2006年 12月
バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り
ここは、画家 フレデリック・バジールのアトリエである。
画壇ではモネ、マネ、ドガ、ベルト・モリゾ、ルノワール、ホイッスラー、アンリ・ファンタン=ラトゥールなどが、バジールと深い絆を結んでいく。
1枚目は、マネが住まうバティニョール街へ、バジールもアトリエを持つ。そこがラ・コンダミヌ通りだ。
大きな窓の下で、作品を長身の男性が、二人の人物に披露している。自作を手にしているバジールだ。帽子にステッキの男性はマネ。もう一人がモネ(批評家ザカリー・アストリュックとも)であるらしい。
右のピアノを弾く人物は、バジールの友人エドモンド・メートルで、ルノワールも彼の肖像画を描いている。
そのルノワールは、エミール・ゾラが、階段の手すりごしから話をしている階段下にいる。バジールの同居人でもある、ルノワール。
ピアノを弾くエドモンド・メートルの上には、果実の静物画が掛けられている。ソファーの後ろの絵は、バジールの「身づくろい」によく似ている。メイドの黒人女性が左側で、裸の女性の身づくろいをはじめるのだが、女性がそのメイドに手をまわしている部分がよく似ている。本来は、右側にも女性が、衣服を持って立っているのだが。左上の壁には、「BADENDE(海外ではこのタイトルが馴染み深いらしいが、投げ網の漁師のこと)」
では、バジールは、どの自作を披露しているのか。
どうやら 「村の眺め La vue de village, 1868」らしい。
この作品は、「フレデリック・バジール トワレ(身繕い)」の記事から、鑑賞できる。
では、2枚目のアトリエ、3枚目のアトリエと続ける。
右は、「ヴィスコンティ通りのアトリエ」である。左が「フュルスタンベール通りのアトリエ」である。1862年に、パリのシャルル・グレールのアトリエで、モネ、ルノワール、シスレーなどと知り合う。1865年、サン・ジェルマン・デ・プレ教会に面したフュルスタンベール通り6番地にアトリエを借り、数ヶ月はモネと共同生活。(バジールは、モネの「草上の昼食」をはじめとする作品に、モデルとして登場している。) 作品のヴィスコンティ街に住んだ頃、またモネと暮らし始める。そしてルノワールも共に。1867年のこと。ラ・コンダミヌ通りに移る、1年前のことだった。
1857年、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の壁画を描く画家がいた。ドラクロワである。この年、フュルスタンベール通りに、住居とアトリエを兼ねて、それから1863年に没するまでの5年間を暮らしていた。この左側のバジールのアトリエは、ドラクロワ風のアトリエで、彼への信奉だろう。
現在、国立ウジェーヌ・ドラクロワ美術館となっている。
この「フュルスタンベール通りのアトリエ」には、手前に、モネの睡蓮と思われる作品が掛かっている。
バジールは、29歳で、11月18日に、ロワレで戦死をしている。
写実派や印象派の芸術集団との交流から、彼が、ノブリス・オブリージュ(高い生得的地位による高貴な精神)の人格であることを知る。実際には、プロテスタントの中流階級であるが、暮らしが裕福であったため、まだ著名ではなかったモネやルノワールたちの、パトロン的存在でもあった。ルノワールとバジールが、互いに描きあった肖像画がある。
1870年から71年、ルノワールは普仏戦争に徴兵された。バジールは徴兵を断ることもできた身分であった。だが、ルノワールの場合はそうではなかった。バジールは、ルノワールとともに普仏戦争へいき、ルノワールだけが帰ってきたのだった。
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登録日:2006年 12月 28日 03:19:52
フリッカーのスター・ダイアリー
フリッカーのスター・ダイアリーといえば、magic fly paula のポーラが評判だ。だが、フリッカーのスター・ダイアリーは、 lunaryunaもアップロードしている。この人、通常の枠を超えた生命を哲学としているらしい。
ポーラは一種の百科事典として、自分の宇宙論を描いている。lunaryuna は、そのポーラのスター・ダイアリーが引き金となっったらしい。
magic fly paula's photos / Tags / star by Paula Catãoさて、この二人のPHOTOを4枚引用した。
star diary - tribute to Lem Created by lunaryuna.
