夜の楽しみ

アポロ8号の打ち上げから40年

【12月22日 AFP】米航空宇宙局(NASA)は21日、人類初の有人月周回ミッションを行ったアポロ8号(Apollo 8)の打ち上げ40周年の記念式典を行った。
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 世界の半分は夜。半分は昼。ほんまやー

 さて。

 毎晩寝る前になると、これからまた「寝る」という状態に自分が入っていくということが、とても不思議に思える。「おお。今から寝るのか。寝てしまうのか」と

毎日毎晩のことなのにもかかわらず、「そろそろか。くるか」と、ドキドキする。で、いつの間にか寝ている。

 最近、何かを見た感触で目がさめたら、何とか見たものを思い出すよう努力している。努力というのはえらいもので、続けていると「思い出せない」の代名詞である夢すら思い出せるようになる。夢はおもしろい。脈略がないのに、吐気をもよおすほどの手触りがある。異様なリアリティがある。ていうか、リアリティしかない。もっといっぱい見たいと思う。だからぼくは起きている暇がない。

 ただ、夢で見た風景が、どうしても「あの感じ」として絵に描けない。いくつもの印象はそれぞれ具体的に残っているのだけど、それらひとつひとつの具体を並べて、となると、とたんに描けなくなる。思い切って描いてみても描くと違ってしまう。だから夢で見た風景というのは絵に出来ないのかとあきらめかけていたら、つげ義春という漫画家が夢を元にして描いた漫画を見つけて、びっくりした。それはつげさんが見た夢(もしくはイメージ)であるはずなのに、こちらが頭の中で見たものとは違うはずなのに、それでもつげさんの描く夢の絵によって、ぼくが見たものの風景が鮮明になる。筑摩書房から最近出た『つげ義春コレクション ねじ式/夜が掴む』という文庫にたくさん夢の話が入っているので、興味のある人はどうぞ是非。

 夢といえば、先日、黒澤明監督の『夢』をテレビで見た。おもしろいとは思わないのに何故だか見てしまうのが、ぼくにとっての黒澤映画で、ひとつひとつの画面に込められた密度というか、シーンのつながりはすごいのに、スジがぼくにはだるいから(それはスジらしいスジがなく、見た夢を映画にしたという『夢』であっても)、たぶん黒澤監督の全作品を見ているわりには、強く「おもしろい」といえないわだかまりがある。でも『八月の狂詩曲』の最後におばあさんの傘が風に吹かれておちょこみたいになった瞬間に「わーらーべーはーみーたーりー」と歌が流れるところとか、『椿三十郎』で三船敏郎が懐手で肩をゆすりながら歩いていくところとか、『七人の侍』で屋根の上に立てられた手描きの旗がバタバタバタバタとはためくところとか、『赤ひげ』で三船敏郎と加山雄三が診療所の門の前を歩いていくところとか、大地震の後とか、『どですかでん』のセットの全部とか、『デルス・ウザーラ』の草しか生えてない荒野で道に迷うところとか、『天国と地獄』の煙だけが赤くなるところとか、『夢』の狐の嫁入りのところとか、そこにある大きな木とか、『どん底』の部屋の中とか、『影武者』のお城でショーケンが側近としゃべっているときの後ろの窓の外の景色とか、『まあだだよ』で行方不明になった猫がスローモーションでこちらに向って走ってくるところとか等々、まさしく夢の風景のような濃度の、すごい断片がたくさんたくさんあって、ずっと見ていられる。て、あ。それはものすごくおもしろいということか。

 うちの猫はベランダでする散歩が好きで、天気がいいと「外へ出せ」とミャーミャー鳴く。だから仕方なくハーネスをつけて(そんなものつけなくていいと思うのだけど、1度、ベランダの手摺にぴょんと飛び乗って、見ているこちらの腰が抜けそうになったのでつけている。ちなみにうちは6階。猫でも落ちたらたぶん、ていうか絶対に死ぬ。)外へ連れて行こうとするのだけど、窓を開けて外が寒いと、とたんに部屋へ逃げ戻る。あんなに「行きたい行きたい連れてってください」と鳴くくせに、少々の我慢すらしようという気がない。我慢しつつ楽しむなどという貧乏くさい複雑さがない。素晴らしい。

