食べるということ
【カンパラ/ウガンダ 7日 AFP】ウガンダでは3日から4日にかけ、一部の地域で野鳥や養鶏所のニワトリが原因不明で死亡したのを受けて、鳥インフルエンザの感染を疑う報道が相次いだ。ウィルスが確認されれば、アフリカ東部では最初の鳥インフルエンザの感染例となる。渡り鳥が媒介し、野鳥や家禽類を大量に死亡させる可能性がある鳥インフルエンザは、すでにナイジェリアとエジプトで確認されている。写真は6日、首都カンパラ(Kampala)にあるNakasero市場でアヒルを見せる家禽業者。(c)AFP/STUART PRICE
鳥インフルエンザの勢いがとまらない。世界に飛散していく一方である。BSEと同様、人間がよく食べる動物に猛威を振るう病魔たちは、容赦なく地上に降りかかる。それは同時に、肉を食べる人間たちの生活にも影響する。それでも人たちは肉を食べ続ける。
...
2~3年前、ニューヨークのビジネスシーンを取材したテレビ番組を見た。その番組のレポートの中で、ニューヨークのビジネス界の一線で働く女性たちが、ホテルで開かれたパーティで語らう場面があった。
そこに集った人々はすべて菜食主義者である。彼女たちが嬉々とした表情で、さもためこんでいたストレスを発散させるかのように口に運んでいたもの。それはブッフェ形式でもてなされた肉料理だった。厳密には肉料理の姿をしたベジタリアン料理である。
豆のペーストでつくったローストビーフや、野菜のすり身で形づくったハンバーグなどを次々と皿に盛り、うれしそうに頬張る菜食主義者たち。それを見て私は奇妙な感覚を覚えた。
宗教的戒律を含めて食べ物をはじめとするライフスタイルに主義主張を持つのは自由である。だが、「私は菜食主義者です」と名言しつつも肉料理が忘れられず、野菜や豆類、乳製品でこしらえられた偽の肉料理をここぞとばかりに楽しみ語らう人々の姿には、正直どこか矛盾を禁じえなかった。
見かけや風味が肉料理なのであれば、肉好きな人ならまたとないことだろう。しかし菜食主義者と銘打って「肉料理のようなもの」を両手放しに楽しむというのは、原義から少々外れるものであるような気がしてならない。
一部の菜食主義者が肉を食べなければ、世界に存在する食用となりえる動物たちがすべて救われるというわけでもないゆえに、偽肉料理を楽しむ心理はきわめて微妙な線に立っているように思える。
原始の時代から肉をよく食べてきた欧米の人々は、一般的に食肉への願望が日本人よりも多いのだろう。それゆえに食肉に対して明確な姿勢や考えも生まれやすくなる。イギリスにちょくちょく足を運ぶようになってからは、菜食主義者に会う機会も増えて、そのことをつくづく実感した次第だ。
私は肉を好んで食べる方ではないが、それなりに楽しむ方でもある。もし仮に私自身が菜食主義者になったらどうなのかと問いただしてみる。物理的には可能である。肉を食べなくても生きていけるし、精進料理の文化がある日本人としても十分に満足のいく料理を楽しむことができるはずだからだ。
菜食主義者を否定はしない。だが私個人としては、あえて菜食主義者になるということはなさそうである。肉も野菜もいずれも感謝して食べたいからだ。
肉にしても、おいしい、つまり肉の出すうま味成分や食べている最中、食べたあとの満足感は、食を楽しむ上で欠かせないものだと感じるし、長い歴史の中で人々が築き上げてきた、生きるための知恵や工夫にむしろ感動する。そしてなにより、食べられること自体に感謝したいのである。世界には、飢えに苦しむ人たちだって沢山いるのだから。
たとえいまにある飽食の時代が否定される時代がきたとしても、人間は生きるために食べ続けていくことにかわりはない。地球上において短い歴史しかもたない人間の営みが繰り返されることによって、罪のない動物たちの生態系に悪い影響が及び始めているのだとしたら、なんとも心が痛い。
カテゴリー[ 食べ物・飲み物 ], コメント[6], トラックバック[0]
登録日:2006年 03月 08日 04:26:45
コメント
人が生きるために食物を摂り、動物を殺め植物を伐採することは、人類がこの世に絶えないかぎりいつまでも続くが、要は現代人の傲慢までのおごりと欲望のおもむくままに生態系をも破壊しつつあることが問題であり、そのことに気がつかない、あるいはうすうす気がついてはいるが、放置し流されている惰性と感性の劣化、渋滞こそがよりシリアスな問題であるということである。鳥インフルエンザはこうした人間の増長に対する警鐘のごくごく一部の現象である。環境保全に対する謙虚な反省と考察なくして鳥インフルエンザの問題一つとして解決することはできないであろう。
