中国でも「代表なくして課税なし」の時代に

北京五輪 最大の敵は大気汚染、開催延期の可能性も

【8月10日 AFP】大気汚染により一部延期の可能性が浮上している北京五輪だが、北京五輪組織委員会(Beijing Organizing Committee for the 2008 Olympic GamesBOCOG)は9日、きれいな空気の中で選手たちに競技してもらう自信があるとアピールした。
≫続きを読む…
(c)AFP

AFPBB News


「代表なくして課税なし」。アメリカ独立戦争のきっかけとなったこの有名な文言が中国でも現実的な意味を持ち始めた。納税者という概念が中国社会を変えるキーワードになるような気がする。

.
中国では個人が所有する企業や自営業者に対する課税を強化しつつあるが、出すほうにしてみれば、いくら納税で貢献しても自分たちの代表を議会に送るという仕組みがない。「カネは出せ、口は出すな」というお上の姿勢は通らなくなりつつあり、税金は取りたいが、それには政治制度の改革が必要という政権のジレンマは強まる一方だ。

上海で友人の企業オーナーや自営業者たちと話していると、税金に対する関心が極めて高い。それは日本も同様だが、関心の在りどころが少し違う。自分の税負担をいかに少なくするかという意識は共通だが、その背景に中国では大きな問題が2つある。

1つは役人の腐敗。どうせ真面目に税金を払っても、まともに使われるわけがないという意識だ。もう1つはもっと根源的な問題で、「自分たちはなぜ税金を払わねばならないのか」という問いかけである。

 腐敗の問題はとりあえずここでは論じない。それはおいても後者の「税金を払う理由」という問題意識は現在の中国社会にとってかなり深刻かつ本質的なテーマである。

国民にとって税金とは何か

「代表なくして課税なし」は英国の植民地だったアメリカが18世紀後半、英国議会に代表を送る権利がないのに税金のみ徴収されることに反発した主張だ。後のアメリカ独立戦争の理論的背景となった。

 その考え方は明快だ。「政府にカネを出すのは了解する。その代わり口も出させろ」ということである。近代的な民主主義社会は、要はこの市民階層の「負担と権利」のバランスによって形成されてきたものだろう。

もともとは権力者が力ずくで民草から収奪していた富を、歴史上のある時期以降、税金という形で少なくとも建前上は国民の自発的な意思によって負担してもらわざるを得なくなった。その背景には経済の高度化によって、市民階級が権力に対して発言力を持つようになったという力関係の変化がある。

中国でも力を持ち始めた「市民」

中国でも同じことが起きようとしているかに見える。社会主義計画経済の時代は、国民が生み出した富をまず国家が召し上げ、それを国民に分配するという発想だったから、現在でも中国は「税金」という仕組み自体がまだ初歩的段階にある。

また官公庁や企業に勤めている人間は、中国でもどうせ税金が引かれた後の手取り額が手元に来るだけなので、タックスペイヤー(納税者)という意識は高くない。

  ところが企業オーナーや自営業者の個人は違う。豊かになったのだから出すべきものを出すのはやぶさかでないが、相応の権利や保護を要求したい。そういう発想が出てきている。

  中国政府関係機関の最近の調査によると、中国の私営企業は2006年度で約498万社で、2001年からの6年間で2.5倍にも増えている。既に中国全国民の280人に1人が経営者という勘定になる。独立志向の強い風土を考えると、この数は今後ますます増えるのは間違いない。

政府の側としても国有企業の成長余力はなく、外資系企業はすでにほぼ税を捕捉しているし、一般庶民の経済力がまだ弱い今日、最も担税能力のある富裕層に負担を求めざるを得ない。かつての鎖国状態の中国ならいざ知らず、これだけ社会が開放された今日、「決まりだから黙って払え」と言っても富裕層がスンナリ応じるわけがないことは覚悟している。

納税意識が中国社会を変える!?

そのための対応策として現時点では、政権党である中国共産党の組織内にこうしたオーナー経営者層を取り込んでしまおうという方向で解決を図っている。しかしこの手法には限界があり、いずれは何らかの選挙など納税者の意見を汲み取る方法論を考慮せざるを得なくなるだろう。

建前上は労働者と農民しかいなかった国に改革開放政策によって豊かな市民階級が育ち、その経済力に頼らざるを得なくなった権力者が譲歩して、選挙などによる代表の送り込みを認める。これはまさに世界史の授業で習った近代民主主義社会の発展プロセスそのものであって、中国では現在、そのごく初期的な資本蓄積が始まったところと言ってもいい。

 農村と都市、沿海部と内陸部など国内の格差是正が大きな政治的テーマとして浮上しているが、つまるところその原資とて富裕層に相当部分を負担してもらう以外にない。適切な策を打たなければ、せっかく蓄積された資本もあっと言う間に国外に逃げてしまう。

  「プロレタリア独裁」が本領の政権には慣れない道ではあろうが、もはやそれしか選択肢はない。「独裁」に代わる統治の手法をいかに確立するか。これはなかなか難しい問題だが、納税者という意識を持ち始めた国民はすでに過去の労働者や農民ではない。

カネを出す者は口も出す。この原則はいつの時代も変わらない。

カテゴリー[ 中国社会 ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 08月 10日 05:00:25

コメントを追加

Trackback

この記事に対するトラックバックURL:

カレンダー
< 2007年 08月 >



1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
田中 信彦
(男)
http://chinahr.way-nifty.com/
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒。
毎日新聞社記者を経て、日本と上海の両方に活動拠点を持ち、企業の中国事業に対するコンサルティングに従事するほか、雑誌等への執筆、講演など多数。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科で「日中人事・労務比較論」を講義している。
■主な著書
「中国で成功する人事 失敗する人事」(日本経済新聞社)・「人事・採用の基礎知識--中国編」(メディアファクトリー)・「ぼくの上海行商紀行」(文藝春秋)・「日本人の知らない中国人の私的事情」(講談社)
最近のトラックバック
検索