caderno das estrelas /star book Magic Fly Paula by Paula Catão
上左から スター・ダイアリーシリーズⅡより
Caderno das estrelas 24/ Star Book serie nº2
「2つの太陽」-ポーラは、読書家で、その読書からイマジネーションを得ることがあるという。この作品は、図書館で発見し、ビジュアルしたようだ。
Caderno das estrelas 18/ Star Book serie nº 2
「ジョルダーノ・ブルーノに捧げる」-イタリア・ルネサンスの哲学者であり、天文学者。「地球自体が回転しており、それによって地球上からは見かけ上天球が回転しているように見える(Wikipedia)」というブルーノの宇宙論は、異端であると火刑に処せられた。そのブルーノの正しい説に対しての賛辞。
lunaryuna star diaries
下左から スター・ダイアリー
star diaries entry 11 - Tribute to Stanislaw Lem
star diaries entry 12 - tribute to Stanislaw Lem
ポーラのスター・ダイアリーから、 lunaryuna が イマジネーションを与えられた作品の、11番目と12番目のエントリー。
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登録日:2006年 12月 16日 17:47:56
イプスウィッチ の ジャック・ザ・リッパー

Photo by CD Cover Frank Gutavus - Jack The Ripper /Ripper Records
ロンドンのイーストエンドにある、ホワイトチャペル教区に、ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)によるコールガールの犠牲者が発見されたのは、1888年、8月31日だった。そして150年を経て、この12月に、コールガールの犠牲者が、ロンドンの北東イプスウィッチで、5人確認された。詳細はこちら→(http://www.afpbb.com/article/1172783)
この二つの事件の共通点が、コールガール(売春婦)の連続殺人である。被害者は5人で、「つぎ」がなければ、犠牲者の数も同じである。
ただし、容疑者像と殺し方が相違するようだ。イプスウィッチの容疑者は、ドライバー、セールスマンという労働者階級だ。だが120年前の容疑者は、医者、教授、公爵という階級だった。さらに警官の夜の巡回で、ふたたびその場所を巡回する、たった15分のうちに、猟奇殺人が行われたということだ。イプスウィッチの殺人では、残忍で考えの及ばない猟奇殺人という報道はない。
現代に蘇ったジャック・ザ・リッパーの犯行があったイプスウィッチも、産業革命時は、労働者街である。鉄道が開通され、炭鉱の街であった。多くの移民たちに少数の英国人。いまも人種のるつぼの街だ。19世紀のイーストエンドは、マイ・フェア・レディのイライザや、チャールズ・ディケンズの作品に登場する少年、オリバー・ツイストは、ここの出身である。やはり産業革命で、製紙工場や陶器工場で、過酷な労働条件のもとに、低賃金で老若男女が働いていた時代だった。もちろん、児童も含めて。
19世紀(イーストエンド)のジャック・ザ・リッパーは、当時の巨大な貧民街にあらわれた恐ろしい連続殺人者だった。おりしも100年以上経て、つい11月21日 に モンタージュ写真が公開されたばかり。当時から目撃者はいたのだ。
イーストエンドのジャック・ザ・リッパーは、犯行を事前に、セントラル・ニューズ・エイジェンシー紙(Central News Agency)へ送っている。サインがJack The Ripper。そのイニシャルを屍体に刻みつけ、切り裂き、解剖し、臓器や子宮を持ち帰る。その後、次々に挑戦状や臓器の一部も送り続ける。
過去記事 2004年11月24日、英国紙インデペンデント(Independent)によれば、1888年の切り裂きジャックの多くの容疑者候補の中で木綿職人 ジェームズ・メイベリックに関する記述があった。
当時のもっとも疑わしいとされていた人物
*Montague John Druitt モンタギュー・J・ドゥルイット
31歳。最後の事件の直後にテムズ川で自殺。
*Aaron Kosminski アーロン・コミンスキー
イースト・エンド近郊に住んでいた、コミンスキーは、目撃者の証言で容疑者となるが、証言は撤回された。
*Dr. Thomas Neil Cream 堕胎医.ニール・クリーム
1892年に別件で絞首台にかけられた時、最後に「 "I am Jack..." (私がジャック・ザ・リ・・・)」と言って死んだ。
*James Maybrick ジェームズ・メイベリック
リバプールの木綿職人で、2004年11月24日、英国紙 Independentで、またニュースになる。1990年代に、リバプールの古物商マイケル・バレットらによるメイベリックの日記が公開。つまり犯行を日記で告白しているのだが、捏造とされていた。ところが、彼の金時計なるものがあらわれ、その時計のサインと屍体に刻まれていた筆跡が一致するというが、
