窓外の木

 ぼくの部屋の窓の下はちょっとした公園になっていて、木がたくさんある。で、これを書いたり、台本を書いたりするときの日の高いとき、いつもそれをぼんやり

見てたりする。今も見てた。

 ひとくちに「木」といっても、いろんな「木」があって、ぼんやり見ているだけでも、幹の質感も葉っぱの色も全部違う。今は少し風があるから、同じ葉っぱでも風に吹かれるだけで見え方も変わるし、色も変わる。

 そんな風に見ていると、例えば子供のときなんかに絵で描いていた「木」とかって、結局「木」なんかではなかったなぁと思う。子供のとき描いた絵の「木」みたいに、幹があってアフロヘアみたいに葉っぱが茂ってるのなんてひとつもない。実際の「木」は、見れば見るほど複雑である。

 で、突然「ははあん」と思った。

 ぼくは子供の頃、よく「絵が上手い」といわれていたけど、それはそうじゃなくて、この見れば見るほど複雑な「木」をちゃんと見ずに、かつてどこかで見た「木の絵」をただ器用に真似ていただけではないのか。それは「器用」で「上手い」だけで「いい絵を描く」というのとは違うのではないか。

 いい絵は「上手い絵」では、ない。ゴッホの絵も、別に上手くはない。ま、専門家じゃないので、専門家に「あれこそが上手いのだよ」といわれたら「はあそうですか」というしかないけども。

 絶対そうなのである。あの当時、ぼくが思い浮かべていたのは「絵」であって、そのとき目の前にある「何か」ではなかった。

 ああだけど。思い返してみると、思い出すけど、ときたまそうじゃないときもあって、目の前の「何か」に、とても注意して描くこともあった。でもそれはとても疲れた。疲れたし、失敗することも多かった。だから、たいがいは楽をして、器用に、かつて見たか、自分で描いたかした「絵」を真似た。

 なら何故そんなことをするのか。褒められたいからである。「上手い」といわれて褒められたい。とにかく褒められたい。褒められりゃよかったのである。まったくしょーむないガキである。

 ま、ただ、そんなガキでも、ひとつひとつ思い知ることで、まっとうにはなれると信じて、ぼくは今、わかったようなことを書き連ねて台本を進ませようとする手を無理矢理止めて、窓外の「木ら」に思いをはせているのであって、さぼって「ぼー」としているわけでは決してない。

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登録日:2008年 06月 07日 18:24:40

コメント

昔の勤め先の社長は、男女問わず、日常的に些細なことでも口に出して人の良い所を褒める人でした。きれいに片付いたね…とか、お茶おいしいよ…とか…資料よく出来てるね…とか。それまでそういう人がまわりにいなかったので、最初は戸惑ったりしたのですが、言われた側は、役に立てた…気分良く受け取ってもらえた…と、とても手応えを感じて嬉しくなり、日本人に欠落気味のコミュニケーションが、どれほど生活の張りを変えるものか体感しました。不満は口にしやすいけれど、人を褒める、感謝する、ということは、意外と心の中だけのことで、相手に伝えるということがない。
日本人は、何かしてもらった時に、「すみません」とよく言うけれど、きちんと「ありがとう」と言われると、やっぱり言われた側は嬉しい。言う時はそれほど気にしていないのに、受け取る側の時は、ニュアンスをその言葉から読み取ろうとする。
嬉しい言葉は人をやる気にさせる。人はだれでも、きちんと褒められることで、ちゃんと向き合ってもらえた、認めてもらえた、と安心して、次へ進む勇気をもらう。厳しく言われて伸びる反骨精神タイプもいるかもしれないけれど、それもやっぱり、その先で誰かに認められてこそ報われるのだと思う。
褒められたいと思うなら、まず、自分から素直に誰かを褒めてみる。その気持ちの良い空気は、意外と伝染する。
偽りの無い信じる心も同じだと思う。伝えれば、味方だよ…と伝え続けたら、横を向いていた人の心も動く。人はやっぱり自分の存在を認めて欲しいのだと思う。ただ、それは動いたからといって終わりなのではなく、そうあり続けることが大事。向き合うことにはエネルギーが必要。山下さんが葉っぱをよく見て描き、疲れたように。土曜にやっていた山下さんオススメドラマ『ROOKIES』1~5話のダイジェスト2時間版、録画していたのをやっと見ました。意外と素朴で良くて正直びっくりした(笑)これがいいと思える人でありたいと思えた。番宣CMや途中からでは、嘘くさい青春ドラマのようで、あの良さは伝わりにくい。物事は結果ではなく、そうなる紆余曲折な過程があってこそ。丁寧に描かれた物語は気持ちがいい。たとえ先生の声がうわずっていようとも(笑)あと、あれは、主題歌もいい(*^_^*)ラストまで力強くもっていって欲しい。後半はどうしても話数合わせになりがちだから…
山下さん、お奨めして下さって、ありがとう。
「ぼー」っとしたら、また書いて下さい(*^_^*)

