痴漢事件最高裁判決を総括

ドレフュス事件、無罪判決100周年記念式典 - フランス

【パリ/フランス 12日 AFP】パリで12日、冤罪事件の「ドレフュス事件」で有名な陸軍将校アルフレッド・ドレフュス(Alfred Dreyfus)の無罪判決から100周年を記念する式典が行われた。ユダヤ系将校だったドレフュス大尉は、1894年に国家反逆容疑(スパイ容疑)で逮捕され、1906年に無罪判決を勝ち取るまでフランス国内の世論を二分し、歴史に足跡を残した。写真は12日、ドレフュス無罪100周年の記念式典で演説するジャック・シラク(Jacques Chirac)大統領。(c)AFP/JACQUES BRINON

AFPBB News


  先日、テレビで、判決理由が短いってことで干された(?)元裁判官氏が、
ご主張の「蛇足判決」について語っていました。
 
 これは例えば最高裁で殺人が無罪になった、と。
その後民事で、「被害者を殺したと思われるけれども時効だから請求棄却」と書くと、
この「被害者を殺したと思われるけれども」が判決理由となんら関係ないから
蛇足だ、ということですね。

関係がないというのは、殺人をしてもしてなくても時効に係り同じ判決なのだから
「被害者を殺したと思われるけれども」の部分は、判決理由に関係がない、というわけです。 この問題点は、勝ってしまったゆえに元被告人が、さらには判決理由と関係ない部分についてであるので、
裁判にて名誉を回復するすべがない、ということだ、ということでした。

 その方、井上氏。蛇足判決をする裁判官に対しては、たんなる目立とう精神だ、という意味合いのコメントで断じてらっしゃいましたね。(笑)

 
○似たような問題がひそんではいないか


 本件は、3-2ではないんですね。5-0の多数決、です。
裁判長は有罪ではなく、反対意見、です。

 まず裁判長氏の意見。

 最高裁は法律審で、書面主義である、と。
だったら余計、
原審(高裁判決)の事実認定に誤りがあるという嫌疑の場合に
よほど事実認定に論理則経験則違反がある場合に判定をくつがえすことは限られる、
というわけです。

 だから結局は、被害者の方の供述にいわゆる「合理的な疑いはない」「迫真的」
といった一般的な特徴がある以上、事実認定に論理則経験則違反があるとまではいえない、というご主張。

 まあ要するに、「すっごく普通に却下」、、の内容です。

この例からいっても、書面主義とか言ったらたいては門前払いでしょう。
それって議論の余地がありそうですが、

まあ
この反対意見を詳細に示すという一種のバランス感覚?自体が、
余計な内容も含んでいることにならないか、と懸念はされますよ。
すっごく普通そうなありそうな内容の有罪評定というものが、
井上氏の指摘のように、もう裁判所にては反駁できない状態なわけですよね。
それが蛇足だと「も」、おもうところの一点。

 
 もうひとつは、氏が反対意見の中で別途、
この公判には「問題点」があったと指摘している(4人それぞれ私見があるのだけれど)うちの、

被告は公判の過程で全くキャラがみえてこなかったからへんですね、
みたいなこと言ってる部分です。これもおかしいですよ、

世の中いろんな人がいるでしょう?
ご丁寧にその後に、被告人は春に教授になるからやっぱりそういう人がそういうことするかなあ?
みたいな文言がセットでついていて、長くなってる。

これって結局「感想」ですよね?(笑)


 また逆に、被害者の供述についての裁判長氏の「問題点」の指摘は、

愉快犯、注意されての逆切れ虚偽申請、示談金、痴漢されるのよという自己顕示,
以上につき「証拠はない」としてる内容なのですが、

書面主義踏襲で有罪という立場なら、かように積極的証明をされるわけでもなさそなコメントもまた、判決理由を長くしている原因じゃないかと思います。。
それらが井上氏に乗っかって今回思ったこと。
双方の、まあとりわけ勝ったほうの名誉を毀損しかねない内容を含んではいないか、
という視点は今後とも大事ではないかと思いました。

 
○それって今後の方向性なの?
 
  重大事件に限られる参加とはいえ、裁判員をけん制するような今回の判決。
一方で、裁判官2名、弁護士2名、学者1名ということで、「非官僚出身者が多数を占めていた」(から無罪?)、というブログ指摘もあるようです。



 裁判長に反駁するような形での、今度は無罪側判事のうちの一人の私見の一部について。

 「グレーゾーンである。」
という文言。(水掛け論、と言っていた判事も。)

で、そうだとすると、
「裁判官は、本を読んだりした論理則経験則だけじゃなく、
一般社会に生きていて会得する普通のものの見方も論理則経験則に入る」、

とまではっきり言い切っています。
このアツさはいいのですが、

氏は、冤罪が争われているのなら被害側含めての「補強証拠」が必要だ、
としたうえで、その話の結論として、

本件隙がなさそうな被害者供述についてこれを逆に取ってですね、

「普通の知能があれば誰でも供述出来る」
「事実誤認の危険が潜む典型的な被害者供述である」

とまで断じているんですね。

今までも証拠が弱いことが少なくない、よって今後検討が必要、
というのがこういったことを私見として述べられた理由のようです。
これら、私見、らしいですが、



 本判決全体としての5-0の無罪の判決理由の結論自体が、

 被害者が回避行動を取っていない、一回降りた後また同じドアから乗っている…等があり、よって前の2つの判決は慎重さを欠き事実誤認があるので、
無罪にしなければ正義に反する、

というかなり挑戦的な印象を含ませたモノなんです。
まあそんな判決でした。



 こういった事案に付き、
どこがどうなってるのか、どこへこれから向かうのか、よくわからなくはあります。
DNA鑑定などというが、人物特定が出来ないのに簡単にできるのか。
 
 ひとつ思うのは、裁判官は“神の常識”を持った特別な存在であってほしい、ということ。
法曹界も下界も等しくそんな理想を持ちたいところではないでしょうか。

引用のドレフュス事件は、それを考えさせられます。

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登録日:2009年 04月 18日 03:59:59

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プロフィール
河本 宗春
(男)
■東京在住、フリーライター。
■新聞、週刊誌等で取材記事やコラムを書く日々。活動分野は事件、社会問題、芸能等。
■取材の寒空で凍えていたと思ったらPCの前にいたり・・毎日違うことをしています。ゆえに毎日踏まれ、汚れ、ほぞを噛み・・
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