美を編む

クレオパトラ「絶世の美女」説は近代人の思い込み? - 英国

【ロンドン/英国 14日 AFP】古代エジプトの女王クレオパトラ(Cleopatra)の容姿について、シェークスピア(Shakespeare)が「言葉では語り尽くせない」と書いた時、作家はクレオパトラは美しすぎるということを意味していると思われた。
≫続きを読む…
(c)AFP/UNIVERSITY OF NEWCASTLE/

AFPBB News


クレオパトラが絶世の美女であったか否か。ひょっとしたら現代の美とはほどとおいものであったのかもしれない。けれどもクレオパトラという女性がその時代を生きた、もっとも影響力がある、魅力的な女性であったろうことは疑いもない。その魅力はなかば「演出」されたものであり、政治の世界のセオリーも十分に渦巻いていたはずだが、それでも彼女はその時代に生きてコインに刻まれた。刻まれるほどに力があった。その横顔が生物学的に美しかったか否かは時代の美観の変遷に任せるしかない。

今年に入って絵を描き始めている。高校まで、気が向くままだけれども真剣にイラストを描いていて、その後しばらくペンと絵筆を折っていてまともなものを描くこともなかった。その私が三十路の輩になって絵を描いてみようかな、という気になったきっかけは、ある「美しいもの」に心打たれたことである。

そのひらめきは、昨年秋に英国から日本に帰国して、実家にかかっていた小さなRoyal Botanic Gardens, Kew (Kew Gardens)のボタニカルアートのカレンダーを見やったときに起こった。ほんの小さなカレンダーなのに、なんとも間近にある植物画が、日本の地で私のイングリッシュ・サマーの体験と立体感を帯びてオーバーラップした。それを、私は美しいと感じたのだった。

そのとき、いつのころからか眠っていた、白紙に描く曲線と色彩を自ら創ることへの五感の記憶が呼び覚まされたような気がした。そして最近になってようやく絵具を新しく買い揃え、少しずつ絵を描きはじめた。幼いころについてしまった、テクニック上のさまざまな「癖」は、あくまでもなかったことにして、無垢の状態で感覚を磨きなおすことをテーマにした。

選んだ題材は主に植物画だ。うまくかこうとかだれかと競うということをしない静寂のひととき。被写体を観察し、五感のフィルターを通して私の手に線と色をもたらす。それはぎこちなく、稚拙なものかもしれない。けれども昔捨てたはずの感覚を再生しようとする試みそのものは、思った以上にはがゆくも心地よいものだ。

美とは移ろいゆくもの。けれども点も線も色彩もやがては時の流れとともに集約されて、必ず心をとらえてやまない魔力をも持っている。陽の光にむかって頭を動かしていく花は、刻一刻とその姿を変え、一時として同じ姿勢を保たない。そうした細微な動きさえ、絵を描くという行為によって肉眼は冷徹にとらえようとする。

時間の前後関係やおかれた状況そのものも、美をつかさどるすべてなのだとあらためておもう。それなら今日まで様々な形で語り継がれているクレオパトラもまた、意識的にか無意識的にか、時代の網の中で美を編んだひとりだったかもしれない。

カテゴリー[ アート・文芸 ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 02月 15日 22:39:38

コメントを追加

Trackback

この記事に対するトラックバックURL:

カレンダー
< 2007年 02月 >




1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28


プロフィール
福嶋 美香
◆NEWS
◆経歴:ふくしまみか
ライター/ジャーナリスト。東京生まれ千葉育ち。玉川大学文学部外国語学科を卒業後、コピーライター、新聞記者を経てフリーランスとなる。現在日本と英国を中心に活動中。詳細・近況などはNEWSリンクからご覧ください。
最近のエントリー
[08/30] ピンク
[08/07] 内側と外側
[07/28] 大陸
[06/21] ひとり旅
[05/20] 郷愁について
[05/10] 雨にも負けず
[04/20] 木の話
[03/27] 名前と世代
[03/01] ゆれた!
[02/12] 列車の顔
検索