中国人名のルビは必要か?
【南寧/中国 30日 AFP】中国-東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議が2日間の日程で30日に開幕した。写真は30日、会場のホテルに到着した中国の温家宝(Wen Jiabao)首相。(c)AFP/Peter PARKS
近年、朝日新聞など日本の新聞で中国の人名にカタカナのルビがふるケースがでてきている。従来通り漢字のみで表記してある新聞もあるので、各社足並みを揃えてというわけでもないらしい。私はこの「中国語読みのルビ」は不要だと思う。いったい何のためにあるのかよくわからない。
たとえば朝日新聞では、中国の温家宝(Wen Jiabao)総理は「ウェン・チアバオ」、中国外務省の劉建超(Liu Jianchao)報道局長は「リウ・チエンチャオ」と読み仮名のルビが記されている。
以前から韓国の人名に対しては、盧武鉉・大統領を「ノムヒョン」と読むように、現地での発音に近い呼び方がされてきている。これはもうすでに結構定着した感じがあり、中国もそれに倣ったということなのだろう。ただ中国語の場合、この現地語表記というのは案外不便なもので、なかなか定着するのは難しいのではと思う。
説明するまでもないように、日本語の場合、欧米諸国など漢字を使用していない国の固有名詞は通常カタカナで表記されている。欧米諸国などの文字は表音文字であり、日本語にもカタカナという表音文字があるから、原音通りとはいかないまでも、それに近い音でなんとか表記をしているというのが実態だ。
お互いに自国語読みが可能
しかし中国語の場合、事情はやや異なる。日本語と中国語の固有名詞の場合、多くは相手国語での表記をそのまま自国語読みすることが互いに可能だからだ。「胡錦濤」という中国名は日本語で「こきんとう」と読めるし、「安倍晋三」という日本名は中国語でもそのまま「Anbei Jinsan」と読むことができる。外国語であるにもかかわらず、双方の国民がそのまま読めて、しかもその意味まで分かるというのは素晴らしいことだと思う。
確かに中国語の固有名詞でも「温家宝」を「ウェン・チアバオ」と原音になるべく近い形でカタカナ表記することはできる。朝日新聞などはそうしているわけだ。しかしこの音はなるべく似せているとは言っても、中国語の原音とはかけ離れた音であるし、中国語には四声と呼ばれる独特の音の高低があるから、カタカナ読みにしたところでほとんど通じない。前述したように、そのままお互いが原語で文字をそのまま読めるのに、なぜわざわざ不正確な音を付記しなければならないのか。
理由になっていない「ルビをふる理由」
10月30日付けの朝日新聞朝刊「オピニオン」欄に、「中国・韓国人名の読み仮名」という囲み記事があった。「中国や韓国人名の読み仮名についても基準を示して欲しい、とのご意見をいただきました」とのことで、それに対する回答にの形になっている。
しかし読んでみると、まるで回答になっていない。ちょっと長いが、理由に相当する部分をそのまま引用する。
「本紙では、漢字文化圏の人名に原則として読み仮名を付けてきませんでした。日本では昔から中国人名を日本語で音読みしてきた背景があります。逆に中国・台湾では、日本人名を中国語読みし、安倍首相を「アンペイ」と読んでいます。
しかし東アジアの経済発展に伴い、新聞報道も増え、中国語・朝鮮語に親しむ人も増えています。03年2月からは、頻繁に登場する中国語圏の要人や著名人には、標準音の北京語を基本にした読み仮名を付けることにしました」
「新聞報道も増え」「中国語・朝鮮語に親しむ人も増え」たことが読み仮名を付けた理由ということになるが、これでは訳がわからない。要するに確たる理由などないのであろう。
「音」で表記しにくい中国語
日本語のほうはカタカナという表音文字があるからまだいい。問題は中国語のほうである。中国語には専用の表音文字というものが存在しないので、外国語の音を表記するには、漢字の音だけを借りて発音記号として使うという作業が必要になる。いわば日本の万葉仮名方式である。
例えば米国のラムズフェルド国防長官(Donald Henry Rumsfeld)は唐納徳・亨利・拉姆斯菲爾徳である。これらの漢字に意味はない。音だけである。他の漢字を当てることも可能なので、同じ人名の表記法が違って混乱することもある。
それに中国語の漢字は一文字が一音節で、たとえば「張」という字はアルファベットにすると「zhang」で、漢字1文字でアルファベット5文字にもなる。だから1文字1音の表音文字で表記された固有名詞を中国語の漢字の音で表すのは非常に無理があり、なかなか似た音にならない。
ちなみにドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド(Donald Henry Rumsfeld)の中国語音である「唐納徳・亨利・拉姆斯菲爾徳」をそのままなるべく中国語音に近い形でカタカナ表記してみると、「タンナードオ・ホンリー・ラームースーフェイアルドオ」という感じになる。
韓国からは「音」で表記の要求が
聞くところによれば、「ノムヒョン」のように韓国の人名などを現地語に近い読み方(表記)をするようになったのは、韓国サイドからの要望がきっかけだったという。しかし現在のところ、中国政府が日本政府やマスコミに対して固有名詞の読み方を原語風にしろと要求しているという話を聞いたことはない。
そこには日本に対する政治的、民族的感覚が韓国とは違うという背景もあろうが、より現実的には中国に表音文字が存在しないので、自分たちが外国の固有名詞を音で表現しにくいという理由が大きいのではないかと思う。
