匠の視点
【東京 15日 AFP】台東区の浅草で流鏑馬(やぶさめ)が開催された。12世紀に始まった流鏑馬は武士にとって全速力で疾走する馬に乗りながら、正確に的を射る技術も必要だった当時、流鏑馬は重要な訓練であった。江戸時代に浅草神社の正月行事として行われていた浅草流鏑馬は、1983年に台東区により復活させられた。(c)AFP/TOSHIFUMI KITAMURA
矢の先に
狙いさだめて
一筋に
過ぎる緩急
息を呑むかな
――日本の美のひとつに、道があり、技がある。日本の伝統は薄れてきているといわれるいま、あらためて日本独自のよさとは、と考えてみる。するとおのずと行き着くところはすべてに通じる繊細な心づくしだ。
***
偉大で根源的な理論の発見や発明の多くは、海外にゆだねられる。日本からも発明品はたくさん生まれてきているが、それらの多くは、おおもとの発明や理論を、実用的に改良して、スマートにつくりかえてしまう類のものが多い。
繊細なものの見方と手先の器用さ、そして意外な合理性がなせるわざ。それがつい出来がよく仕上がってしまって「おおもと」以上に世界でヒットすることもある。すると「マネばかり」とか「金儲け主義」などと揶揄する人たちがでてくるが、気にやむことはない。なにごとにも発展を促すために、それぞれの国の人々が持っている独自の才能や視点は常に磨かれてしかるべきだろうから。
***
初夏の季節、英国で家の引越しの整理を手伝った。作業をしていたのは3人。ごく限られた家具と小数の雑貨や衣類の荷解きをした。作業も一段落し、今日はお開きにして夕飯でも食べようということになった。
だがそこにはディナーをとるにもテーブルと椅子がなかった。家中がまだ雑然としていて、落ち着く場所もない。庭はといえば日が翳りなんとなく冷え込んできて、肌寒いくらいだ。
仕方がないので、我々は床にスペースをつくってそこに座り、食事をとることにした。それは日本人の私にとっては当たり前の姿勢である。しかし英国人2人は、なんとなく落ちつかなそう。なれない姿勢でぎこちなく料理を口に運んでいる。
私は説明するのもおっくうなので黙っていたが、案の定「日本では床に座ってご飯を食べるんだよね」と話を振られた。そらきた。ちょっと疲れて怠惰な気持ちになっていた私は「うん」とだけ答えた。
そのとき、私は奇妙な違和感を覚えていた。立っているときは気がつかなかったものだが、座って英国の家屋の一部屋をしたから眺め回すと、すべてが異常に大きく感じられたからである。
天井の高さや壁の幅。ひとつひとつの絵画の大きさ。下へ向けばあらわな床板。そのときカーペットをひいていなかったので、裸の床板にそのまま座る格好をしていたのだが、床板にささった釘や木に空いた穴などが無尽蔵に赤裸々に姿をのぞかせていた。私はまるで自分自身がミニチュアになったような気持ちになった。
***
床で座って暮らす生活をしている日本人は、自分の足元や身の回りがおのずとよく見渡せる環境にあるのだと、このとき実感した。
家の中では靴をはかず、足や尻、手のひらなどが床に直接触れる機会が多い。だから床の材質にはこだわり、当然、壁に釘の頭がのぞいていることはない。もともとの性格もあるだろうが、細かいところに気が配れるのも、こうした住宅の材質に直接的に触れることが多い生活を送っているせいもあるかもしれない。
日本の細やかさには「ちょっとやりすぎ」と感じることもある。だがいたれりつくせりの日本的知恵と配慮がつぎ込まれたものに慣れてしまうと、外国のものがとても大味で、不便だと感じることが多くなる。同じ人間が企画して製造したものなのに、この違いは不思議である。
***
私は自宅で作業をしている人間なので、外出する用事がなければたいてい昼ごはんを家でとる。今日ふと気が向いて炊き込みご飯をつくってみた。
しかしここは外国、炊飯器がないのでコンロと鍋をつかい、水加減や火加減は経験による勘に頼るしかない。これはこれでけっこうおいしくご飯が炊けるが、炊けるまで四六時中見張っていなければならないので、忙しいときにはちょっと不便である。
