窓地帯」でオランダの異国情緒を観察したあと、イタリア料理の店に行った。先生はステーキにありついて幸せそうに食べていた。わたしはペンネをたのみ、イタリアの味に満足した。たまたま隣のテーブルに座った熟年夫婦の二人もイングランド人だった。なぜかわたしたちは4人で、オランダというこの居心地のいい異国について、不思議な共感を得た。法は規制のみにあるわけではなく、またその法が成り立つ国とそうでない国がある。わがお国ではオランダのような法律はたぶん成り立ちそうにはないと、わたしたちはワインでほろ酔いになりながら、その日の晩は結論づけることにした。
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登録日:2010年 08月 25日 21:39:25
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ライター・ジャーナリスト・エディター。東京生まれ千葉育ち。千葉県八千代市在住。玉川大学文学部外国語学科を卒業後、広告制作会社、新聞社勤務を経てフリーランスとなり、日本や海外で活動中。「ガンダーラ・ハウス」は気軽なエッセイ集です。近況などは上記「ブログ」のリンクからどうぞ。
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