中国の新・労働契約法は「終身雇用」を求めるものではない

中国、新たな労働法で労働者保護をアピール

【6月30日 AFP】各地のれんが工場などで多数の強制労働の事実が明るみに出た中国で29日、新たな労働契約法案を可決、成立した。
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(c)AFP

AFPBB News


このほど可決された中国の「労働契約法」法案について、日本のメディアでは「労使間で終身雇用契約を結ぶよう求めたもの」などとする報道が相次いでいる。しかしこの「終身雇用」という表現はあまりに通俗的で、誤解を招きやすい。この法案は決して「終身雇用」を求めるものではない。

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中国の新・労働契約法は全国人民代表大会(日本の国会に相当)常務委員会で6月29日に可決された、労働者の権利保護を強化などを柱とする法律で、日本国内でも大きく報道された。その報道には以下のようなトーンのものがある。

「中国:終身雇用求める労働契約法可決、来年から施行」(「日中経済通信」07月02日、「日経BPネット」より) 「労使間で終身雇用契約を結ぶよう求め、違反した場合の雇用者への賠償金の支払いも義務付けた」

「中国の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)常務委員会で29日、労働者の解雇を制限する「労働契約法」が可決、成立した。2008年1月から施行する。事実上、労使間で「終身雇用」契約を結ぶよう求め、違反した雇用者の賠償金支払いを義務付けた。」(日本経済新聞6月29日)

こうした「終身雇用」報道を受けて、現場の実感に疎い日本国内の本社などの一部では、「中国でも事実上、解雇ができなくなるのか」と大騒ぎになっているところもあるという。

ある一部上場のメーカーの人事担当者は「本社の役員が日本の新聞報道を見て『どうなっているんだ。ウチは大丈夫か』とさっそく打ち返しがあった。慌てて資料を作って説明に行った」と話す。

「終身雇用」は日本の概念

今回の労働契約法では、確かに、勤続10年または期限付きの雇用契約を2回連続して更新した場合などに「無固定期限の雇用契約」を労働者と締結する義務があるといった内容の規定が盛り込まれている。ここに長期雇用を促進しようという中国政府の政策的な意図があることは確かだ。

しかし「無固定期限」の労働契約と「終身雇用」とは全く異なる概念である。おそらく新聞の記者は、日本国内でも「期限の定めのない雇用契約」が俗に「終身雇用」と呼ばれていることから、中国の「無固定期限」の労働契約も「終身雇用」と表現したのだろうが、この表現は正確でないばかりか、新たな誤解と混乱を生みかねない不穏当な表現と言うしかない。

 日本で言う「終身雇用」とは、ひとつの企業に定年まで勤務するという、日本の大手企業を中心に比較的広く定着していた一種の習慣を指す言葉であって、法律用語でもなければ、人事的な専門用語でもない。「終身雇用」とはあくまで「結果的にそうなった人が多かった」という社会現象を後付けで分析したワードであって、人事施策でもないし、国の政策でもない。その定義もあいまいで、だいたい定年があるのだから、「終身」ですらない。社会習慣を指す俗語に過ぎない。
 
 「わかりやすさ」や見出しとしてのアイキャッチを狙うメディアが「終身雇用」という馴染み深い言葉を使いたがる意図は、私も元記者なのでよくわかるが、「労使間で終身雇用契約を結ぶよう求め」などという表現は、誤報と言ってもいいレベルの表現だと思う。

だいたい「終身雇用契約」とは何か。「死ぬまでこの企業で雇用します(働きます)」という契約を指すのだろうか。そんなことができるはずがない。日本の労働基準法でも、雇用契約に「期限が定められていない」だけであって、企業に終身雇用の義務などない。日本では裁判所が判例で企業の解雇権をとても厳しく解釈しているので、大手企業は解雇が非常に難しい状況になっているわけで、契約とは別の話だ。

