1度目に劣る2度目
先日、怒濤のはじめての2度目のワークショップが終了した。
そもそも、ぼくはああいうものに受け手として参加したことがない。参加したことがないくせに開催するというのはそれは、ラーメンを食べたことがないのにラーメン屋を始めるような、ベジタリアンなのに焼肉屋を始めるような、芝居を見たこ
とがないのに芝居を始めるようなもので、いけないことではないけど「ずいぶん乱暴じゃない?」との思いから、これまで触れずに来たのだけれど、年をとってそこらへんのエッヂがゆるんだのか「やりましょうよ」といわれて背中を押されたら意外とすぐに動いて、先日ので2度目となった。
といったことなので、よそが一体どんなことをするのかよく知らないのだけど、ぼくのするワークショップ(ていうかまだ2回しかやったことがないけど)では、5日間でみんなで小さな劇を作る。ていうか作った。最初考えたとき、そんなことが可能かと、もちろん思ったけども、そんなものを「芯」にでもしなきゃ、ふだん劇のことしか考えたことのないぼくには他人との会話の糸口がない。
そう。そもそもの目論みは「会話の糸口」だったのである。その「芯」となる「小さな劇作り」というのは。
しかし。人間というのは絶望的に真面目なもので、チラシに「小さな劇をつくりまーす」とうたって、人びとに「小さな劇を作ろうとね、うん、うん」と語ったのならちゃんと「小さな劇」を作らねばと、どこかでぼくは強く思い込んだ。で、ま、それが偶然功を奏して、というか裏目に出て、前々回には、はじめてなのにもかかわらず何だか立派な「劇らしい小さな劇」が出来た。そして思っていた以上に、そのことにぼくは不思議に甘い達成感を味わった。「やってよかったやってよかった」とことあるごとにいい回った。けども、いい回りつつ、何かが小さく引っかかった。引っかかったけど、それが何なのかはっきりせぬまま、2度目に突入し、2度目でその「引っかかり」の意味を理解した。
今回、期間の中程で、ある組が突然止まった。それは経験者もまじったいちばんうまくいきそうに思えた組だった。だからその人らも、ぼくも、見ている人らも、それがどうしてなのかを一所懸命考えていろいろと試してみたりした。それでもうまくいかなかった。そのときぼくは少しあわてた。参加費を取って「小さな劇を立ち上げます」とチラシにうたっているのだから、このまま済ませる訳にはいかない、どうにかしなければ、と思った。思ってものすごくいろいろひとりで考えた。ぼくだって伊達にたくさんの劇を作ってきた訳ではない。それなりの打開策、プロの技も知っている。少し手荒いけど、それを使うかと思案した。
そして突然、前回の「引っかかり」の意味がわかった。
そこまでして劇なんか無理して作ることはなかったのである。作れなきゃ作れないでよかったのである。よかったのに、どこかで無理をして前々回は劇を立ち上げた。立ち上げて、立ち上がった達成感で、複雑な何日間かを締めくくってしまった。だからいつまでも何だか小さな「引っかかり」が残り続けたのだ。もちろんそれはそれで意味のあることで、前々回の数日間の何をも疑うつもりはないけれども。
劇は過程にこそ意味がある。汚くたとえると劇は「キレの悪いうんこ」のようなものなのである。それはもう絶対にそうなのである。大事なのは刻一刻で、何が立ち上がったとか、何をしたかではない。昔からそのことを、劇をするほとんどの人、劇を見るほとんどの人に「ちがう」といわれ続けているけど、ぼくはそう信じているし、だからぼくは劇が好きなのだし、じゃなきゃこんなものやってない。
もちろんだからといって放棄するればいいというのではない。そのことを踏まえて「劇を作る」のである。矛盾しているように思えるかもしれないけど、これ以上ここでうまく説明できないけど、だから劇は「工場で作られる機械」とは違うのである。
なのに、いつの間にか、そのことに逆行していた。大した理由にあった訳ではない。チラシにそううたったから、とか、参加費を取っているからとか、そういう貧乏くさい理由から、気がつくとあの「やるからには」的な「生まれたからには何者かにならなければ」的な、ふふふ、呪いに負けていたのである。
まったく。まだまだ貧乏くさいわたしでした。
だから、今回は停滞して止まった組は、そこでスパッと解散した。解散組も残念そうな感じになるかと思ったら、ほっとして嬉々として「だめな人ら」といわれながら他の人らの外野にまわった。そうなると他の組は錯覚だけどものすごく進んでいるように思えて、だけど錯覚は人を元気づけるから不思議と進んで。最後にはまたすごいのが出来て、終わった。
だから何が書きたいのかというと、1度目より立派なのが2度目には出来るというのが、ま、一般的なあのあれだとすると、ぼくらのはそれとは真逆で、1度目には出来たことが2度目は出来なかったのです。完成度では1度目に劣る2度目だったのです。