kiki @ 2008年 06月 08日 23:42:07

適当で…ごめんなさい。
いま見ていたのは葉っぱだったけど、疲れたのは
>目の前の「何か」に、とても注意して描くこともあった。
でしたね…^_^;

kiki @ 2008年 06月 08日 23:56:26

いやいや澄人さま、お疲れ様でございます。
木を見るのはとてもいい事ですよね。
疲れた目も休まるし心もほぐれます。
どうして木や緑にはそういうチカラがあるんでしょうね。
そういう私の住む近辺には緑が少ないので、今日はわざわざ1時間かけて
新緑溢れる公園に出かけ、のんびり散策して参りました。わざわざです。
だから上のような事が言えるんですよね。心身ともにリラックスできたので。
澄人さまにも是非忙しい手を止めて、しばしリラックスする時間を持って戴きたいです。
えぇ、それはもちろん決してさぼってる訳ではなく。

そういえば私が子供の時に書いていた木も太い幹にアフロヘアでしたわ(≧∀≦)
あれって子供が書く 「木」 の定番じゃないですか?
それで私も「絵が上手い」だなんて褒められていた事を思い出しました。おほほ。。。

ゆるり @ 2008年 06月 11日 02:51:09

いやいや澄人さま、お疲れ様でございます。
木を見るのはとてもいい事ですよね。
疲れた目も休まるし心もほぐれます。
どうして木や緑にはそういうチカラがあるんでしょうね。
そういう私の住む近辺には緑が少ないので、今日はわざわざ1時間かけて
新緑溢れる公園に出かけ、のんびり散策して参りました。わざわざです。
だから上のような事が言えるんですよね。心身ともにリラックスできたので。
澄人さまにも是非忙しい手を止めて、しばしリラックスする時間を持って戴きたいです。
えぇ、それはもちろん決してさぼってる訳ではなく。

そういえば私が子供の時に書いていた木も太い幹にアフロヘアでしたわ(≧∀≦)
あれって子供が書く 「木」 の定番じゃないですか?
それで私も「絵が上手い」だなんて褒められていた事を思い出しました。おほほ。。。

ゆるり @ 2008年 06月 11日 02:52:11

スミマセン。何がどうなったか、2連投になってしまっております。
皆様、申し訳ありません。。。

ゆるり @ 2008年 06月 11日 02:55:10

スミマセン。何がどうなったか、2連投になってしまっております。
皆様、申し訳ありません。。。

ゆるり @ 2008年 06月 11日 02:56:12

 いつもなるほど、なるほどと唸るばかりの山下さんのブログですが、今回は少し違ったコメントをさせていただきます。

 そう、子供が描く木は、やっぱり幹にアフロヘアーが代表的ですね。大人になった今、じっくり見てみるとそんな木はなく、もっと複雑な形だったりで微妙な色合いです。
じゃ、どうして子供はみんな決まったようにああいう木を描くんだろうと思うのです。
きちんと観察してないから?
まだ精密に描くことができないから?

 私はもしかして、小さい「子供の眼」はああいうふうに見てるのではないかと、ふと思うのです。
幼稚園の先生をしていたことがあります。
3才くらいまでは何のためらいもなく皆楽しそうに絵を描きます。
木はああいうふうで、人は、顔の横からいきないり手がはえてる。目と口はあるけど眉毛や鼻がなかったり、髪の毛もあったりなかったりする。それはそれはいろいろで、細かいパーツなんかにこだわらない。楽しい絵です。

 姪が2,3才の頃、街の喫茶店で初めて黒人男性と居合わせたせたことがあります。その時の彼女と言ったらヒョコヒョコと歩いて近くに言っては「うわぁ」 「めめあった!」などと恥ずかしいやら、申し訳ないくらいの驚きようでした。
 帰宅後、「Kちゃん、今日、色の黒いおじさんに会ったの嬉しそうだったね」というと
「???」
「ほら、会ったでしょ。ジュース飲む所で」と再度聞くと
「ああ、Kちゃん「おんまさん」見たの!」と答えたのです。
「え?色の黒いおじさんでしょ?」と何度聞いても
「ううん、Kちゃんおんまさん見ただけ」
えーーーーーーーーーーっ!!!
「おんまさん」とは「お馬さん」のことです。
※ああ、どうかここで差別的な不適切な表現とおとりにならないでください。