結婚届の筆跡と一致はしていない。というものだが、時計のサインは、ふつう、顧客の名前を時計職人が刻むものではないのか?まぁ、いいけど。
*Michael Ostrogマイケル・オストログ
殺人癖のロシア人の医師。帝政ロシアがイギリス警察の混乱を招くため送り込むともいわれているらしい。
*Prince Albert Victor, Duke of Clarence クラレンス公プリンス・アルバート・ビクター (プリンス・エディー) ヴィクトリア女王の孫、次期王位継承者エドワード皇太子の長男
「切り裂きジャックは実在したか」
【引用:キャサリン・エドウズとメアリー・ジェーン・ケリー(←被害者)については遺体の損傷がわかりますが、他の3人については傷ついていない顔が写っているだけで、身体は布や衣服でおおわれています。(←確かにそうだ) (略)この事件に関して、イギリス政府の対応にはおかしな点があります。(略)】
メアリー・ジェーン・ケリーとされる最後の犠牲者を、英国国教会ではなく、カトリック信者のパリ伯爵の娘エレーヌ・ド・オルレアン(Helene de Orleans ?)ではないか。それもプリンス・エディーが結婚を望んだらしい。この女性を亡きものにするために、イギリス政府が作り上げた架空の殺人事件という・・・。ありえますね。
そのほかの容疑者たち
*ビクトリア女王の御典医 Sir John Williams サー・ウィリアム・ガル (1816-1890)
*サー・ウィリアム・ガルの御者 ジョン・ネトリー (1870頃-1904)
*詩人 *Francis Thompson フランシス・トンプソン (1859-1907)
*数学者 チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン (ルイス・キャロル 1832-1898)
*画家 Walter Richard Sickert ウォルター・リチャード・シッカート (1860-1942)→XAIから読んでください。
「切り裂きジャックの寝室」(1908) 製作
*Joseph Carey Merrick ジョゼフ・ケアリー・メリック (エレファントマン 1862-1890)
僕とおなじ中年世代の方々なら、多感な時期に「エレファント・マン」をシアターで観たのではないだろうか。極度の奇形と皮膚の異常で、「エレファント・マン」とよばれ、継母に追い出され、見世物小屋に拾われ、その後に医師サー・フレデリック・トリーヴスに保護され、純真な人格が愛されていく。僕達のように、仰向けで就寝することはできなかったが、1890年、4月11日 27歳で亡くなる。たしか映画のシーンで、彼は、「仰向けで就寝すること」は、彼にとって、永遠の眠りになる。それを知りながら、仰向けで眠ることを決意した・・・という記憶がある。彼をジャック・ザ・リッパーの容疑者に加えたなど、どんでもないことだ。(Joseph Merrick tribute site)
これ以降は、19世紀ロンドン、19世紀写真、ジャック・ザ・リッパーなどの参考サイトおよび被害者データ、イーストエンド ジャック・ザ・リッパーの猟奇殺人についてなど。(また、女性でも読みやすいように、残忍な箇所は白のテキストで入力しています。)ちなみに、僕はリパロロジー(ジャック・ザ・リッパー研究者)でも、リパロロジストでもない。
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登録日:2006年 12月 14日 18:02:54
僕らの 時事 娯楽版

僕らの時事ニュース 娯楽版 (日付はプレスリリース日)
12月6日
ティファニーで朝食を 黒いドレス落札
ゴールド 展 in NY AMNH whith ティファニー
ティファニーで朝食を ブラック ・ イブニング ・ ガウン
11月30日
盲人のインスタレーション
フラテッリ・アリナーリ Mna アリナーリ国立写真博物館
11月30日
ノーマン・ロックウエル サザビーズで落札
XAI | ノーマン・ロックウエル サザビーズで落札
Die Verwandlung | ノーマン・ロックウエル サザビーズで落札
remove | ドナルド・トラクティー氏 ロックウェルの複製画
11月23日
ルイ・ヴィトンの旅行本 出版
ルイ・ヴィトンの旅行本 VOYAGER AVEC KARL MARX
ルイ・ヴィトンの旅行本 LE CHRISTOPHE COLOMB DU CAPITAL
11月22日
パリの蜂蜜
パリの蜂蜜 レ・ザベイユ
11月11日(リリース日ではありません)
エー・シー・パークス TOKYO オープン
デンマーク王室御用達 エー・シー・パークス TOKYO オープン
11月3日
ロマネコンティの1945年 落札
東京で貴重ワインのオークション開催
ピーロート・ブルーからワインオークション
ロマネ・コンティ マグナム、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ 1945
11月2日
メルボルンで手塚治虫展
remove | メルボルン ヴィクトリア国立美術館 手塚治虫展
Die Verwandlung | メルボルン ヴィクトリア国立美術館 手塚治虫展
10月15日
「マリー・アントワネット」のワイン
ワイン マリー・アントワネット
