ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭2007 ~ピアノを囲んで

画像

(c) LA FOLLE JOURNÉE 2007

LA FOLLE JOURNÉE au JAPON-ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭 2007 の プログラムが発表になった。

国際フォーラムのラ・フォル・ジュルネのトップ画像、フランス大使館及びFolle journée 2007 フランスサイトも、このイメージと同様のプレゼンテーション。

このイメージは、Henri Fantin-Latou(アンリ・ファンタン=ラトゥール)の 「Autour du piano ,ピアノを囲んで」ではないか!(爆笑) アンリ・ファンタン=ラトゥールの「ピアノを囲んで」は ↓ こちらからご覧ください。

remove 2007・2・19 記事
アンリ・ファンタン・ラトゥール 集団肖像画 「ピアノを囲んで」
Henri Fantin-Latou(アンリ・rファンタン=ラトゥール)
「Autour du piano ピアノを囲んで」 オルセー美術館

この絵に描かれているアレクシ=エマニュエル・シャブリエも、LA FOLLE JOURNÉE au JAPON-ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭 2007 で演奏されるらしい。

このアンリ・ファンタン=ラトゥールで描かれている、ピアノに座っている主役は、アレクシ=エマニュエル・シャブリエで、向き合っているのが、エドモンド・メートル だが、LA FOLLE JOURNÉE au JAPON-ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭 2007 では、シャブリエが、ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年-1924年)で、メートルの位置にすわるのが、白い鳥が肩にとまるクロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年-1918年)だ。

白い鳥は、ヴィルヘルム・リヒャルト・ヴァーグナー(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー Wilhelm Richard Wagner, 1813年-1883年)だろうか。(笑)

Henri Fantin-Latou(アンリ・ファンタン=ラトゥール)の 「Autour du piano ,ピアノを囲んで」は、ヴィルヘルム・リヒャルト・ヴァーグナー(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー )の礼賛が象徴された、音楽家たちの集団肖像画だが、このLA FOLLE JOURNÉE au JAPON-ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭 2007のメンバーも、ヴァーグナー(ワーグナー)と深い関係があるのかな。

ピアノにむかっているガブリエル・フォーレ(フランス)
(Gabriel Urbain Fauré, 1845年-1924年)
ヴァーグナーの影響力は絶大。ちなみに肖像画は、イッポリィト・フランドランの作品。

フォーレの隣のエドヴァルド・ハーゲルプ・グリーグ(ノルウェー)
(Edvard Hagerup Grieg、1843年-1907年)
チャイコフスキーと交流があった。

グリーグの隣のピョートル・チャイコフスキー (ロシア)
(Пётр Ильич Чайковский/Peter Ilyich Tchaikovsky )
チャイコフスキーは、ヴァーグナーの才能は認めているものの・・・。

白い鳩がとまっているクロード・ドビュッシー(フランス)
(Claude Achille Debussy, 1862年-1918年)
ヴァーグナーに、はじめは心酔するものの、影響を否定

マヌエル・デ・ファリャ(スペイン)
(Manuel de Falla y Matheu,1876年-1946年)
ヴァーグナーには関係なさそう。

アントニン・ドヴォルザーク(チェコ)
(Antonin Leopold Dvorak ,1841年-1904年)
ヴァーグナーに心酔するものの、双璧のブラームスに才能を見出されている。

ヴァーグナー、別に~という感じ・・・。

さて、このイメージには描かれなかったが、ロシアのセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフは、2日~6日まで、チェコのベドルジハ・スメタナは、2日~4日、6日、フランスのシャルル・カミーユ・サン=サーンスは、5月2日~5日、ポーランドのショパンは2日と5日、ハンガリーのリストは4日、日本は4日が武満徹、3日、5日が小山清茂と、公演スケジュールがある。