 クリスマスもすんで、あとは楽しみな大晦日ですな。

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登録日:2008年 12月 26日 19:26:04

コメント

私の夢も怖いくらいリアルです。
怪我をすればめっちゃ痛いし(刺されたことがある)、砂浜で足をとられてコケた時には砂をかむ感触までありました。

映画「夢」は映画館で見ましたけど...よく分かりませんでした。
「八月のラプソディ」に至っては、いつの間にやら寝てしまいました...。
難しいのかしら...

ヨコ @ 2008年 12月 26日 21:25:29

 「わかる」「わからない」ということから思い切って飛び出すと、けっこういろいろおもしろいですよ。

山下 @ 2008年 12月 26日 21:30:01

夢は本当に不思議でおもしろい。
私はよく夢を見る。最近あまり鮮明な夢を記憶していないけれど、とにかくよく見る。
夢に深く何かの意味を見出そうなんてしなくてもいいのだろうけど、あまりにリアルで、これは何かの啓示ではないかと深追いしたくなることもしばしばだ。

単純に自分が気にかかっていることが脈絡なく断片的に現れることもあるけれど、そうじゃなくてまったく知りえない場所、人、状況なのに強烈な印象と共にハッと目が覚めたときは、やはりしばらく考えてしまう。
そういう夢のいくつかを書き留めたこともあった。

私はよく自分の体が天に引き上げられる夢をみる。
肉体を持っている自分は当然建物を潜り抜けて飛んでいくのはおそろしく、「ぶつかる!」とひるむのだが、必ず通り抜けている。空を舞いながらイタリアの赤レンガで統一された町並みのクーポラを眺めていることもあれば、アジアの古い寺院で見かけたような墓地のような公園を、しかも空中を漂いながら俯瞰している。

いつだったか私が会ったこともないはずの人が、さも私のことを以前からよく知っているような、まるで母親か親戚のような口ぶりで「あなたは寒がりだからこれをもっていきなさいね」といって水色の衣をわたしてくれた。そのとき私はとても不思議におもいながら、なぜかこの人は私のことを知っていると直観しているのである。

今、流れにまかせてなぜこんなことを書いているのかよくわからにけれど。。。
ほかにも書ききれない摩訶不思議な、私が書物で読んだことも聞いたこともなく知り得ない、夢をいくつかみたとき、
私は自分の体が(霊魂)が肉体を離れているのかもしれないと思うことがある。これは私個人の宗教観、信仰によるところのえいきょうだと思うけれど。

とにかく、いつも思うことは。。。
「今から寝る」けれど明日目を覚ます保障はどこにもないのだということを、別に恐怖でもなく不安でもなく思う。
この世はというか、あの世も?理解できることなどないまま「ええーーーーーー、そうだったの?」みたいなことにしかならないと思っていて、だって全部わかったらつまんないし、それはそのときに考えるしかないかなんて思っていつも気持ちよく惰眠をむさぼる。

