13年前

阪神淡路大震災から13年、六本木ヒルズで震災訓練

【1月17日 AFP】阪神淡路大震災から13年目に当たる17日、都内の六本木ヒルズ(Roppongi Hills)で震災訓練が行われた。同日、この震災で犠牲になった6000人以上をしのぶ催しが国内各地で開催された。(c)AFP

AFPBB News


 せっかくだから、書こうと思う。せっかくはおかしいか。

 あ、長いです少し。めんどくさい人はパスしてください。

 13年前のあの日の朝、ぼくは芝居の稽古で北海道の山奥で寝泊まりしていて、前の日も遅くまで稽古をしていたからもちろんまだ寝ていた。「電話ですよ」と起こさ

れたのは、たしか朝の7時くらいで、時計を見て「こんな時間に何やねん」と寝起きで言葉になってない悪態をついて、電話に出たら同郷のものから「神戸が地震でえらいことになってるらしい」と聞かされた。突然そんな風にしゃべられても内容が唐突なうえに寝起きなものだから、理解するのにしばらく時間がかかったけれど、それでも何となく「ふうん」と理解して電話を切ったときにはまだ、そんな大事が起きているなんて考えもしていなくて、そこにテレビでもあれば、すぐに事態は把握できたのだろうけれども、そこにはテレビもラジオもなかった。ん。ラジオはあったか。忘れた。
 
 数十分後、テレビの映る場所に住む演出家から「すぐこい」と連絡がきた。まだ何が起こっているのかわかってなかったけど、その「こい」の声があまりにも深刻に聞こえたので、これは大変なことが起きているらしい、と何となく思った。とか書いてるけれど、しかしほんとうにそのときそんな劇的な感受性が働いたのかどうか。ぼくの記憶は常々、後日捏造されてゆくきらいがある。でもまあそれはまた別のはなし。
 
 で、とにかくそうしてようやくテレビを見た。

 そのとき見たのはあの今でもときどき流される、空から見た「燃えている神戸」の映像で、ああいうときは、ほんとにそう思うもので「わあ。映画みたい」と思った。それから、テロップで被害の激しい地域が流されていて、そのときはまだいくつかの地域しか流れてなくて、それでもすでにそのなかにぼくの実家がある地域の名前が流れた。

 当時、実家には父がひとりで住んでいた。とにかく電話をしてみようと電話をかりてかけてみたけれど、一切つながらなかった(ちなみにこのことから、その後、携帯電話が爆発的に普及したのをみなさんご存じか)。結局はそれでも、父から臨時に設置された電話をつかって、消息を知らせる連絡がはいり、ひとまず「死んではいない」ということがわかって安心した。

 その後はまあ、神戸へ何とか帰ってもよかったのだけれど、父は「そんな大層な(あのとき以上に大層なことはぼくの身にまだ起こってないのですが)」とかいうし、こちらも本番が近いし、みんなに迷惑をかけるのもどうかと思い、帰らず稽古を続けてひと月弱ほどの公演を済ませてから(ちなみにこのとき、ぼくはワイドショーで取材なんかをされたりした。地震を使ってワイドショーに出ましたよ。『地震に負けぬ役者魂』みたいなノリで。うふふ)、神戸へ戻った。

 地震からもう何週間かたっていたけれど、神戸はまだ崩れたてみたいに見えた。「かなしい」とか「ぼうぜんとする」とかいう以上に「わあ。すごい」と不謹慎にも口にしてしまうほどの迫力で、あれほどの、何ていうか、巨大な何かの「跡」を、たぶんもう、よほどのことがないかぎり(戦争とか。また地震とか)見ることはないと思う。それくらい迫力にみちていて、あれは不謹慎でも何でもいいから、国中の人が見るだけでも「実際に」見てみるべき「もの」だったと今でも思っている。

