つづけて
やっぱり書き足りてないからもう少し続けよ。
そしてそれは、やっぱり何日も遅れて神戸へ帰ったときの、あの光景を目にした
瞬間の感想になる。
あのときの「気分」を、いまだに考えていて。それは言葉にすると何になるのかずうっと考えてみたけれど、それは「わあ」という、言葉以前の「こえ」で。もちろんすかさず「大変だ」とか「どうして」とかいう、知っている言葉の「気分」が怒濤のように渦巻いたけど、最初の率直な「気分」は、やっぱり「わあ」で。
なら、その「わあ」は何なのか。
もしかしたらたとえを間違っているのかもしれないけど、あのときの「わあ」は、間近で富士山を見たときや、飛行機の上から丸い虹を見たときに出した「わあ」と少し姿は似ていて、それプラス、絶対に怒らないと思っていた、とても優しい人が暴れまくりながら激怒しているのを見たときの「わぁ」の何千倍の「わぁ」、みたいな。
何ていうか、人があらわれる前の地球っていうか、長さでいったら断然そちらの時間の方が長い地球のほんとうの姿を突然見せられて、素朴に、原始人のような顔をして、驚いたっていうか、たぶんそうなのだと思う。
で、だからそれはそうだとして、長々とわしゃ何がいいたいのか。
それはあのとき、もちろんあそこにいたすべての人が、そんな風に感じていたなんて、ぼくには到底いえないし、たぶんほとんどの人には「あほか。何をのんきなことをぬかしとんじゃ」ときつく叱られると思うけど、でも、あんな風なとてつもない光景を目にしたとき人(当事者)は、ただ「かなしい」とか「つらい」とかそんな簡単な、簡単に想像がつくような、簡単な言葉で書ける「気分」だけにおそわれていたんじゃなくて、もっと何ていうか、ぼくがこうしていつまでもこだわって考え続けてしまうような「気分」にもおそわれてもいて、もう1度同じようなことがあればはっきりするのにと思いつつ、だけどたぶんその「気分」はもう一生味わえないだろう「気分」で(ま、明日にでも味わえるかもしれないけど)、それを簡単に「かなしくつらい出来事」というだけで封印して、そのことをなかったことにしたくないというか。
でもそういうことって、何もそんな特別なときだけじゃなくていつもあって、いろいろ感じてても、いつの間にか大人になるとタカをくくって、簡単な色分けを自分のなかでして済ませてしまっている。でもほんとうは人はもっといろんなことをいろんな風に感じていて、でもその「気分」をうまく言葉にできないから何となくなかったことにしているだけで、そしてそれは特別なときに感じる「大きな気分」じゃないから、そういう風にしているとすぐに消えてなくなってしまって、特別思い出そうともしないけど、なかった訳ではなくて。
ぼくはあのとき以来、なるべくそういう、消えていく「気分」をなかったことにせず、おぼえておこうと思ったのだと思う。
まあ、あれほどのことを経験しないと、そんな程度のこともわからないのかという話でもありますけど。そんなことをするからそれまでは「とても面倒くさい人」だったのが「すごく面倒くさい人」になった自覚がありますけど。
ふう。
今日。昨日か。関東地方にようやく初雪がふりました。でも起きたときにはもうだいぶん解けてて、起きてても作らないくせに「雪だるま」とつぶやいて、とても残念に思いました。
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登録日:2008年 01月 24日 03:25:04
コメント
震災がなかったら、山下さんの今の劇は微妙に違っていたのかな…
『石のうら』に出会えたことは本当に良かったし
題材が震災じゃなくても、〈すごく面倒くさい人〉になった山下さんの劇は
年々濃密になっているなと実感しています。
そして、それにFICTIONの面々は充分答えていると思う。
フルキャストで出来なかった、そして何とか準備しなければ…というピンチもまた
より清々しく、迫力ある作品に変えたのでしょうね。
泣く泣く参加出来なかった事情の方は、次回それがまたバネとなって
また劇を大きく成長させて下さるのでしょう。
DVD化されたら、みんなに観て欲しいですね。
kiki @ 2008年 01月 24日 16:54:32
「でもほんとうは人はもっといろんなことをいろんな風に感じていて、でもその「気分」をうまく言葉にできないから何となくなかったことにしているだけで、そしてそれは特別なときに感じる「大きな気分」じゃないから、そういう風にしているとすぐに消えてなくなってしまって」
うんうんうんうん。そ。ほんとに、そ。
ほんとにそうだなあ…
meu @ 2008年 01月 24日 19:27:54
『13年前』というフォログを読んだとき、
一番印象に残ったのは「わあ」という「こえ」でした。
山下さんの「こえ」で読めたので。
だから今回の『つづけて』の中で、「わあ」について書いてあって、
ほんとうにそのつづきが読めた感じで嬉しい。
書いてもらえてよかった。
瞬間的なもの、に何かを感じる。
そしてなんとなく一般的に「こうだろうな」とされることや、
あまりのことに、結構簡単な表現を使われてしまうできごとに限って
「こうだろうな」が「こう」では無いし、
「結構簡単な表現」が全く的を得ていない。
だいたい「言葉にできないほどの」とかもよく使うけど
「言葉にできないほどの」っていう「言葉」に、よくしてるじゃん。
って、話それてますか?へりくつ?
私は父親が病気で死んでいくのをみとりましたが、そのとき私の手は、子供を寝かせるときお母さんがやるようなのを、父にしていました。同時に「だいじょうぶだよー」とも口にしていました。本当にだいじょうぶそうに私は言ってました。
何がだいじょうぶなんだか。父も確実に死ぬのをわかりながら死んでいったんですけど。最後に何か言い残そうとがんばっていたから。そんな今あとから思い出すとあんまりなあの瞬間に「だいじょうぶだよー」と言っていた。そんなことを思い出しました。
そういえば父をFICTIONに連れていったんでした。
私と父は好きなものが似ていて仲良しだったので。
「桜吹雪、色男ら。」でした。
そのあと病気になるなんてちっとも思ってなかった頃。
山下さんが結局シロアリの役だったというくだりがすごく気に入っていて、
思い出してよく笑ってました。だからそのあと、テレビで山下さんを観ても
「シロアリのお兄さんだー」と言ってましたよ。
なんだかわたくしごとになりましたが、このへんで。
minami @ 2008年 01月 25日 01:50:31
言葉って、並べて表現する時って、自分が気に入るフレーズで納得してしまう事があるけど、フォログ読むと言葉の広がりと想いが心を包みます。それって、頭のどこかでひっかかっていた漠然としたものを、表現してもっらたような・・。その感性での劇って。
それこそ、言葉に出来ない何かを自分なりに受け止められそうで。
『すごく面倒くさい人』・FICTIONを観たいです・・・・。
kumi @ 2008年 01月 25日 11:01:16
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