広まる「誤報」の影響
      
 こうした「誤報」の影響はすでに表れている。あるブログでは、「日本経済新聞によれば」とした後で、以下のように記述している。

>中国が労働者保護へ向けて明確な姿勢を打ち出した形だ。
>しかも事実上、終身雇用を義務付けており、罰則もある。
>中国の工場で雇う工員を簡単に解雇できない。
>アルバイト的な雇用も難しくなる。
>中国生産における人件費の増大は避けられない。

このブログの筆者は中国や労働関係の専門家ではないようだが、ここに「終身雇用を義務づけており」とあるように、すでに「終身雇用」という言葉が一人歩きを始め、間違った概念が広まりつつあることが見て取れる。

法施行後も雇用契約の解除はできる

 前に述べたように、今回の法改正に「雇用期間を伸ばそう」という中国政府の意図があることは間違いないない。しかし、それは「終身雇用を求める」こととは違う。

同法四十条(二)では「労働者がその仕事をするに足る能力を持たず、教育研修や配置替えなどを経ても、なおかつ仕事の任に耐えない場合」(訳は筆者)は、30日前に通告するか、1カ月ぶんの給与を余分に支払うことで無固定期限の労働契約であっても解除できる規定になっている。

もちろん裁判所の判断や、中国政府の「行政指導」みたいな形で、日本のように事実上、解雇権を縛り、解雇できなくするという方法は有り得るだろう。しかし、この法律が制定された背景が日本とは全く違う。

日本では、企業に長く勤めたい、クビにしないでほしいと望んでいるのは被雇用者の側であって、会社はできるだけフリーハンドでいたいと思っている。しかし中国では逆に、少なくとも、まともな経営を志向している企業に関して言えば、従業員の勤続期間を伸ばしたいのは企業の側であって、政府も技能蓄積の観点から、雇用の長期化を望んでいる。どんどん辞めていくのは労働者のほうなのである。

もちろん、これまでの1年単位が普通だった労働契約から、無固定期限の労働契約に変わることになれば、従来のように、辞めてほしい社員を契約期間終了まで待って、契約終了という形で社外に出すという「自然な解雇」はできなくなる。

そのため、先に挙げた同法四十条(二)の適用ができるようにするために、企業は一定の努力が必要になる。能力を発揮できない社員に対して、一定期間の教育研修を施したり、配置換えをしたりするほか、「どのように能力が発揮できないのか」「どのような教育研修を行ったのか」などの具体的なエビデンス(証拠)を残しておくことが必要になる。

またその前提として、「なぜその社員が仕事をこなすに足るだけの能力がないと判断したのか」、その根拠になる仕事の与え方、評価基準、評価方法などを事前に明確なものにし、従業員の納得が得られる形にしておくことが必要である。こうしたことをしっかり確立しておけば、無固定期限の労働契約になっても契約を解除することは可能である。

こうした面で企業の負担が必要になることは間違いないが、こうしたことは、法律に言われなくても当然やっておくべきことであり、効果的なマネジメントを行って、企業が業績をあげていくうえでは欠かせないことである。

まともな企業に対する影響は軽微

つまり、これまでまともな人事制度を持ち、しっかりと運用してきた企業であれば、今回の労働契約法は追い風にこそなる可能性はあるが、大きな問題はないと考えていいだろう。逆に言えば、今回の法律の施行が大きな負担感になるようであれば、それはこれまでの人事、評価制度が不十分だったことの表れにほかならない。

この法律で最も大きな影響を受けるのは、これまでまともな人事制度も評価制度もなく、ただ人を安く使い捨てることしか念頭になかったような企業である。日系企業にはそういうところはほとんどないが、質の低い民営企業や、香港、台湾系の企業などの一部では、この法律の制定に対して大きな不満が巻き起こっているという。

全体的に見て、今回の労働契約法の成立は、日系企業にとっては恐れる必要はなく、長期的にはメリットのほうが大きい。新しい法律の細部に合わせた微調整は必要だが、拙速な行動は不要であり、「長期雇用」を促進しようという法律の趣旨をいかに経営に生かして競争に勝っていくかを考えるべきである。