これから寝るってときはいつも幸せだー。
皆さまよい夢を。おやすみなさい。

なな @ 2008年 12月 26日 23:40:00

黒澤作品は、その有名さが逆に、観たことの無い私にはなんだか小難しく感じられて、特に興味もなく、スルーしていたけれど、いつだったかTVで、『椿三十郎』を観て、びっくりした。三船敏郎を観るのも初めてで、すごい茶目っ気のある男前だなーってワクワクしたし、何より作品が小難しさとは違う<娯楽>を感じた。観る人の何かをくすぐる感じ。
『天国と地獄』の煙だけが赤くなるところ…うわー(笑) 謎が解けた。『踊る大捜査線 THE MOVIE』のワンシーンで、背景がモノクロの状態で、ゴルフのスーパーボールの赤い煙を発見して織田裕二が「天国と地獄だ」という場面があって、知らない私は、そのセリフがずっとひっかかっていたのですが…これのことなんだー(笑) 今頃合点がいってひとりウケる。
私の夢はとても現実的で、空を飛んだことなどない。一度ぐらいは飛んで感覚を味わってみたい。昔頻繁に見たのは、電車に乗っていて、どうしても乗り越してしまって、目的地に辿り着けない…という夢。着けてホッとしたことなど一度も無い。夢判断はこの夢に対してどう意味づけるのか、当時はとても興味があった。けど、思うだけで調べたことは無かった。
夜はなんだか落ち着く。何かを考えたり、作ったり、集中しやすい。外からの日常音が無くなってシンとしているからだろうか。同じ時間の流れなのに、夜は自分の世界に入りやすい。でも眠さに負けて、気がつくと舟をこいでいる。いまもちょっと眠い(笑)

kiki @ 2008年 12月 27日 01:31:31

 ぼくも飛ぶ夢は見ます。

 まず助走をします。で、速度の上がったところで「すっ」と前へ手を伸ばして体を投げ出します。うまくいけば浮かぶし、失敗するとそのまま落ちます。うまく浮かんでも、バランスを取りつつ、体の力を抜いてないと落ちるから、いい案配で力の加減をしつつ、ふわっ、ふわっ、と微かな風を読んで上昇していきます。ある程度上昇すれば少しは安心なのですが、力が入ると突然下降していくので、安心はできません。

 この夢を見た後は、ほんとうに飛んできたような気分になれます。

山下 @ 2008年 12月 27日 04:49:02

なんだかピーターパンの飛ぶコツみたい。子供たちが最初飛べなくて、すてきなこと楽しいことなんかを考えると飛べた…ような記憶があるけれど。
より飛ぼうと欲の力が入ると飛べないってことなのかな。なんか真理をついていて、すごい夢だな~と思いました。
今度飛ぶ時、誘いに来てくださいよー(笑) 山下ピーターパン(笑) きっと睡眠時間帯がずれているから(だって、上記は明け方ですよ(笑))、早朝飛行ね(笑) 6時半までならオッケーでーす♪ で、ここに今年現れた人達も誘って、遊覧飛行。北海道はもちろん、大阪も行けるねー、あとはどこだろう。ふふっ。たーのしぃっ☆

kiki @ 2008年 12月 27日 10:04:12

夢...
私は 夢を見ない夜が無く...もう 夢を見たくないから寝たくない! と思うほどです
一番よく見るのは 目の前で ジェット機が 墜落する夢と 城が焼ける夢と 殺されかけても絶対自分だけ助かる いやらしい夢と ほんとに いやらしい...夢...です。
私の師匠が 夢分析をしていて お世話になりましたが まあなかなか わからないですね〜 いいんですけどね(笑)夢見なくならない方法ないですかねー昨夜は 自分の『アカンやろ!』の寝言で目を覚ましました。
魘されたり、笑ったり、怒鳴ったりがしょっちゅうで。
だから というわけではないですが 私だけ 家族と離れた部屋で 寝かされています((苦笑))

黒澤監督の『夢』は 私もリアルで観ました。 が 劇場を出る時は 『わからん』と 呟きました。
あの 絵や配色は強烈でしたが 作品の物として記憶されませんでした... あれからうん十年 もう一度観てみようかなと思ってます(^^)
さて 今年は山下澄人さんと言う方を知り、Fictionという劇団を知り、皆さんにお会いし がぶんさんも知り! ここを覗いては 笑ったり考えたり。楽しい時間を頂きました
ありがとうございました。来年も皆様にとり良い一年になりますように!

