我がこと

渋谷の女性専用温泉施設で爆発、2人死亡

【6月19日 AFP】東京都渋谷区松濤の女性専用温泉施設「シエスパ(Shiespa)」に隣接する別棟で19日、大規模な爆発があり、女性2人が死亡、少なくとも4人が負傷した。

 爆発は、9階建ての本棟に隣接する別棟のボイラー施設で起きた模様。テレビには、壁や天井が吹き飛ばされ、ねじれた骨組みだけが残る建物が映し出された。

 警視庁によると、この爆発で1人の死亡が確認され、4人が負傷した。報道によると、負傷者は男性2人、女性2人だという。

 東京消防庁は「まだ生き埋めになっている人がいる可能性があるため、現場を捜索している」と語った。(c)AFP

AFPBB News


 どこまで人は「人ごと」を「我がこと」のように思えるものか、ぼんやりそんなことを考えたのは、この報道を見ていたのが近場のようするに同じような都市型の温泉施設の食堂に置かれたテレビでだったからなのだと思う。

 ちなみにそんなリアルな場でこのニュースをどう見ていたかというと、いつも思

う「ああいい気持ち」が薄れた訳でもなく「ここもあぶないなすぐ帰ろ」と、あわてて席を立った訳でもなく。むしろいつも以上に長居してたりしたぐらいで。

 ないない、とは常々感じていたけれどほんとにないのが僕の危機管理能力で。

 とか書くと、そんな大げさなとお思いの方もいるでしょう。が、これ何もなかったから「そんな」で済んでいるけれど、もし、偶然にも同じ事故がその場で起きていたならば、きっと「あんな事故があった日に、よくそんなところでのんびりしていられたものですね」とか「事故原因がまだはっきりしていないということは、同じような施設においては同じような事故が起こる可能性があるということで、それを見越して自身の行動を自己責任において諌めるのが個々における危機管理能力なのじゃないですか」とか「アホちゃうか」とか「ありえへん」とか「そんな奴は死んだらええねん」とか「ていうかほんま死ね」とか「あ、死んでんのか」とか、いわれていたに違いない。

 少し説明しておくと、事故発生時にそこにいた訳ではなく、事故の報道は行く前に見ており、あんなすごい事故を見ていたのにまたのんびりとそんなところで寛いでいたのであるからまあようするに、あれほどの事故であろうとあくまでも「人ごと」な「平和ボケ」の「たわけ」なのである。

 だいたい僕は危機管理能力の欠如どころか、自分が「死ぬ」ことすら「我がこと」に思えない、何ていうか「生物としての自明の理」すら欠如している。自分以外の「人の死」については疑いなく「何が?」くらいの勢いで「人はみな死ぬ」と、そう思えるけれど、自分のこととなると、とたんに思考は止まる。

 それは何ていうか「俺は特別」的なそういうものなんかでは全然なくて「死ぬっていったい何がどうなんの?」とかいうまったくもう想像もつかない事態に対してぼんやりしてしまうというか、だからうまくイメージが出来ないというか何というか。

 いつかリアルな感覚として「ああ俺死ぬ」と思えるときが僕にも来るのだろうか。それとも「死ぬ」ギリギリまで「わからんけど何となく俺は死なへんのとちがう?」と不条理な理屈をかたくなに持ち続けているのだろうか。

 と、ここまで書いてきて、突如事情が変わる。

 突然吹き飛ばされて亡くなった人びとも、おそらく吹き飛ばされて意識が途絶えるまで「死ぬ」なんて思えなかったのではないか。それはさっきまで仕事してましたし、とかいう「事前の事情」もあるだろうけれども、それでも「死ぬ」ということがどういうことなのか深く考えることもなく「平和」に「ぼんやり」と僕のように過ごしていたであろう被害者の人びとも「死ぬ」まで「死ぬ」と思えなかったのじゃないか。

 そう思ったとたん「人ごと」は「我がこと」になる。

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登録日:2007年 06月 21日 01:31:32

コメント

『石のうら』のお知らせ届きました♪
山下さんの添え文を読んで
ちょっと古いこちらのブログコメントを思い出したので書き込みしちゃいます…

私の母は完治しない癌でしたので
負担の多い抗がん剤はやめて
自然のままで、今出来る日常と向き合って数年暮らしました。

〈死〉をテーマに、色々な分野の方のコメントが寄せられた何かの雑誌で
ある方が、死ぬなら突然死よりも癌が良い
何故なら、自分の身の回りのあれこれを整理しておきたい時間が必要だから…と。

母は、そこに赤ペンでラインを引いていました。

病気になってから、母には〈死〉というものがいつもそばにあり
自分のことより、残される家族の心配をしていました。

母とともに、あれこれ整理する時間は
現実を突きつけられて辛かったけれど
こんなことも無ければ、日常近くで過ごすことも少なく
後悔の多い親不孝者になるところでした。

介護することは、ちょっと楽しい時間でもありましたし
私にとっても、母に出来る限りのことをやれたという
後悔の少ない大切な時間を濃く過ごせた幸せな日々でした。
あの時間は必要でした。私にとって。

でも、私は、自分の〈死〉というものに
母と同じように向き合えるのか…

いづれ誰にでも訪れるテーマは
母のことで経験しているはずなのに
時間のたった今となっては
明日の買い物メモの方が大切だったりします^_^;

kiki @ 2007年 07月 30日 22:09:37

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山下澄人
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「FICTION 」主宰。映像、ラジオドラマのシナリオも手がけ、2005年には初監督作品「ON THE ROCK」を発表。

E-mail:yamashita@fiction.gr.jp
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