セイムスケール

ナポリで「ティツィアーノと16世紀のイタリア宮廷肖像画」展が開催 - イタリア

【ナポリ/イタリア 28日 AFP】24日、ナポリのカポディモンテ博物館で「ティツィアーノと16世紀のイタリア宮廷肖像画」展が開幕した。今展覧会は3月24日から6月4日まで開催される予定となっている。写真は、ヤン・ステファン・カルカル(Jan Stephan Van Calcar)の肖像画(左)を眺める客。(c)AFP/MARIO LAPORTA

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イタリア・ルネッサンスの巨匠のひとりであるティツィアーノは、この時代に活躍した画家の中でもっとも長生きした人物だ。なぜここでティツィアーノなのかいうと、ハウスメイトのG君と「芸術家というと、ゴッホやモーツァルトといった比較的若くしてこの世を去った人々が思い浮かぶけれども、ではこれまでに一番長生きをしたアーティストは誰だったのか?」という話をしていて、そこでティツィアーノの名があがったからである。改めて調べてみると、1488年に生まれ、1576年に没したということである。数えてみれば確かに彼は享年88歳という長寿であった。

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長寿を全うするのがどのレベルであるのかといえば、仮に80歳以上を生きた人々ということにしておこう。ティツィアーノのみならず、人の世には長く生きた芸術家は探せば探すほどいるものである。例えば特に私が気になる人物を幾人か挙げてみると…

ミケランジェロ(1475~1564、享年88歳)
葛飾北斎(1760~1849、享年88歳)
ピカソ(1881~1973、享年92歳)
ホメロス(紀元前900~800? 享年100歳?)

もっと生きた偉人も、沢山いる。中国の老子は、その名に恥じぬ享年125歳であったというから驚きである。(ちなみに泉重千代さんは120歳でお亡くなりになった)。

私はかねがね「高齢まで活動の手をやむことがない、あるいは長寿をまっとうした芸術家」に敬意を寄せているひとりだ。いわゆる「夭折した」素晴らしい芸術家は数多くいて、その人生を見るだけでも大変な刺激になる。しかし、人生80年以上といわれるこの時代に、長生きをした芸術家や作家、哲学者、科学者などが残した実績と十人十色の生き様を通してのほうが、簡単にいえば元気付けられるし、励みになることが多い。長く生きて人生のさまざまな身体と精神と経験の段階を積み、一生をすごした人々の軌跡。その足跡だけでも後世に残すものは大きいと思う。

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ところで、この話題に興味をもってちょっと調べ物を進めていた私は、とあるオンライン・アーカイブに行き当たった。「玉川和正+アートランダム 建築・都市研究所」のホームページである。

たまたま見つけたこのサイトには、サイトオーナーで建築家の玉川和正さんがこつこつと積み上げてきた、「人生のセイムスケール」の総合的なデータベースが含まれている。ご本人いわく、すでにかの山田風太郎が『人間臨終図鑑I, II, III』(徳間文庫)をすでに出版しているので、「自称 二代目風太郎」としてあくまでも個人的なセレクションによるものであるとのことだが、玉川氏の建築家ならではの独特の人生観(および建築観)の世界に触れられるのも興味深い。

建築用語で「空間のセイムスケール」、つまり「新しい建物を計画する際、よく知られた古今東西の建物の平面図や立面図を同じサイズ、スケール(縮尺)で並べて空間の大きさや高さ、そしてコンセプトを比較するセイム スケールというプレゼンテーションの方法」(HPより)というのがあり、そこから発展して「時間のセイムスケール」すなわち「人生のセイムスケール」を描いてみようとおもった、というのがそもそものはじまりとか。さらに、玉川氏のいう「人生のシンクロニシティ」のアイデアと、「蛇足」とある「人生幸福量保存の法則」の見方も、フムフムとうなづくところがある。

建築家らしい視点で蓄積されたこのアーカイブ(まだ未完成ということだが)のよいところは、性別や年齢、ジャンルや学術的なアイデアの枠にとらわれることなく、単純に人の一生の長さの中での所為を眺めることができる点だ。

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日本社会では、とかく「おいくつですか」「へぇ、同世代ですね」という話題がよくあがる。この程度なら親近感があっていいのだが、話が発展して、あるいは誰かが席をはずしたときにすかさず、「彼女は30スギだからもうオバサン」「彼は40スギだからもうオジサン」「彼女は50スギだからもう…」「彼は60スギだから…」云々、年齢または年代を形容する常套句も、一方で多いように感じられる。さらには帰宅までの電車の中で、つり革広告の記事をなんとなく眺めながら「自分は勝ち組、負け組み」などとぼんやり考えて、自らをカテゴライズする自己評価法までついてまわってくる。

さて、冗談も含めてそうした分類わけで感傷に浸り、あるいは優越感に浸り、気晴らしをし、明日への糧とするならそれもよいだろうが、少なくとも年齢・年代については第二次性徴真っ盛りの背伸びをしたい年頃を過ぎたら、それぞれに与えられた年齢をちゃんと見極めながら、与えられた身体能力と判断能力を駆使してそのつど楽しむべきだろうと、たまたま30代にしてここに書き記している次第。

それぞれの年代に与えられた楽しみ方が、きっとある。それはすでに人生のセイムスケールに掲載されている我々の先人によって明らかにされているはずだ。

ちなみに玉川氏がまとめた「セイムスケール」の最長寿記録は、「ハリエット」(175歳)。ヒト科でないのにもかかわらず、ヒトの名を与えられた「彼女」。まだ知らない人は、ぜひ一度、その後光に触れてください。