つくね @ 2008年 12月 27日 16:27:28

わたしは人を殺したり殺されたりする夢をよく見ます。
すんごいリアルです。
遺伝子によるものか、日頃のストレスか。
まぁ、いずれにせよ、夢に見ることによって
心のバランスを保っていてくれるのならいいんですけど。

最近覚えている夢は
「グルグル廻ってバターになるの?ドーナツになるの?どっち?」
と標準語でしゃべった夢です。

なんでやねん。

yuko @ 2008年 12月 28日 05:43:32

おはよー!やっと風邪から起きた。で、夢の話はたいくつだ。「きのうすごく変な夢みてさ、、、」とか興奮して言われても、「でも、夢だろ」で終わり。それよりずっと昔から興味があったのは、先天的に全盲の人はどんな夢を見るのだろうか?ということ。この夜の楽しみ板を読むまで、その答えを探そうとかしなかったのだけれど、今回その答えを見つけた。
2ちゃんねるの、盲人は夢を見るのか?という過去スレッドで、2ちゃん特有の軽いノリで始まるが、しばらくすると「全盲人」という生まれつき全盲の人が登場する。最初は本物かどうか突っ込まれたりしているが、どうやら本物の先天的全盲の人であるらしいことがわかると、ちゃんと敬意を払った態度での質問になるのが微笑ましい。

http://ton.2ch.net/body/kako/1004/10043/1004374543.html

がぶん@@ @ 2008年 12月 28日 08:40:25

 標準語で「グルグル廻ってバターになるの?ドーナツになるの?どっち?」。わはははは。

 前にテレビで、イルカみたいに口で小さく「ちちち」と音を出して、そこに何か「ある」か「ない」かがわかるという盲人を見たことがあります。音の跳ね返りでわかるといってました。

 

山下 @ 2008年 12月 28日 15:18:09

がぶんさん、風邪からの復活おめでとうございます。
ここに登場されないからまだ発熱中かなぁと心配してましたー。
先天的に全盲の人がどんな夢見るか。。。
がぶんさんて、視点が違うから面白いです!
いつも言われてから、あ、、そうだもねーと思います。

全盲人さん登場の2ちゃんねる、しばらく読みました。
感覚の違ういろいろな人のお話が聞けてよかったです。

なな @ 2008年 12月 28日 21:24:03

全盲の人の見る夢は、、、という疑問は、実は夢視点からの疑問ではなくて、リアルな世界ってなんだろう?というか、リアルな世界っていうのは果たしてあるのだろうか?という疑問から発したものだ。夢は自分が感受する世界の反映なのだから、音のない世界の住人は無音の夢を見る。色を識別できない動物、例えば犬は色のない夢しか見ることしかできない。というのはどういうこと? 数としては圧倒的に多いだろうと思われる視覚聴覚ともに備わった人間たちは、自分たちが今感受している世界こそがリアルな世界であると勝手に思い込んでいる節がある。それでさえ怪しいものなのに。昔YMOの坂本が実験的コンサートを開いたことがあって、ある曲を演奏するのだけれど、曲に聴き入る聴衆とまったく無反応の聴衆とに分かれるのだ。それは坂本が作った曲は、人間の聞こえる限界の高さ(低さも)の音だけを選んで構成されてものだったからだ。音の聞こえる幅というのはその人の資質や年齢に深く関わっていて、人それぞれ聞こえる幅は違う。だから、その曲をまったく聴けない人たちも当然存在するというわけ。面白いよね。じゃ、音のリアリティってなに? ひいては世界のリアリティってなに?という疑問にまでつながるのだから。

がぶん@@ @ 2008年 12月 29日 02:13:29

リアリティ…存在するってどういうことでしょう。
いま日本にいて、それは地球にあって、更にそれは宇宙にあって、更に更にそれは…どこにあるの?存在するとされる枠があるのなら、外はどうなっているの?じゃー私たちは本当はどこに存在しているの?それは本当に存在していると言っていいの?でも、確かに見える、触れられるものは目の前にある。生きているってどういうことなんでしょう。
学生時代に誰でも一度は考えたりすることなのでしょうけれど、問題なく大人になれて、本当に世の中、今ある生活にいっぱいいっぱいで、真理にふれようとしなくても生きていけるなーって改めて思いまいした。そこをあえて考えるからこそ人間であり、劇や音楽や絵画などなのでしょうか。
知らないことは、何を知らないのか、わからないから、やっぱり知らなくて、どのくらい何を知らないのか、わかるはずもない。それは、経験や他人とのかかわりによって、知らなかったのだと初めてわかる。
だから、私は年をとることに、とてもおもしろさを感じる。年をとっていやだわー、なんて思ったことはほとんど無い。あ、傷が治りにくくなった時には、年取ったなーって、ちょっとがっかりしたなー(笑)