日本と中国の間では、お互いに固有名詞を「音」で表記するという作業は無駄ばかり多くてあまり意味のない作業である。それよりは「文字」と、それのもつ「意味」のほうを優先して、共通性を生かす方向で考えたほうがずっと便利だし、意味が大きいと私は思う。
温家宝は「温という姓の家に生まれた宝」という意味である。「温家宝」と書き、「おんかほう」と読めばその意味が伝わる。田中は文字通り「田んぼの中」で、信彦は「誠実な男」という意味である。中国人が田中信彦という文字を見ればすぐにわかる。
これは日本と中国の間のみで存在しうる非常に貴重な文化遺産である。「ウェン・チアバオ」やTanaka Nobuhiko では何のことだかお互いに全然わからない。こんな大きな財産を捨てて、わざわざ音で表記することに意味があるとは思えない。
コメント[6], トラックバック[0]
登録日:2006年 10月 31日 01:34:13
コメント
田中さんの言うとおりです。私は語学に関して詳しくないですが、仕事のため英語を中国語に、そして日本語を中国語に翻訳した経験がいくつかあります。人名を翻訳するときは特に漢字の便利さがわかります。欧米人名の場合は中国漢字の発音を利用して、その音を真似るしかない。しかし日本人名の場合は日本の人名用字をそのまま流用することができますので、とても助かります。
漢字は両国の文化を繋げるもっとも直感できる重宝です、大切にしなくてはなりません。中国人名にルビを付けることは蛇足にほかなりません。漢字の音読みは古代中国語の発音に似ているという見解もあります。時に漢字の発音を味わうと古代中国のどこかにつながっているような感じがします。もしあるときタイムマシンに乗って古代の中国に戻れたら、現代中国語の発音を使うよりもしかすると日本語の音読みを使うほうが通じやすいかも。(以上は妄想で失礼しましたm*-*m)
サイ @ 2006年 11月 01日 03:17:02
日経BPオンラインの記事があまりに面白く、バックナンバーを読みあさってこちらへ飛んできました。
田中さんの提言、もっともだと思いますが、最近中国語を習い始めた私としては中途半端に読み仮名を振る理由が「中国語・朝鮮語に親しむ人も増え」たということであれば、いっそのことPin inにしてくれればと思う次第です。日本語で読みたい人はそのまま「おんかほう」で良いですし、正確な発音をしたければPin inを読めばいいでしょうから。(実際には校正の問題とフォントの問題がネックになって簡単には行かないのでしょうが…)
渡 @ 2006年 11月 01日 22:43:29
私も中国人名を日本国内で報道するときは漢字書きの日本語読みでいいと思います.
一方,英文誌を読むときや,国際会議で中国人名を紹介するときには,アルファベット表記の中国人名をある程度原音に似せて読めると便利なのではないでしょうか.ところが,ピンインは少しクセがあります.そこで,そのあたりを一般の方にかいつまんで説明したメモを公開しておりますので,ご参考にしていただければ幸いです.
http://staff.aist.go.jp/sakamoto.yasuhiko/acronym/EJCreadname.html
坂本泰彦 @ 2007年 05月 13日 09:13:26
この問題は外交の相互主義によってすでに結論が出ているとおもっていましたが
最近の朝日新聞がそんな状態になっているとは
知りませんでした。
今頃蒸し返すとは
朝日はやはり親中新聞ですね。
『中朝日新聞』に改名すべきでしょう。
yosihei @ 2007年 05月 19日 10:16:54
私は、ルビは必要だと考えます。
なぜかと言いますと、欧米人と中国の話をするときに必要だからです。中国に来る前に、マオツェトン(毛沢東)やドンシャオピン(鄧小平)と言われても、誰のことかわからなかったことを覚えています。国際言語である英語を含め、日本語以外の言語では、すべて中国語読みをします。ですから、日頃から中国語読みに慣れておくことは、国際社会を生きていく上で非常に有用であると思います。
ヨシモト @ 2009年 10月 11日 19:29:03
私も、ルビは日本人のために必要だと思います。
中国人以外の外国人と中国の話をする際に、人名も地名も平均的な教養の日本人なら知っている程度の基本的な話をしていたのに、固有名詞がネックで混乱した経験が何回もありました。
ルビがあれば、完全とは言わないまでも、日本人がその単語を中国語でなんと読むのかの助けになります。特に、中国語を知らない日本人にとっては、役立つと思います。
中国人と日本人の間で、温家宝を「おんかほう」と読んで、また字を見て意味が通じるのはすばらしいことです。 さらにルビをつけて理解を助けるのが何故いけないのでしょうか?
yuzu @ 2009年 10月 19日 19:32:00
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- プロフィール
- 田中 信彦
- (男)
- http://chinahr.way-nifty.com/
- 1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒。
毎日新聞社記者を経て、日本と上海の両方に活動拠点を持ち、企業の中国事業に対するコンサルティングに従事するほか、雑誌等への執筆、講演など多数。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科で「日中人事・労務比較論」を講義している。
■主な著書
「中国で成功する人事 失敗する人事」(日本経済新聞社)・「人事・採用の基礎知識--中国編」(メディアファクトリー)・「ぼくの上海行商紀行」(文藝春秋)・「日本人の知らない中国人の私的事情」(講談社)
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