そしてそのことをぼくはとてもおもしろいと思うのですとても。前々回のような達成感のない感じも、あれだけ濃い日々を過ごしたのにもかかわらずすぐに劇作りの日常に戻れた(ま、腰痛でまだ戻れてはないのですが)今の感じも含めて、なかなかの、なるほどの2度目、だったのではないかと考えているのです。今は。
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登録日:2008年 06月 26日 20:06:21
コメント
ワークショップの前半2日間参加の後、最終日に再び札幌に戻った。参加といっても、そもそも私は劇をする人ではないのだけれど、今回も出来上がったものを観るのとは違うおもしろさを充分に味あわせていただいた。
それは作られていく過程のおもしろさなのである。出来上がったレシピや手法、技を公開してもらうのではなく、どんなものができあがるか、あがらないかさえわからないまま、人がいろいろなものを持ち寄るのである。料理でいえば「やみ鍋」状態で、それはそれは恐ろしくわくわくする。 素材は人だけなのでお互いの持ち味をじっくり吟味しながら・・・待つ。
しかし、山下さんの美しいたとえにあるように、そんな簡単に「モノ」は出てこない。何か形になりそうな気配はするが、出たり引っ込んだりする。そこで私などは特に、普段使っていない脳のどのあたりかを精一杯働かそうと力をふりしぼってみる。
劇が「会話の糸口」であったとしたら、沈黙の間にも、どうあっても皆の会話は充分続いているのだと感じる。 人が集まるところは苦手で出て行くことのない私が、こうやっているところをみると、案外「人」が好きなのかもしれない。
あなたはあなた。わたしはわたしでしかありえない。かけがえのない「ひとり」として「今ここに」存在し作られていく劇。その一瞬一瞬で二度と同じものは浮かび上がってこないと思うと雑に見てなんていられないし、それこそが素晴らしく感動
的だと思う。
さて、そうやって今回もいろいろ考えるところの多かった私なのだけれど、今は自分がどう動けばいいのかまったくわからない、海の底深くに沈んでいるような日々を送っている。上で風が吹こうが波が立とうがすべて通り過ぎていくような。。。 せっかく学んだのだからとか、私はこれをどう活かすのかなどと反省して何者かになろうとするからあらら・・・なのである。1回目よりさらに劣る自分に参っている。本当に。
nana @ 2008年 07月 01日 13:45:13
私が山下さんの書くものを受けて、その多くはフォログですが、山下さんのそこで言いたい全てを理解なんて出来ていないだろうし、何が全てなのかも言えない。全てというならば、書かれてあることがその時の全てなのだと思う。
そう思うのは、フォログの最初の頃からの積み重ねで
この人の言葉には、言葉をぞんざいに扱った裏のある言い方は存在しない。
と思えたから。
少なからず、体裁や、本心ではない遠慮など、誰にでもありそうなものがない。
だから、とてもそこは開放されていて、誰もが入っていける。不安な心の人も、安心して、そこへ入っていける。提示された言葉の以上も以下もない。深みがないという事では決してない。察しろ…的な、隠された嫌味や悪意がないということである。
そんな善人?
いえいえ、書いてあることは、辛辣極まりないこともあり(笑) つまり、正直に素朴に書かれている。山下さんが感じた事実を率直に書いている。
だから、もし山下さんが嘘を書いたとして、それが「あんなの嘘にきまってるでしょ(笑)」とあとで言われたとしても、笑えない。もう信じられないっとしか思えない(笑)
そのかわり、この間のは間違いで、訂正します…と言われたら、「はい、わかりました」とすんなり受け入れられる。それぐらい、山下澄人の文は誠実なのだ。
これは、書く者として、何を書くにしても、また創作するにしても、大切な武器で、もしかしたら全てと言ってもいいかもしれない。
だから、女も男も惚れる。創作人として真っ直ぐだから。
ただ付け加えておきたいのは、私は本人を活字でしかよく知らないので、それが実際の日常の人物がどうであるかは、また別の話…ということ(笑)
札幌公演後に会ったワークショップ参加経験者が、〈劣る〉という表現でいいんです。と言っていた。かわいそうじゃないそんな言い方…と不安に思っていたけれど、参加者がそう言うのだから、そうなので…だから正しい解釈は置いておいて…そこにいた全ての人が心一つだったという事実は、まぎれもなく楽しく有意義なワークショップだったということで。
だからこの記事も危惧などする必要もなくそのまま読めばよかった。
なかなか素直に読み取るということは難しい。
kiki @ 2008年 09月 29日 01:33:23
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