10月19日
資生堂 香水「ローズロワイヤル」 11月限定発売
100枚の花びらの薔薇 資生堂
10月3日
仏ヴィトン 美術館建設を計画
フランク・ゲーリー by ルイ・ヴィトン
現代美術館 by ルイ・ヴィトン
現代美術館 by LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン
Salon du chocolat Paris 2006 サロン・デュ・ショコラ
サロン・デュ・ショコラ NY vs チョコレート・フェスティバルinオビドス
サロン・デュ・ショコラ パリ 2006 イベント、ブースの紹介
Salon du chocolat Paris 2006/2005 のチョコレートオブジェ
サロン・デュ・ショコラのチョコレートドレス 2006 北京
サロン・デュ・ショコラ チョコレートドレス 2006 パリ
サロン・デュ・ショコラ チョコレートドレス 2006 フィッティング
マダム・セツコ Madame Setsuko NY/パリ 2005
アンナ・シェズ 「チェスボード チョコレート」 NY 2005
チョコレートアート チョコレートの絵画(2005 パリ)
サロン・デュ・ショコラ チョコレートの彫刻(2005 パリ)
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登録日:2006年 12月 08日 17:42:12
ノーマン・ロックウエル サザビーズで落札

This file photo originally released April 6, 2006, by the Norman Rockwell Museum in Stockbridge, Mass., shows Rockwell's original painting 'Breaking Home Ties,' which appeared on the cover of The Saturday Evening Post in 1954 that depicts a father and son saying goodbye as the boy leaves for college. The painting, which had been discovered hidden behind a fake wall in its owner's Vermont home, was sold for $15.4 million to an anonymous telephone bidder, Sotheby's auction house said Thursday, Nov. 30, 2006.
【(c)AP Photo/Norman Rockwell Museum, File】
マサチューセッツ州ストックブリッジのノーマン・ロックウエル美術館。ロックウェルが愛した街であるが、2006年4月6日に、ここの美術館がリリースした絵。1954年の「Breaking Home Ties 息子の旅立ち」である。
身なりを整えた息子。父親は、これまでの人生が身に染みたような、馴染みの普段着だ。息子は落ち着かない様子である。大学進学で、この街を離れ、希望に燃えている。いまか、いまかと列車が入ってくるのを待っているのと同時に、見送りに来た父親が、ひとり帰るのを、切なくも思っているのではないか。
これきりの別れではない。
そうお互いに気持ちを整理しつつ、気にしている。その気にしているのを、気づかれたくないのかもしれない。
さて、話が長くなった。本題へ。
まず所有者のロックウェルの友人は、複製画を描き飾っていた。その友人とは、イラストレーターのドン・トラクティー氏だ。昨年、天に召されたわけだが、この絵について、専門家が首をかしげた。だが保存状態が悪いせいだということで片付けた。
ところが今年の3月に、ドナルド・トラクティー(Donald Trachte) 氏の息子が、壁に隠された「本物」を発見。4月の美術館のリリースとは、この「本物」と「複製画」を、共に展示するというものだったような記憶。
それで、今回のトピックとは。
サザビーズのオークションの話である。
ロックウェルの肉筆画である、この「息子の旅立ち」は、先日の11月30日のサザビーズ・オークションで、1540万ドル(約17億8000万円)で落札、匿名で、電話による競売人に売られたという。つまり40年以上前の1万7000倍ほどの価格がついたわけだ。
でも、この絵いいよね。ドン・トラクティー氏の複製画も見たいなぁ。→コチラ
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登録日:2006年 12月 03日 23:04:07
- プロフィール

- sai (XAI)
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- XAI
- 僕のブログの別館。最近、僕のなりかわりが出没。自分がこのブログの管理人のように記事をリンクしている人物がいます。僕のブログはリンクしている3つのほかに、xai+nessance (http://saiasxai.blog.shinobi.jp/)だけです。ハンドル名はXAI(sai)のみで、それ以外は一切関わりありません。