俯瞰。続けて
前回のと、それに対するコメントに続けて。
コメントに「俯瞰」という言葉があって、強く「そうなのですよ」と思った。前回書いた映画らに共通するのはその「俯瞰目線」なのである。
あれらは1人の人物の一生を「俯瞰」で見ようとする。不思議なもので「俯瞰」
で「見た」気になれば「俯瞰」で「見た」気になれる。少しおかしな書き方だけど、これはよく考えるとおかしい。人の一生は、校庭に人文字で「五周年」とかみんなで書いたのを空撮するように(ていうか、何だってていいのですけど)「俯瞰」でなんか見れない。同じように「事件」や「歴史」も「俯瞰」では見れない。すべてが済んでから時系列に(例えば年表のように)「図」にして見て「俯瞰」しているような気にはなれるけど、あれは「図」を見ただけで「事件」や「歴史」を「見た」ことになんかならない。ならないのに「見た気」になるから、「見た気」になって勉強した気になるから、何度勉強しても人は同じことをくり返す。とか書き出すと話は脱線するので、戻す。
ようするに、時間が組み込まれているもの(生き物の一生や、ものの歴史や、事件や、カップラーメンが出来るまで)は「俯瞰」なんか出来ない。なのに「俯瞰」して「見た気」になろうとあれらはする。だからつまらない。だいたい人の一生なんて「俯瞰」して「見た気」になりゃ、たいしてどれも違いはない。「俯瞰」して「見た気」になって眺めてみれば、人は「生まれて」「いろいろあって」「死ぬ」だけで、だからこそそれは「見た」ことにならないし、何も見ずにとても大事な何かを見過ごしてしまっている。
とかと同じようなことを、物語を組み立てるときに考える。ま、これもコメントに書かれていたことですが。
物語は「起承転結」で組み立てるように、どこかで教わっていて、ぼんやりしているとそうしようとしてしまう。「起」は「承」に展開し「転」で転がり「結」に向うというように。となると「起」は「承」につながるためにあって、「転」は「結」に向うよう都合よく転がされるということになり、すべては見映えのいい統一感をもって語られる。けどもこれははたしてどうなのか、と思う。これじゃあ何だかワイドショーの事件の扱い方と同じではないか、あれらが好んで使う「因果応報」と同じではないかと思う。「交通事故によくあうんですが」「前世の業ね」というのと同じではないかと思う。いやほんとうにそんな風にいわれた知り合いがいたのですよ。ぼくにいわせれば、その人はただの注意力超散漫な人なだけなのですよ。で、そのことの方がよっぽど「人の神秘」で「前世の業」ではその人の何も語れてないと思うのですよ。
ほんとうは、どんな物ごとにも脈略なんかなくて、そのときどきにいい加減に、または真剣に対応しているだけであって、それがどこへ向いているかなんて誰も知らないし、わからないし、そしてそれがどんな結果につながったとしても、そこに意味なんかなくて、だからその局面局面がどうだったか、そのとき何を思ったか、何を感じたか、何が見えたか、何が聞こえたかが全てで、ていうかそれだけでよくて、だからどんな人の一生にもそれなりにおもしろさはあって、なのにそれらを乱暴につなげて「意味」をつけようとするのは、もしかしたらとても傲慢な態度で、そんなことを普通にすることをおぼえてしまったから、だから人は何だって「やり方次第」でどうにかなると考えるようになってしまったのではないか。
とかそんな理屈をこねながら、今ぼくは物語を立ち上げようとしているから、いちいち手が止まって進まないのですけれど。だからこれからこの歩みののろさで数人の人びとにとても迷惑をかけてしまう気がしているのですけれど。
さ、仕事しよ。
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登録日:2008年 02月 20日 20:10:05
コメント
前も「ほんとにそうだなぁ」としかコメントできなかったのですが、今回もほんとにそうだなぁと思いました。
だから多分レイさんも、その自分の映画を見て「そうだけど・・・もっといろいろあったんだよなぁ」って思ったんじゃないかと思います。
もしかしたら違うかもしれないけど私はよく「○○で生まれて、いくつで、何でも器用にこなす優等生タイプ」っていわれ方をします。でもそれは私じゃないっていつも思います。じゃあもっとうまく説明してっていわれても途方に暮れてしまうのですが・・・。
そういうことを丁寧に考えて何かを作ろうとしている人がいることを、とても嬉しく思いました。
meu @ 2008年 02月 21日 22:19:21
理解したいと思っていた内容だったので、ごめんなさい、長文宣言^_^;
例えば、伏線を主とする話は、筋が要。
点がいづれ線となることで盛り上がり、必然的に計画的な全体創作が必要とされる。
山下さんの芝居は、それとは対極で、ある程度ラストを予想したあらすじはあるものの
それは、また別の話で、登場人物の言葉や行動によって、それは、転がっていき
また、その時々の山下さんの気分や外部との接触によっても変化し
恒例FICTION怒涛の稽古でも更に変化し
創りながら見えてくるものを大切に積み上げていく…のだと想像する。
だから、一見、行き当たりばったりのような進め方は
ラストに向けて進めていたエピソードをそのまま置き忘れたり
もしかしたら、つじつまが合わなくなって、最初からやり直し…
なんてこともあるのかもしれない。
妥協無くして、決められた上演に間に合うのだから
奇跡のような話であり、本当の芝居好きじゃなくちゃ出来ない。
創作段階での試行錯誤は、至極当然であり
これはもう、創作方法の違いで、良し悪しは関係なく
山下澄人の創作姿勢なのだろう。
ただ、こう書いてしまうと、アドリブで日ごとに違うのかと想像されるが
出来上がった作品は、アドリブのようでいて、そうでない。
観客との空気感で、手直しはあるかもしれないが、アドリブとは違うと思う。
完成台本があったら、その通りなのだと思う。
(これは、東京と札幌を体験をした私の感想です…)
でも、そうなると、外部と脚本の仕事をする時、辛くは無いのでしょうか???
いかに、山下澄人を見失わず、まわりの希望に答えるのか…
まわりの思惑はどうあれ、山下澄人を使ってみたいと思われるわけで…
愛されているのですね(*^_^*)
だったら、多少大人の部分は持ち合わせると見せかけつつ
したたかに、甘えさせてもらったら、
山下さんを待っているファンの顔は、笑みに満ちることでしょう。
コメントを書くことも、これに通じるのかもしれない。
思いついたことは、ふとした時に色々あるのですが
書いているうちに「あ~そうか」と、違う角度が思いつき
そして、当初とは違うものに仕上がったりする。
たぶん、他の人の言葉を聞くということも
自分の思いつかなかった見方や表現だったりして
それによって、また自分が今までとは違う何かを思いつく…
思いついたことは、きっと自分の一部になる。
私事ですが、ずっとフォログの中で消化しきれなかったので
自分なりに少しすっきり出来ました。
山下さんの実際と違ったのなら、失礼な話なのですが…(汗)
読みきり形式も楽しいけれど、連載形式も、山下流で良いですね(*^_^*)
しばらく、静かにしてます(笑)
kiki @ 2008年 02月 22日 23:09:58
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