2006年 11月

 愛媛新聞12日付けの掲載投書

-「人体の資源化」に恐ろしさ-
宇和島徳州会病院の病気腎移植問題で、臓器移植自体への不信は高まった。
患者本人の意思と関係なく勝手に移植したことは非難されてしかるべきである。

執刀した医師は強弁を繰り返している模様だが、
環境や条件、あるいは結果によって、手段や過程の正当化は不可能だ。
医師の真摯な反省の弁を待ちたい。

そしてさらに気になるのは、「人体の資源化」という言葉の恐ろしさだ。
人体や臓器をパーツ化して考え、
壊れた機械から中古部品を外すように、人体から臓器を摘出する考えだろう。

確かに「死ねば何もかも終わりだ」と思えば、肉体など単なる器物に過ぎない。
資源化を考えても当然だ。
ただ、その言葉の響きの中から、生命の価値、人間のへの尊厳の念など感じられるだろうか。

どうか考えてもらいたい。
人間が単に機械の集合体であり、人間の尊厳とは機械としての使用価値に過ぎないなどと、
本当に思えるかどうかをだ。

尊い生命を扱う医療関係者諸氏には、
「生命の尊厳」という言葉を、再度かみしめてもらいたいと念願する。

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登録日:2006年 11月 28日 21:06:04

映画「硫黄島からの手紙」を、すべての子供たちに見せるべきではないか。

映画「硫黄島からの手紙」を、すべての子供たちに見せるべきではないか。

大人の社会でも「勝ち組」と「負け組み」に二極分化しているようだが、
子供の社会でも当然、二極分化が進んでいる。

子供社会の二極化とは、
教育の意欲と資金が潤沢な保護者を持つ恵まれた子供と、
教育の意欲・資金ともに薄い保護者を持つ子供、とに分かれる。

前者は、受験エリートの道を歩み、
後者は、放置されて動物化していく。
以前なら、公立学校教育に子弟を預ければ、
出身階層に係わりなく才能によって未来は開かれていった。
しかし、現状崩壊しつつある公立学校教育では、
保護者の係わり方如何で、子供たちの前途は間違いなく二極分化していくのだ。

これもまた規制緩和の一環かもしれない。
私学や塾のビジネスチャンスともなっているからだ。
だが、ここに落とし穴がある。
私学や塾にとって、子供たちは育成の対象ではない。
極論かもしれないが、それはビジネスの対象、商品でしかないのだ。

過酷な教育ビジネスの渦中で求められるのは、
ホノボノとした学園ドラマではない。
あくまで数値化できる結果が求められるのは当然のことだ。

その数値化される過酷なビジネスの中で、
渦中の子供たちが陥るわなこそが、
この「結果を出す」教育ビジネスの落とし穴なのだ。

過酷な競争の中、結果を出すための「合理的な教育」の過程で、
一部の子供たちは、残念ながら人間性を喪失していく。
「勝ち」と「負け」だけを価値観とすれば、
一体どのような人格が作り上げられるだろうか。
高度な教育を受けた結果が人間性の喪失だなどど、
私はそうしたものを「教育」だとは認めない。

教育の目的が一体なんなのか、
保護者にしても教育者にしても、明確に子供たちに説明しているのか。
もし言葉にしたとしても、
それは、ただ単なる自己中心主義の説明にしかならないのではないだろうか。

「ノーブレスオブリージュ」など、信じていない大人たちに、
子供に教育を施す権利はない。

高度な教育を受けたゆえに人間性を喪失しつつある子供たちに、
そして、放置されているがゆえに動物化を余儀なくされている子供たちに、
義務の遂行、自己犠牲、そして勇気と献身の姿を見せるがよい。
現在の教育者はおろか、我々一般国民ですら信じないこれらの特質を、
わずか60年前に発揮していた人々の群れがいたことを、
子供たちに教えてやるがよい。

自己中心と立身出世、そして経済的な繁栄だけが、世界の全てだなどと、
決して子供たちに教えてはならない。
戦争は悲劇以外の何物でもない。
ただその悲劇の中でこそ、輝く真実もあることを、
子供たちに教えてやれないものだろうか。

