イカロスと冬景色

大日本印刷、ルーヴルと提携しデジタル美術館をオープン - 東京

【東京 27日 AFP】大日本印刷はルーヴル美術館(Louvre Museum)と提携し、都内に30日、音声ガイダンスと映像システムによるデジタル美術館「ルーヴル-DNP ミュージアムラボ(Louvre-DNP Museum Lab)」をオープンする。写真は27日、ヘッドホンで作品解説を聞きながらフランスの画家テオドール・ジェリコー(Theodre Gericault)の「銃騎兵(A Carabineer)」の映像を鑑賞する観覧者。(c)AFP/YOSHIKAZU TSUNO


AFPBB News


やがては有名な美術品の多くが、デジタルデータで外国を旅する時代がやってくるのかもしれない。それはそれで、美術品の保全管理にいいとか、デジタル技術による「版画絵」的普及を促すとか、いろいろなケースを予想させたりする。ともあれ11月に入って秋も深まり、依然デジタルではないナマ美術展が盛況な季節。最近、電車に乗っていたら、どこかの美術展に行ったばかりであろう女性二人の会話が耳に入ってきた。…

***
片方は、20代半ばくらいの女性で、たぶん美術大学かなにかで学んでいるセミプロ風。相方の30代半ばと思しき女性に、ずいぶんと長く、美術論の主義主張を展開していたが、つまりそのポイントは、

「○×の絵はこれといった印象がない。彼はプロではなく趣味で絵を描いていたから、他にくらべて売り込みのポイントがすくない。所詮アマチュアだからぐっとこない」というようなことであった。

対して、その長い解説を辛抱強く聞いていた相方の反応はこうだった。

「美術のことはあまり詳しくないのだけれど、○×は私にとってはとても居心地がいい。なにか売り込みや切り口がはっきりしていないというけれども、私にとっては十分満足のいく絵だ」

若い方の女性はこれを受けてさらに議論を発展させたい風であったが、目的の駅に電車が到着してしまったので、そのディスカッションの続きは聞き逃すことになった。

***

絵はひとによって感じ方がさまざまである。私は「知名度や印象強さよりも、居心地のよさ」を主張する後者の意見をかみくだきながら、ふとある印象的な話のひとつを思い出した。

ある日イギリス宅にC君が訪ねてきた。C君は大学院で美術史の修士号を取り、現在も美術論評などをアートマガジンなどに寄稿している人物である。そのC君が滞在中にちょっとお手洗いに、といって席を立ち、まもなく戻ってきた。そしてちょっと楽しそうに「トイレの居心地のよさ」について話し始めた。

トイレのドアをあけると、ある絵が便器の前にドーンと迎えてくれる。 その絵は、とある無名画家による、ギリシャ神話をモチーフにした著名な絵(どれかは内緒)をパロディ化させた、タテ1メートル50センチほどの油絵で、ハウスメイトのG君の選である。

C君は、その絵にかくされたユーモアとトイレそのものの配置や構成に”イングリッシュマン”としての不思議な居心地の良さを感じたのだという。私はイングリッシュマンでもイングリッシュウーマンでもないので、ここで詳しく説明はしない。

イギリスの邸宅のフロアプランニングを説明する言葉で「ドローイングルーム」というのがあるが、これは「ウィズドローイング・ルーム」が略語化したもので、メインのラウンジやホール、ダイニングルームから腰を上げて一息いれる部屋のことをさす。

大邸宅でない限り、トイレは考えようによってはこのドローイングルームになりえる。用を足すのと同時にリラックスしたり、自分にたちかえったりできる場なのである。イギリスではトイレをバスルームということがよくあるが、ルームというようにそこに本や雑誌、花や雑貨などが色々飾られている場合も多く、バスルームを「“既婚”英国紳士の唯一のプライベートな空間」と表現するのは、有名なイングリッシュユーモアである。