おととしはベートーヴェンと仲間たち、昨年はモーツァルトと仲間たち、そして今年は民族のハーモニー。LA FOLLE JOURNÉE au JAPON-ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭 2007 の「ピアノを囲んで」の背景も各国を象徴するものに変わるのだ。

http://www.t-i-forum.co.jp/lfj/index.html

ゴシップ
のちにドビュッシー夫人となったエンマ・バルダックとガブリエル・フォーレは、愛人関係にあったらしい。

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登録日:2007年 03月 24日 23:23:34

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アンリ・ファンタン・ラトゥール

ここにランボーがいる。アンリ・ファンタン=ラトゥールが描いた、テーブルの一角に。 呪われた詩人 ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボーは、隣に座る詩人ヴェルレーヌに才能を見出されたが、1872年に、ヴェルレーヌは拳銃をランボーに向ける。未遂ですんだものの、美少年に狂ったヴェルレーヌ。 この作品は、左からポール・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine) (1844-96) とアルチュール・ランボオ(Jean Arthur Rimbaud)が描かれ、L・ヴァラード( L. Valade)、E・デルヴィリィ(E. d’Hervilly)、C・ペルタン( C. Pelletan) に、後列には、P・エルゼアル・ボニエ(P , E. Bonnier)、E・ブレモン(E. Blémont)、J・エカール(J. Aicart)が並ぶ。 「テーブルの一角 Coin de table'」1872年Musée d'Orsay, Paris, France アンリ・ファンタン=ラトゥールに興味が沸いたのは、なにも、「オルセー美術館」展なんかじゃない。ファンタン・ラトゥールの集団肖像画は、マネとファンタン=ラトゥールをめぐる交友関係が多い。「Coin de table テーブルの一角」は、マネが描かれていない。パリの文壇の面々とこの二人。しかも、発砲事件があった1872年の作品。 二人の目線は、どこを見ているのだろうか。愛したものとの別れをクローズアップしているのか。それとも確執か? アンリ・ファンタン=ラトゥールが描いたバティニョールのカフェ「ゲルボワ」に集まる芸術家たち。アンリ・ファンタン=ラトゥールの世代を代表する、文学、音楽、絵画の芸術家達を四つのグループにわけて作品化している。1885年の「ピアノのまわりで」が、四つの作品の最後。その数年前の1870年に、マネを中心に描いているのが「バティニョールのアトリエ」という作品だ。 これが、アンリ・ファンタン=ラトゥールの芸術家達を四つのグループにわけて作品化した最後の作品。 「ピアノを囲んで」 1885年 追記  LA FOLLE JOURNÉE au JAPON ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭2007 〜ピアノを囲んで 筆を握るマネ。マネの筆の行方をみる、一番右端にいるクロード・モネ。左には、知恵と工芸を司る女神ミネルヴァの像がある。ここにいる詩人や芸術家集団を、フランスの叡智の象徴として、賛美をしているか。実は、ファンタン・ラトゥールの「バティニョールのアトリエ」は、2枚描かれている・・・が、1枚はエチュード(習作)と思われたが、実はスケッチ。「バティニョールのアトリエ / スケッチ」というタイトルだ。 「バティニョールのアトリエ / スケッチ」※ここには10人が描かれていた。これは後日に。↓そしてこうなった。 Un atelier aux Batignolles 1870 バティニョールのアトリエMusée d'Orsay, Paris, France さて、もっとも僕が注目したのは、椅子に座る批評家のアストリュックがいることだ。 1863年に描かれたマネの「草上の昼食」は、当時の社会的な物議をよんだ作品。この頃は、「ヌード」は非常識であったからだ。その「草上の朝食」がサロンに出品されたときに、アストリュックは、「私は彼がこのサロンで入選するとは思われない。−(略)− しかし、彼の作品は、サロンでもっとも輝き、インスピレーションを与え、力強さをかもしだし、驚きを与える。」と評した。その批評家がいる。 さらにドイツの画家 ショルダーや、バジール、そのバジールがよく描いた友人の音楽家のエドモンド・メートルなども、ゾラやルノワール とともにいる。(画像にカーソルを合わせると、順に紹介しています。) さて、はたしてマネを讃え慕う芸術家を描いたのだろうか。パリの文壇の面々が描かれた集団肖像画「テーブルの一角 Coin de table'」にあるように、ここにも別れを描いているのではないか。 