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登録日:2006年 11月 12日 21:10:18

読売のさいたま版に載った投書です

「秋になると、この山々は一面の紅葉になるよ」

今夏、我が家はガールスカウト2人を、
タイからホームステイに迎えた。

冒頭のせりふは、彼女たちとの、日光ドライブでのせりふだ。まだ山々は夏の盛りの濃い緑に覆われている。
その景色は彼女たちの故郷の山々と、
さほどには変わらなかったろう。
だがこの山々は、秋になれば赤や黄色で満たされ、
やがては冬枯れと雪景色が取って代わる。

「今度、日本に来る時は、秋においで。
紅葉がすばらしいから」

彼女たちは
「絶対に、またもう一度日本に来る」と言っていた。
厳しく現実を見れば、
彼らの再来日は遠い夢かもしれないが。

でも、強く描き続けた夢は必ず実現するという。

信じてるよ、またおいで。いつでも歓迎するから!

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登録日:2006年 11月 09日 22:16:26

「どちらが韓国の友邦なのか」

報道によれば、
韓国の柳明桓外交通商省第1次官が、
日本の核保有論議に強い懸念を表したようである。

北朝鮮の核実験をきっかけに、
日本の政界で
核保有論議に言及していることへの懸念だそうだが、
これは本末転倒の意見もはなはだしい。

世界で唯一の被爆国であり、核アレルギーの強固な日本が、
そうたやすく核武装に踏み切るはずもない。
それより何よりも、
本来北朝鮮の核による威嚇がなければ、
核保有論議など、日本で起こりえるはずもないなのだ。

その根本原因である
北朝鮮の核武装の暴走を止めるでもなく、
自衛手段を議論しようかという日本に対してだけ
苦言を呈するという、
韓国側の対応には落胆の念を禁じえない。

これでは、どちらが友邦であり、
どちらが敵対国であるかが分からないではないか。

韓国が自由と民主主義を奉じ続けるというならば、
強く対抗すべきは、
日本ではなくて北朝鮮であるはずである。

自由と民主主義のためにも、
韓国政府の理性的な行動を期待したい。

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登録日:2006年 11月 01日 00:02:59

「どちらが韓国の友邦なのか」

報道によれば、
韓国の柳明桓外交通商省第1次官が、
日本の核保有論議に強い懸念を表したようである。

北朝鮮の核実験をきっかけに、
日本の政界で
核保有論議に言及していることへの懸念だそうだが、
これは本末転倒の意見もはなはだしい。

世界で唯一の被爆国であり、核アレルギーの強固な日本が、
そうたやすく核武装に踏み切るはずもない。
それより何よりも、
本来北朝鮮の核による威嚇がなければ、
核保有論議など、日本で起こりえるはずもないなのだ。

その根本原因である
北朝鮮の核武装の暴走を止めるでもなく、
自衛手段を議論しようかという日本に対してだけ
苦言を呈するという、
韓国側の対応には落胆の念を禁じえない。

これでは、どちらが友邦であり、
どちらが敵対国であるかが分からないではないか。

韓国が自由と民主主義を奉じ続けるというならば、
強く対抗すべきは、
日本ではなくて北朝鮮であるはずである。

自由と民主主義のためにも、
韓国政府の理性的な行動を期待したい。

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登録日:2006年 11月 01日 00:02:59

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プロフィール
隊長
隊長
(男)
1959年07月13日
飯田商会ホームページ
メルマガ「自動車整備の本当の話」
「仕事だから」という言い訳しながら、悪いことしてる人は
古今東西後を絶ちません。
色々な投機話や健康グッズ、百鬼夜行の如くに
欲にまみれた妖怪のオンパレードです。
それは自動車業界でも同じです。
しかし、市場経済至上主義とは、儲かれば何をしてもいいことではないと
私は思ってます。
仕事とは、それを通じて社会に奉仕すること。
自らの発展の過程において、社会全体の幸福にも寄与できること。
当社は大発展を目指しつつ、それが社会全体の幸福に繋がるべく
努力して参ります。

飯田 剛
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