カテゴリー[ 人事制度 ], コメント[5], トラックバック[0]
登録日:2007年 07月 06日 23:29:28

コメント

田中さん、大変御無沙汰をしております。富所さんとご一緒させていただきました藤代です。アジアクラブを退団後、起業し現在に至ります。よければ常春藤で検索されてみてください。
会社のホームページからメールが出来ますので、お忙しい事をお察しつつ、ご連絡いただけましたら幸いです。
田中さんを通して中国のことをもっと理解していけたらと思います。

藤代 @ 2007年 07月 12日 12:34:37

いつも拝見しております。
実際には社内でキチンとした人事制度及び評価制度を備えている会社様は少ないのではないか?と思われます。
いずれにしましても、大きく変わる経営環境ですね。

上海の小田です。 @ 2007年 07月 15日 23:24:22

田中さんへ

中国での経営者として一言、言わせていただきます。

これは「労働者からみた定年までの労働保障」なのです。

「終身=死ぬまで」と表現されていますが、中国には定年制度があります。

労使闘争というのは、常に安定雇用、賃金を望む労働者と経済状況に応じた流動的人事を描く経営者との闘争です。

いまの中国の強みは、経営者にとっての流動的で安価な労働力です。
我々、経営者は年間の生産計画に基づいて、人材採用、人材解雇を行ってきました。
単純労働に能力の有無の判断、職場転換などありえないのです。
しかし彼らは、今後、この法律をたてに安定雇用を要求するでしょうし、経営側はそれを見越した採用を行わなければならない。
経営者(最長は終身雇用を念頭に採用しなければ)
労働者(普通に働けば、終身雇用)
※ここで言う終身雇用とは定年までです。

そうです。法律のどこにも終身雇用とはうたっていませんが、実際はこうなのです。

松丸 @ 2007年 07月 16日 12:55:24

私も田中さんの記事に疑問というか、現実的でない部分を見ます。「まともな企業に対する影響は軽微」・・・まとも?・・・・。
田中さんが安易に使われた言葉なのでしょうが、まともとはどこの誰が判断した「まとも」なのでしょか?
経営(商売)とはきれいごとでは勝てません。こと、この中国では、「まとも」なんて、だれもわかりません。
田中さんが言われているのは「日本流まともな人事」のことなのでしょうか?法律は08年1月1日施行です。それまでの過去、日本流のまともを行っていなかった企業は、日本から見ると非まともなのでしょが、中国の法律を犯しているわけでもなく、中国流のまともな企業なのです。
まとも=まじめなこと、おりめただしい、真正面
新しい法律が出来、それに対応できるように人事制度を変える企業は、法律もないのにコストUPを省みず日本流経営を行っている企業よりまともでないのでしょうか?
中国での日本企業の弱さの原因のような気もしますが。

この「まとも」の基準が「田中さん基準のまとも」であったなら、それは記事を公開するにも値しない内容だと思います。

他林 @ 2007年 07月 16日 13:17:48

田中様の記事の内容は実際にそのとおりであれば越したことはないと感じますが、皆さんのコメントをみているとどうも皆さんのほうが現実的と見て取れます。
他林様のご意見のように「まとも」にも解釈はあるでしょうが、経営者が中国に見出すメリットはやはり人件費の安さやもしかして「まともでない」ことなのかもしれません。
人道的立場や又同じアジアの民として中国とともに繁栄していくことを経営理念とする会社が多く存在すれば美しいことだと思いますが、少なくとも弊社では田中様の解釈は通りそうもありません。(私自身は経営ではありません)

さすらい @ 2007年 08月 15日 13:37:22

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プロフィール
田中 信彦
(男)
http://chinahr.way-nifty.com/
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒。
毎日新聞社記者を経て、日本と上海の両方に活動拠点を持ち、企業の中国事業に対するコンサルティングに従事するほか、雑誌等への執筆、講演など多数。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科で「日中人事・労務比較論」を講義している。
■主な著書
「中国で成功する人事 失敗する人事」(日本経済新聞社)・「人事・採用の基礎知識--中国編」(メディアファクトリー)・「ぼくの上海行商紀行」(文藝春秋)・「日本人の知らない中国人の私的事情」(講談社)
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