春の訪れ
【3月28日 AFP】28日、都内各地で桜が満開となり、眺めを楽しみながら散策する歩行者らの姿が見られた。今年も多くの人が花見を楽しむ。(c)AFP
下総にはなだらかな丘陵地帯が多い。平凡な首都圏郊外の住宅地を一歩出てみれば、耕作のための平地と雑木林がこんもり生い茂る小山や丘陵が、こぢんまりとやさしい里山風情を彩る。桜が満開の午後、風景画のモデルを探しに小さなスケッチブックを持って散策に出かけた。いつもの散歩コースだが、桜と新緑、青緑色の竹林のせいでふだんよりも甘い香りが漂う。
◇
小さくてさほど名も通っていない神社仏閣に足をとめた。近くの農家の人々の菩提寺らしき立派な構えの寺で、敷地内にはブランコや鉄棒、ジャングルジムといった遊戯施設がそっけなくおかれている。新緑の木漏れ陽が寺の青緑色の屋根にこぼれて美しい陰影をつくっていた。私は平均台に腰をかけてスケッチブックを開くとスケッチを始めた。
先ほどから私に前後して、同じルートをたどりながら大きな黒い犬の散歩をしていた初老の男性が、寺の庭を横切っていった。それに入れ代わるように音もなく近くにある農家に住んでいるらしい7歳くらいの女の子が、軽い足取りで庭に駆け込んできて、一人遊びを始めた。
私が平均台に座って何か描いているらしいことに気付いて気になったのか、鉄棒やらジャングルジムやらで体を動かしながらも、じわじわと私の近くに寄ってきて、まわりをうろうろし始めた。
数分の間スケッチに集中していたが、ふと背後に視線を感じて振り向くと、2メートルくらい斜めうしろにさっきの子供が立っていた。紺色の長袖のブラウス、ジーンズ地のミニスカートに、同じような青い色合いのタイツをはいている。前髪を切り落とした涼しげな顔の女の子だった。彼女は私の振り向きざまにさっと目をそらし、そ知らぬ顔をして、遊戯のほうへ音もなく掛け戻っていった。
私はちょっと驚いたが、多分私がどんな絵を描いているのか気になって、後ろから観察していたんだろうと思い、軽く笑いかけるとそのまま彼女に観察されるにまかせたまま、絵を描き続けた。
スケッチを再開すると、間もなく息をのんで私の絵を背後から観察しようとする子供の視線が再び感じられた。私も彼女のその緊張感にあわせるかのように、そのまま鉛筆を白い紙に走らせた。
階段を10段くらい上がった先に、竹林、桜、ケヤキなどの巨木に覆い囲われた小山があり、その上にこぢんまりとたたずむ青緑の屋根の寺。子供にとってみれば当たり前の遊び場所がどのように描かれていくのか、そのさまに興味があったのだろう。
スケッチがこのとき最高によいできであったと言える自信はない。けれども背後では相変わらず、ある種の尊敬のまなざしが、私の背中と、スケッチブックの絵そのものではなく鉛筆をにぎるその手の上にそそがれていた。大人が庭に座り、絵を描くという行為そのものがその子には何か特別なことに見えたのかもしれない。
一通り描き終えて、私の手はとまり観察のなわがとかれ、静寂が訪れた。視覚に入る色彩を脳裏にとどめるように、私はその光景をしばし眺めていた。笹の葉が春風にかすかに揺れていたが、満開の桜はまだほとんど散る気配がなくたわわに実った果実を思わせる。
さっきの女の子が、寺の庭の中央をまた横切った。小さな彼女は、あたかも私が写真撮影か何かをしていて、ファインダーに何か異物が入ったら邪魔になってしまうのを配慮するかのように、腰を周到にかがめ、頭を下げて駆け抜けていった。
彼女のそうした初々しい気遣いは短い春の訪れにも似ている。肉眼のファインダーには、頭を下げて、はにかみと尊厳を抱いて走り去る彼女の可憐な姿がしっかりと入っている。立ち上がって帰途についたときには、すでに彼女の姿はなかった。寺の庭を出るとき、ふたたび背後にまなざしを感じたが、振り返らずに寺を後にした。
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登録日:2009年 04月 08日 11:36:59
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ライター・ジャーナリスト・エディター。東京生まれ千葉育ち。千葉県八千代市在住。玉川大学文学部外国語学科を卒業後、広告制作会社、新聞社勤務を経てフリーランスとなり、日本や海外で活動中。「ガンダーラ・ハウス」は気軽なエッセイ集です。近況などは上記「ブログ」のリンクからどうぞ。
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