参考リンク:

「玉川和正+アートランダム 建築・都市研究所」
人生のセイムスケール
http://art-random.main.jp/samescale/index.html

カテゴリー[ アート・文芸 ], コメント[7], トラックバック[0]
登録日:2006年 05月 04日 02:46:38

コメント

セイムスケールの記事、大変に面白く拝見。きのう、大リーグで活躍した長谷川元投手(今はシアトルを本拠地にしているらしい)の人生哲学、人生プログラム(こうした表現は使っていなかったが)の特番であった。彼は現在37歳であるそうだが、自分が野球をやっていて、彼の行動を支え、意識の中心で彼をサポーとしたのは、小学校の息子のことであり、家族のことであったそうである。そして、毎日欠かさずその日思ったこと、考えたこと、ヒントになったことをノートし続けたそうである。そして、37歳でまだ野球選手として現役を続けられるとは思うが、なにやら自分のイメージと違う自分がそこにいる事を感じ、野球を止め、いま逐電中であるとの事。彼の偉いのは、息子や家族と共に歩んだ野球人生から、自分の生き方に自信をもち、恐らくこれからも確信のもてる成功の人生をなにやら予感、予測できるので、野球の現役選手とは違う領域でまたチャレンジしていきたいというようなことを気負わず、淡々とコメントしている事である。人生の達人といわれる人がいる。あなたのセイムスケールを、長谷川のインタビューTVとラップし、興味をもって拝見した次第。

ふくせもやせおけ @ 2006年 05月 04日 05:03:30

スポーツも芸術のひとつ。スポーツ選手にも、時折はっとするようなことを言う方を見かけますね。
資本主義体制化のスポーツは産業化・ビジネス化されてお金が動くような性格になりがちで、私はその点はあまり感心できないなと思っていますが、そうした妙な臭気をその人なりのポリシーで打ち払って、どんな道でも前進できる人であれば素晴らしいことだとおもいます。

過去の栄光だけを背負っていきていくこともなく、地味でもいいからその人ひとりひとりが、幸せな生き方を選べる世の中であれば素敵ですね。

mika @ 2006年 05月 04日 21:59:36

私の名前のように自分の人生が”風船割れた!スー・・・”ではそれこそ人生終わり。割れる直前まで、或いは極限まで目一杯内部のエネルギーを膨らませられる、そんなエネルギッシュな人生であったらといつも思います。しかも、そのエネルギーが
それこそ”Everlasting"で継続性があること、一貫性があること。難しいですよね、これって。人生は年齢ではないと思いますよ。体力や運やその他のいろんなファクターがあって、小泉さんが言うように”人生いろいろ”ですが、人生を謳歌した人はいろんな雑多な要素や自分では制御しがたい運命的な事柄までも含めて自分のものに取り込んでしまうバイタリティとへこたれないおおらかな精神的な図太さをもった人ということになるでしょうね。風船が割れることばかり気にした人生は面白くない。割れてしまっては元もこもない。その辺をうまくやっていきたいと思ってます。fusenwaretarからのメッセージでした。

fusenwaretar @ 2006年 05月 09日 20:43:03

一生は一度しかないものですもんね。
不老長寿になろうと思って欲深くならない限り!
最近は精神科学や心理学もすすんでいて、
「幸せ」の科学を追求するのが宇宙開発や人間の起源探究と
ともに大きなテーマになっているようですよ。

そのうち、「幸せ」ももっと具体的に説明がなされるように
なるのかもしれませんね。
それは画期的な発見になろうことは疑いないのですが
意図的に幸せをコントロールするようになったら、
人生の醍醐味も、減ってしまうかもしれません。

ちなみに、幸せと喜びは、違う感情に属しているそうですよ。

余談ですが・・・。

mika @ 2006年 05月 11日 04:59:27

”幸せと喜び”これは人生の最大願望の一つでしょう。心から喜べる人、喜びの感情をつかみえる人、そのような環境にできるだけ多い頻度で接することのできる人、こういう人は多分幸せを満喫できる人と言うことでしょう。絶対的真理としては、幸せは喜びに依存していると言うことでしょう。喜びは常にアクティブで前向きです。能動的に喜びを体験できること、そうした舞台を意識的にあるいは無意識的に創造できること、この二つが実現できるとき、人は絶対に幸せ感を持ち得るでしょうね。
喜びを創出すること、これが継続的に達成できるひとは幸せです。いえることは、創出といっても、達成といっても、全部自分が能動的に生きるという活動でしか可能にならないということです。幸せも喜びも、結局のところ自分の生き方そのものの投影ということになるんでしょうね。

fusenwaretar @ 2006年 05月 11日 20:33:12

「人生のセイムスケール」の墓守・たまと申します。
「人セム」のご丁寧かつ過分な紹介、ありがとうございます。
BBSから遊びに来てくださいな。
リクエスト人物もお待ちしています。

たま @ 2006年 05月 26日 06:55:13

たまさん
こんにちは。コメントありがとうございました。
人生のセイムスケールは、なかなか充実したアーカイブだと
思っておりますよ。調べ物にも便利です。
近々ご挨拶に参上しますね。どうぞよろしく。

mika @ 2006年 05月 26日 19:10:14

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◆経歴:ふくしまみか
ライター・ジャーナリスト・エディター。東京生まれ千葉育ち。千葉県八千代市在住。玉川大学文学部外国語学科を卒業後、広告制作会社、新聞社勤務を経てフリーランスとなり、日本や海外で活動中。「ガンダーラ・ハウス」は気軽なエッセイ集です。近況などは上記「ブログ」のリンクからどうぞ。
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