「精神的公害は糾弾しないのか」

先日、ふと雑誌の新聞広告に疑問を持った。
子供にはとても見せられないような、低劣で扇情的な広告についてである。

恥ずかしくて音読できないような見出しの広告なのだが、
こんなものが恥ずかしげもなく、
堂々と大新聞に掲載されている。

子供たちの教育上、問題なのは当然だが、
これらの「扇情」は、確実に大人たちの心も蝕んでいるはずである。
考えてみればこんな事態は異常かもしれない。

そして、私がさらに恐ろしいと思うのは、
誰もこれが異常だと思わないことなのだ。
この低劣さと煽情性を当たり前だと思ってしまうようでは、
社会は、すでに蝕まれてしまっていると、言えないだろうか。

この頃流行るのは、企業の不祥事と非難の大合唱、
経営者の引責辞任、悪ければ、企業の倒産にまでつながる一連の流れだ。
しかし一方で、マスコミの流す精神的公害だけは、
どうして糾弾されないのだろう。

不良な生産物や安全性に対する糾弾は当然である。
しかし、現状糾弾されているのは、目に見えるものだけだ。
劣悪な週刊誌等は、確実に精神的な公害を撒き散らしているのに、
これらはなぜか放置されたままだ。

これでは、精神的なものに対する価値判断が、
社会全体で不能なことを露呈していると言われても仕方あるまい。

「愛」や「友情」、「信義」「信頼」など、
本当に大事なものは目に見えぬものばかりだと言う。

これら本当に大事な精神性を保護せずして、
一体、何を保護するべきであろうか。

日本は、世界で有数の高度な物質社会に到達した。
しかし、そこに欠落している「精神性」の獲得なくしては、
これ以上の発展の可能性はありえまい。

健全で精神性溢れる社会へ。
そのためには、「目に見えぬ価値」を守りきる覚悟も必要になるだろう。

マスコミの精神的公害をどうとらえるか、
これは日本の将来にかかわる大問題であると、
私にはどうしても思えてならないのだ。

コメント[1], トラックバック[0]
登録日:2006年 07月 07日 22:15:35

コメント

新聞広告倫理綱領なんていうものもあるんですよね。
1. 新聞広告は、真実を伝えるものでなければならない。
1. 新聞広告は、紙面の品位を損なうものであってはならない。
1. 新聞広告は、関係諸法規に違反するものであってはならない。

新聞社には儲けに流されないで頑張ってもらいたいですね。

青の青 @ 2007年 06月 17日 03:10:54

コメントを追加

Trackback

この記事に対するトラックバックURL:

カレンダー
< 2006年 07月 >






1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31




プロフィール
隊長
隊長
(男)
1959年07月13日
飯田商会ホームページ
メルマガ「自動車整備の本当の話」
「仕事だから」という言い訳しながら、悪いことしてる人は
古今東西後を絶ちません。
色々な投機話や健康グッズ、百鬼夜行の如くに
欲にまみれた妖怪のオンパレードです。
それは自動車業界でも同じです。
しかし、市場経済至上主義とは、儲かれば何をしてもいいことではないと
私は思ってます。
仕事とは、それを通じて社会に奉仕すること。
自らの発展の過程において、社会全体の幸福にも寄与できること。
当社は大発展を目指しつつ、それが社会全体の幸福に繋がるべく
努力して参ります。

飯田 剛
最近のトラックバック
お気に入りリンク
検索