Y.F. @ 2006年 03月 20日 08:39:39
菜食主義者というようないわゆる”主義者”という偏狭なこだわりには何らの価値も見いだせない。バランスよく食べればよいのである。大事なのは、食べ物を口にできることの幸せを心から謙虚に感謝できる、その気持ちのありようである。菜食主義者と同じように、宗教の問題がある。信仰は結構である。だが、これは食べるが、あれは食べないという怪しげな論理と同じく、宗教においても、あの教えは邪教で、こちらの方が絶対正しく価値あるというような一面的な捉え方と押し付けがどれだけ不穏で不合理な悲劇をもたらしてきたかは人類の歴史が明らかに証明している。バランスのよいものの捉え方、接し方、食べ方が大事である。菜食主義者はそれで大いに結構。なれど、それは人に強制できるものでもないし、絶対価値でもない。その意味で多くの日本人が菜食主義者に遠い位置にいることはせめてもの幸せである。
Y.F. @ 2006年 03月 20日 09:02:30
鋭いご指摘をありがとうございます。
地球上にある有限のものはすべて大切にしていきたいですね。その方法を模索し続けるのは人間の義務のようにも感じています。主義主張でがんじがらめになって本当に大切なことを見失ってしまうのだけは危険だと私も思います。どんな文化風習や思想のうえにあっても、一方通行ではなくできるかぎり多くのことを前向きに受け入れて理解していくことが必要でしょう。そのうえで食べることでいうならば「おいしい」と感じられ、元気に暮らせるのが一番だと思います。
mika @ 2006年 03月 21日 01:52:35
食文化という。食べる事は固有の文化である。食材の選定、味付け、色付け、盛り付け、そろぞれが伝統と知恵と芸術・技術の勝負である。ただ食べればよいというわけではない。そこには民族、歴史、宗教、風土、気候、それらが見事に有機的に作用しあった独特の文化を醸成する。ハンバーグを食べればよいというわけではない。スパゲティを口に押し込むからいいというものでもない。そこには味わいというものがなければならない。時間に追われてただの食材を胃に詰め込むだけでは豊かな文化やセンスは養われない。ファーストフードに依存しがちな日本人の食生活からは、文化はどんどん遠ざかっていく。正に今朝の我が家の朝食はその現象を鮮明に且つ象徴的に表していた。なぜなら、パン一切れとコーヒーとどこかの国のバナナをそれぞれ独立した物体として胃に放りこんだだけのものだったがゆえに。
Y.F. @ 2006年 04月 01日 11:38:02
英語で書かれた「なぜ日本人は太らないのか」
といった類の本が最近ちょっとした話題のようです。
欧米に比べれば日本人は痩せ型が多いかもしれません。
日本人は忙しく立ち食いそばも食べるけれど
基本的には食卓を囲んで沢山のお皿の料理を
味わうことのほうが格段にいいと思っているでしょう。
その主たる味覚はうま味。うま味の繊細で
奥ゆかしい、幅の広いお料理を味わうことの
楽しさや満足感を知っているから、
たとえばたばたとバナナを口に放り込んで
朝出かけたとしても、ちゃんとそれをフォローできる
食習慣(欲求?)がある限り、怒涛のごとく
脂肪を蓄える道に踏み外すことは
すくなくともマクドナルドとコーラのディナーが
中心の人々よりは少ないのではと思います。
mika @ 2006年 04月 03日 04:41:27
うまみを味わい、うまみに感謝し、うまみにしたずつみをする。久しく忘れかけた感覚です。そういえば、すべての食べ物にうまみがなかったら味気ないでしょうね。この食べ物は蛋白質何グラム、ビタミン何グラム・・・・・といった栄養源だけの食べ物でうまみがなかったら・・・・と思うと、豊富なうまみを誇る日本の食べ物はいいですね。日本の食べ物です。必ずしも日本食とはいわない。うまみが最高の感動をあたえるとき、ひとは”うまい!”と口ずさみ、あるひとは雄たけびにもにた奇声を発します。このうまみを出すのは一つにはコックさんや作る人の”制作欲”やセンスや研究やサービス精神ということになるんでしょうね。それと同時に食べる人、鑑賞する人たちのセンスや味覚が相当に高度な品質とレベルを保つということでしょうね。ラーメン屋さんが繁盛するのも、作り手と受けて側の絶妙なバランスやせめぎあいがあるからでしょう。多様なうまみを演出し、創作し、提供する優れたコックさんや家庭の主婦たちに恵まれた日本人は本当に幸せですよ。
fukusemoyaseoke @ 2006年 04月 13日 09:39:20
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