そこでふと電気炊飯器が日本人の発明であったことを思い出した。ほうっておいても炊ける全自動電気釜が現・東芝から発売されたのは、昭和30年(1955年)。電気掃除機、電気冷蔵庫と並んで「三種の神器」のひとつだ。
この自動炊飯器は「寝ているうちに」ご飯がおいしく炊けるというので、日本の女性たちはすっかり気に入り、まもなくオートマチック・ライスクッカーとして米を食する外国人や日系人たちの間にひろまっていった。
私は外国で、コンロと鍋の炊飯を案外気に入って入るが、「炊飯器があったら楽だなぁ」と、全自動電気釜が初めて登場してから50年以上もたった21世紀にしておもう。「毎日らくらくご飯が食べられるんだ」とおもうとうっとりする。
「ああなったらいいなぁ」「こうだったらいいなぁ」という日ごろのちょっとした希望を、ストレスにしてしまう前に、いっそ自分で使いやすくしてしまおう… 日本人の細かな視点は、人々の生活を地道に彩る側においては比類ない効力を発揮する。
***
対世界で日本をみたばあい、諸外国にむけてメラメラと闘志をもやしたり一攫千金を狙ったりするより、たぶん目に見えるものをすみずみ眺め回して、よりいっそうの洗練に向けてこつこつものづくりをしたりするほうが、本質的には日本人に向いている。そうはいっても海外諸国とのやりとりは続けなければならないのだが・・・。
諸外国間の行き来や連絡が楽になってきた世の中、若い層の間では外国に対する憧れが薄れつつあるという。手に入りにくければ憧れ、手に入りやすければ興味を失う。人間の正直な心理だ。
それなら、これから先ふたたび日本のよさを引き出せるような機運が高まっていけばいい。昔あったような伝統的なものではもはやないかもしれないけれど、現代っ子だって匠の血をひく日本の申し子。過去をひきついで新しい形を編み出していく大切な役割を担っているのだから。
カテゴリー[ 徒然 ], コメント[2], トラックバック[0]
登録日:2006年 05月 11日 01:32:52
コメント
これから好きなことばを名前の一つにします。どうぞよろしく。
"匠”ということばは大好きです。
日本の伝統芸術、建築様式、各種の手法、それぞれが匠の息遣いが感じられていいですね。匠のことばのロマンチックな響きのなかに、実際にはいぶし銀のような、ときとしてかたくなまでの自己表現へのこだわりがあって、へらへらした安物とは違う落ち着きと自信と強靭な精神力を感じます。大事にしていきたい日本の誇りです。
それから、床に座ったあなたの目線と視点の話、面白いですね。目線、視点いずれも大事なことばです。子供の目線で世界を見る。車椅子の患者の目線であたりをみる。次元の高い視点でものごとを考察する。異なる視点で事象を見直してみる。こうすることによって、なにやら周りが急に広く、暖かく、おおらかなものに見えてくる。目線と視点にちょっとした変化を与えるだけで世の中がぐーんと近づいてくる。理解が深まる。知覚の幅が広がる。愛情が高揚する。匠の視点とはある意味で人間の根源を問い、感知するための目線でもあるかもしれませんね。
自由 闊達 @ 2006年 05月 11日 20:07:16
日本で美術を勉強すると、世界中に目を見張るような芸術があるのにどうも西洋美術中心の考え方になりがちで、かといって日本美術に限ると極めて狭い世界のものになりがち・・・ そういった中で、自由闊達さんがたまたまコメントしてくれた世界観は、日本の風土で美術を生み出すうえでの大きな原動力となっているのだろうなと感じました。
mika @ 2006年 05月 12日 20:30:05
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ライター・ジャーナリスト・エディター。東京生まれ千葉育ち。千葉県八千代市在住。玉川大学文学部外国語学科を卒業後、広告制作会社、新聞社勤務を経てフリーランスとなり、日本や海外で活動中。「ガンダーラ・ハウス」は気軽なエッセイ集です。近況などは上記「ブログ」のリンクからどうぞ。
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