 実家は跡形もなくつぶれていた。その何日か前の正月に帰省していたとき、ぼくが寝ていた場所は屋根が落ちて、もし寝てたら完全に「死んでた」と思える状態だった。

 当時、そこで猫を飼っていて、地震のとき以来姿が見えず、父も「死んでるやろな」とあきらめていたのだけど、生きていた。ぼくの後輩が親切にも何度かエサを持ってたずねてくれた際、出て来たのだと聞いて、ぼくもエサを持って名前を呼んだ。そしたら出て来た。痩せてどこの猫かわからなくなるほどの姿で「ニャー」と。ま、そいつも何年か前に死んだけど。16年も生きて。

 とにかくたくさんの人が死んだ。そのなかにはもちろん知り合いもいる。あれからその後もずっといろいろな「つめあと」がいまだにくっきり残っている。

 それでもぼくは、不謹慎なのを承知で書くけど、あんな経験はなかなかしたくても出来ないし、それはまあ父も死なずに済んだし(けども、そのことが原因で予定していた入院が出来ず、数ヶ月後あっけなく死んだのですが)、だからそんな風に思えるのだとは思うけど、ていうかほんとうはそんなこと関係ないと思ってるけどとにかく。何の前触れも理由も、因果の法則にいろどられた物語も何もなく、ただ突如あんな風に大きな力でキリキリ舞いさせられる経験というのは、何ていうか、うまく書けないけど、「かなしい」とかそういう簡単に説明できる感情ではない、何かどこかの奥が泣きながらはしゃぐようなそんなある種「すがすがしい」思いを味わった。

 そしてそれは、味わいたくはなかったけど、味わっといてよかったと思っている。そりゃまあ「味わいたいか?」と事前に聞かれたら「いやいいです」とたぶんこたえただろうと思うけど。

 以上。

 長くてごめんなさい。これでもずいぶんはしょったのです。

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登録日:2008年 01月 18日 03:35:20

コメント

はしょらないのを読みたい。

ロンロン @ 2008年 01月 18日 11:49:03

はしょったのに対し
はしょらないのがあるとして
はしょらない以上にもっとあふれでるのがあるとして
そのあふれでちゃったのとかが劇にちらほら見える気がする。

minami @ 2008年 01月 19日 01:03:43

聞かれたくない、そっとしておいて欲しいコトって人それぞれ。
山下さんにとっての震災を、過去、垣間読むたびに
当時の山下さんの状況・感じたことを知りたいと常々思っていました。
じっくり読めて嬉しかったな。
しかも、「あ、長いです少し。」…もうドキドキ。
『石のうら』のチラシの青空のような〈すがすがしさ〉を思い出しました。
震災後、すぐ舞台で取り上げている劇団がたくさんあったけれど
去年だから、12年…山下さんの中でGOサインが出た理由って何かな…
そこは深く考えなくていいのかな(笑)
山下さんの文が読みたくて覗きにきてます。
つづく…でもいいので、もっとじっくり語って下さい。
ここに入りきれなかった言葉、かき集めたいな(*^_^*)

何かを創造するって、想像することではなくて
その人に吸収された何かをどう熟成させ、引き出すか…
飾らない、体ひとつでだって劇は出来る…その心意気が
山下澄人の芝居の厚みなんだろうな~(*^_^*)

kiki @ 2008年 01月 19日 01:36:18

地震についての感想で「すがすがしい」とはじめて聞いた気がします。そして何でだかわからないけど、はじめて少し「わかるかも」と思った気がします。何でだろ??

meu @ 2008年 01月 19日 19:13:29

やっぱり発信される言葉は、ひっかかり、考えさせられます。
長文でも何度でも読み返して、また違うところで考えさせられて・・。
そこが、頭の中を、心を、くすぐります。

kumi @ 2008年 01月 21日 14:16:34

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プロフィール
山下澄人
FICTION WEB
FICTION構成員の日々
「FICTION 」主宰。映像、ラジオドラマのシナリオも手がけ、2005年には初監督作品「ON THE ROCK」を発表。

E-mail:yamashita@fiction.gr.jp
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