お年寄りの悪口なんかをひそひそ話していると、そういう時に限って、地獄耳だったりする…ということを聞いたことがある。高齢になると、高音が聞き取りにくくなるらしい。だからそれから導くと、ひそひそ話は、低音になりやすくなるわけだから、悪口は声を高くしてする方がいい…ということでしょうかねー(笑)

kiki @ 2008年 12月 29日 04:09:45

 前に書いた気がするけど、神戸に地震が来て、生まれ育った街が壊滅して、そこへ足を踏み入れたとき、何だかとても不思議な爽快感がありました。それはもしかしたら、確かだと思っていた世界に対するリアリティーが木っ端微塵に吹き飛ばされたからなのだと思います。で、そういうとき、人は少し「たのしい」のだということを知りました。ゲリラ豪雨やら台風やらが来ると何だかとてもわくわくするのに似ているのかもしれません。

山下 @ 2008年 12月 29日 20:19:35

いいことも、喜べないことも、色々山下さんには乗り越えてもらって、これからもどん欲に、それらから感じた何かを劇にして欲しいなーと思っています。
山下さんには強くあって欲しいです。絵空事で終わらない、現実と比較しても、ひるむことの無い劇。あなたの劇が私はやっぱり好きです。
今年はとっても楽しみました。ありがとう(*^_^*)

kiki @ 2008年 12月 29日 23:30:47

生きてて一番つまんないのは感情がフラットであることだと思う。死んじゃった人の心電図の横一直線の棒のように、感情になんの起伏もない状態。それってもしかすると仏教の高僧とかが到達する無我の境地かもしれなくて、だとしたら高僧って大バカヤローだと思う。喜びも悲しみも憎しみも恐怖も全部乗り越えちゃったりするから、生きたままミイラになったりするような愚にもつかないようなことするのだ。というか悟ったばっかりに、生きる意味を失っちゃうんだろうね。あー、悟りから遠いところにいてよかった!
最近ユーチューブとかでよく見かける月乃光司絶叫朗読「人生なんでもあり」とかいう詩。♪いじめてくれてありがとー、ひきこもりでありがとー、、、、人生すべて正解さー♪。。。
逆説だけど、 イヤなことばかりでも何にもないよりどれほどましなことか、つーことだね。

うぃぃ、、お前も心の底からバカだけど、、死にそうにないからいいよいいよ。

がぶん@@ @ 2008年 12月 30日 16:19:09

 うん。うぃぃ、いいよいいよ。

 がぶんさん、明日の青木真也とエディ・アルバレスの戦いは見ものですね。あと、桜庭と田村。ちょーたのしみ

山下 @ 2008年 12月 30日 18:34:13

だよね、、ヒョードルのやつがなんかアメリカの大会に出るんでこっちに出れないんだって、、それがなー。あいつやっぱりあいつが一番見たいもの。
桜庭と田村、、、、んー、どっち? やっぱり桜庭か。

がぶん@@ @ 2008年 12月 30日 21:35:38

 ヒョードル見たいですねえ。日本に来るときはかばん一杯にウォッカを入れてくるのだと、あの団体にいる知り合いに聞きました。なのに持ってこなけりゃならないチャンピオンベルトは忘れてきて、お母さんに「ママ、ママ」と慌てて電話かけたりしてたそうです。

 田村と桜庭は、うーん、気持ちは桜庭。

山下 @ 2008年 12月 31日 03:51:32

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