 あの子の眼には「おじさん」ではなかったのです。
どうして「おんまさん」が喫茶店でコーヒー飲んで新聞読んでるの?みたいな驚きだったのでしょうか?
これは文章にすると誤解されかねない事件ですが、別に私が子供に「おばさんはブタなのにどうして尻尾がないの?」って思われていても不思議ではないというような意味です。
つまり、何が言いたいかというと、「子供の眼」には何がどのように映っているか、大人になってしまった私達には悲しいくらい想像もできないことがあるということです。

 こちらが当たり前と思ってみている事柄も、新鮮な彼らの眼には珍しく、その知らないものに惹かれたときの目の輝き、見つめる眼差しはまるで「哲学者」です。そんな子供の姿を見ているのが大好きでした。 
そしてそこにも「劇空間」と同じ説明不能の神秘な空気が漂っているような気がしてなりません。

nana @ 2008年 06月 11日 14:41:29

「ぼー」っとするのは、ぼーっとした作業を頭の中がしているので
見た目はサボりでも、本人は忙しいはずなのです。なーんちゃって。。
「なんだろうな、アレ?」と思って、目でみて、みつめているのに
傍目からみると、心ここにあらずにみえるらしい・・・。
口などあけていたら、それこそ指摘されるから、顎に手を添えて準備をする。
でも、あの無心になった「ぼー」の時間は
時間のたつことを忘れることができて大切ですよね。

現実に戻ると、時間がなくて焦りますが・・・。

kumi @ 2008年 06月 12日 10:45:31

こんにちは

その木なんの木、気になる木〜 というCMが ありましたね そういえば。
私の実家に 連理の松 というアルファベットでいえばHのような有名な?木 いや 樹 がありました。それを描いて賞をもらいました(自慢!!) でも 先生が 「上手いけど子供らしくない絵よね」と言いやがりました。じゃあ賞なんかくれるな!と 幼い心は泣きました。褒めてほしくなかったといえば嘘になるけど、うん10年経った今もあの「子供らしくない」の言葉を忘れません。だから それからも絵を描いても 作文を書いても 何も言われてないのに「賞なんかいらんけん」と前持って言う 可愛くないガキンチョでした(笑)賞なんかより、やっぱり「うまい、うまい」と笑って褒めて欲しかった。だから 我が子が アフロの木を描いても どじょうのような ウサギを描いても 「うまいなあ、天才やなあ」と褒めてやります。これからも...たぶん。
あまり家から出ないのに風邪をひきました。山下様も皆様も お大事にしてください。
夏でも マフラーを! では

つくね @ 2008年 06月 12日 13:01:23

あ~わかるぅ。
のどを冷やすと、風邪ひきやすいんですよね。
夏は、襟ぐりが広いのを着るから、クーラーのきいた部屋にいて、たまに手で、のどや鎖骨の間を抑えると温かくてホッとします。
つくねさんもお大事に(*^_^*)

kiki @ 2008年 06月 12日 21:29:50

KiKiさん ありがとうございます。
なにか 今 稲科の花粉が飛んでいるらしく...この 喉の違和感と鼻水と咳は それではないかと疑いながらも 律儀に風邪薬を飲みマフラーを巻く私です。

つくね @ 2008年 06月 14日 00:03:39

私は写生が苦手な子供でした。
幹にアフロを書いた2年生の時、ちゃんと細かく葉っぱも描けと言われて困りました。
あんなにいっぱい描けないよ。
結果私はティッシュを丸めて絵の具を付けて、紙の上にポンポンと色をのせて葉っぱにしました。私は雰囲気重視なんです、昔から。細かいことは苦手なんです。
そんなことを思い出しました。

ヨコ @ 2008年 06月 22日 00:25:58

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プロフィール
山下澄人
(男)
FICTION WEB
FICTION構成員の日々
「FICTION 」主宰。映像、ラジオドラマのシナリオも手がけ、2005年には初監督作品「ON THE ROCK」を発表。

新作公演 FICTION Vol.30「しんせかい」

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旭川公演  
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