***

ウィズドローイング・バスルームつまりお手洗いと絵の空間演出については、こんな話もきいたことがある。

イギリス人のD君は、そのまた友人で絵を趣味とするイタリア人のR君から一枚の絵をいただいた。D君は、その絵は、あえてバスルーム(つまりトイレ)に飾れば、インテリアデザインとしてもなかなかしっくりくるだろうと思い、トイレにしばらく飾ることにした。

あるとき、その絵の作者であるR君が、D君の家を訪れた。そこで自分の絵がトイレに飾られているのを発見し激怒した。侮辱されたと感じたようである。

D君はあわてて、絵そのものはすばらしくとても気に入っていることをつげた。しかしR君はトイレに自分の作品が追いやられていると「勘違い」をし、以来彼らは仲たがいをしてしまったのだという。ちなみに、これは歴史的にイタリアに宗教画が多くイギリスに肖像画が多いのと何か関係しているかもしれない。

トイレに絵を飾られて気分を害する画家の気持ちもわからないでもない。けれどもひとつの作品が人の手に渡れば、その人の所有物となって、どのような使い方、感じ方をされるのかもその人次第である。

絵あるいは写真やオブジェクトが落ち着く、ほっとする、という「ドローイングルーム」の要素を演出しているのであればそれはほめ言葉かも、などと素人心に思ったりする。R君ももうすこし、余裕をもって自分の作品のなりゆきをみつめられたら次回にさらによい作品をつくれるようになるかもしれない。

***

最近、ブリューゲルの「イカロスの墜落」をみるため、上野国立西洋美術館の「ベルギー王立美術館展」に足を運んだ。「目玉」である「イカロスの墜落」は、展覧会の立ち上がり、一番初めに飾られており、肉眼で絵を見る楽しさとともに少々拍子抜けした気持ちを味わいながら、フランドル名画コレクションをひととおりみてまわった。

最後に飾られていたのは、ヴァレリウス・サーデレールの「フランドルの冬」であった。印刷を通さない「イカロスの墜落」や「鳥の罠のある冬景色」が目に焼きついたのは当然だが、この展覧会で印象にのこったのは、「フランドルの冬」だった。

一連の展覧会の絵を見たフィナーレとして深層心理にも響いたのか、ふと「家や部屋のどこかに飾ったらよさそうだな」と感じて、一枚絵葉書を買って帰った。私的に愛でるものは、完成品でも未完の作品でも、有名でも無名でもいいのだとおもう。アートをアートとしてこだわることなく創作したり味わったりするのもまた愉しい。あるいはデジタル美術館のようなものが家庭レベルに発展普及したなら、スイッチひとつでお気に入りの壁掛け絵画を入れ替える、なんてこともありえよう。

特別な理由なく直感的に買ってしまったサーデレールのポストカードをどこに飾るかはまだ決めていない。もしその絵をお手洗いに飾ったとしたなら、それはそれで、私にとってはしばしあてどのない冬の空想にふけりながら眺めていたい絵に違いなく、ブリューゲルの「イカロスの墜落」のイカロスは一体どんな風貌をしていたのかと想像するのと同じおいしさを持っているはずである。

カテゴリー[ アート・文芸 ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2006年 11月 05日 21:28:51

コメントを追加

Trackback

この記事に対するトラックバックURL:

カレンダー
< 2006年 11月 >



1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

プロフィール
福嶋 美香
◆NEWS
◆経歴:ふくしまみか
ライター/ジャーナリスト。東京生まれ千葉育ち。玉川大学文学部外国語学科を卒業後、コピーライター、新聞記者を経てフリーランスとなる。現在日本と英国を中心に活動中。詳細・近況などはNEWSリンクからご覧ください。
最近のエントリー
[08/30] ピンク
[08/07] 内側と外側
[07/28] 大陸
[06/21] ひとり旅
[05/20] 郷愁について
[05/10] 雨にも負けず
[04/20] 木の話
[03/27] 名前と世代
[03/01] ゆれた!
[02/12] 列車の顔
検索