1870年、普仏戦争に出兵したフレデリック・バジール(1841-1870)の戦死。 芸術家の集団肖像画はモーリス・ドニも描いている。マネの芸術的競争者であるセザンヌの賛美の作品「セザンヌ礼賛」(オルセー美術館所蔵)だ。→Die Verwandlung バジールも、アトリエの集団肖像画を描いている。「バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り」だ。そのほかに「フュルスタンベール通りのアトリエ」、「ヴィスコンティ通りのアトリエ」という作品を紹介している記事がある。→Die Verwandlung また、「バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り」で、作品の中で、バジーレが自作を披露している作品と、アトリエ内に掛かっているバジーレの作品を、画像とリンクで紹介している記事がある。→Life Carrer Counseling ルノワールとバジーレが描きあった肖像画の記事がある。→Magnum masse この作品が、バジールの戦死のあとか先かで、僕の推理が狂っていく。だが、その戦争に徴兵されたルノワールのうつむいたような描き方に、その死を嘆いているようでもある。それとも、僕の知らない二分する別れや確執が、まだ隠されているのか。あるいは賞賛のみなのか。 さて、この製作当時は確執のなかったゾラとルノワールである。1894年のドレフュス事件では、ルノワールはゾラを支持しなかった。ドレフュスの事件については、ココでは述べないが、aleiくんの「ゾラのセレクト」という記事の後半に、この件の概要を述べている。そちらを参考に。つまり、ゾラを支持するドレフュス派ではなく、ドガやロダンの反ドレフュス派を支持していたというわけだ。 「ドラクロワへのオマージュ(ドラクロワ礼讃)」(1864年)Musée d'Orsay, Paris, France この年は、モネ、ルノワール、バジールはまだいない。 偉大な芸術家 ドラクロワ(1798 - 1863)の肖像を囲むのは、白のシャツは彼自身と、ドラクロワに似たホイッスラー、肖像画、そしてドラクロワ賛美の美術評論の著者でもあるボードレールが正面の椅子、そしてマネだろうか。一番左にエミール・ゾラ似がいる。その手前に座っているような人物は、ザカリー・アストリュック似。あとは、よくわからないが、ホイッスラーとアルフォンス ルグロ とともに、1858年に「三人会 Société des Trois」を結成しているから、アルフォンス・ルグロもいるかもしれない。1862年には、このメンバーとマネ達で「腐蝕銅版画家協会 Societe des Aquafortistes」を結合しているから、版画家のフェリクス・ブラックモン(1833-1914)、刷り師のオーギュスト・ドゥラートル(ドラートル)なども想像できる。 そう、ここに「腐蝕銅版画家協会」が、なんらかの形で描き込まれていなければ、僕の人間模様の推理は崩れる。 なんといっても、「腐蝕銅版画家協会」のブラックモン。ボードレールは、「悪の華」の挿絵で、ブラックモンを推挙されたが、フェリシヤン・ロップスに依頼し、それ以来、縒りをもどすことがない。1862年のころである。こじつけかな。 いやいや、ルグロもブラックモンもいる。どこにいるのかがわからない。(苦笑) そして、写実主義文学のデュランティ(右奥のどちらか Duranty, Louis-Edmond)、シャンフルーリ(微妙にわからない Champfleury, Jules)がいる。(彼らはボードレールとともに、批判が激しい画家 ギュスターヴ・クールベの擁護であったが、この1864年頃に、クールベと決定的な疎遠になっている。) ギュスターヴ・クールベ 画家のアトリエアンリ・ファンタン・ラトゥールが描く、集団肖像画には、ひそやかな人間関係が眠っているような気がする。これは、まったくの僕の鑑賞であり、専門家や専門書からではないので、推理が中りか外れかのいずれである。それにしても、男性ばかり。ベルト・モリゾがいないね。男尊女卑?(笑) 花の画家ともいわれるアンリ・ファンタン=ラトゥール 作品「花瓶の芍薬」1902年 薔薇 の作品は、Noblesse Oblige の記事から。 菫の作品は、アンリ・ファンタン=ラトゥール 菫 の記事。

date:2007年 03月 25日 01:05:59

アンリ・ファンタン・ラトゥール 集団肖像画 「ピアノを囲んで」

アンリ・ファンタン=ラトゥールの自画像である。 「Self Portrait (自画像)」1861年 ?エミール・ゲオルグ・ビュールレ コレクション Saiが書いた記事で、アンリ・ファンタン=ラトゥールの作品である「バティニョールのアトリエ」にて、マネを囲む画家たちの中に、

date:2007年 03月 25日 01:00:12

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