マーク・ジェイコブスのすごさ
南青山のブティックで開かれたマーク・ジェイコブスの08年春夏の新作コレクションの展示会に出かけた。実物を見るのは初めてなので、気がついたのは、今回の服作りの基本的な考え方はルイ・ヴィトンと同じということだった。同じデザイナーなのだから考えてみれば当たり前なのかもしれないが、今回の共通点は色・形よりももっと深いところにある。
■リチャード・プリンスとのコラボ
マークは今回、ルイ・ヴィトンで米国のアーティスト、リチャード・プリンスとのコラボレーションを明らかにしている。この作家がすごいのは、作品としての出来不出来はともかく、手法が徹底的にラディカルでスキャンダラスだからだ。彼は写真の映像としてのオリジナリティーを否定して、すでにある写真を撮った写真を使って聖域なきスキャンダラスな題材に切り込んだ。コラージュをしたり、過激な言葉をつらねたりしながら。
複製技術や情報の伝達手段の発達があまりに行き渡ってしまった現代では、もはやどんな写真を撮っても「どこかで同じような場面や写真を見た気がする」というデジャ・ヴュー感をぬぐえない。そんな状況で、あえてオリジナリティーを主張しても大して意味がない。それよりも、オリジナルなクリエーションというもの自体が、それによってアートは進歩するという近現代の進歩思想を担ってきたのではないか?
■いわゆるポップな手法
リチャード・プリンスの動機は多分そんな感じだと思う。だから今ではもう嘘っぽいオリジナリティーを主張して進歩に加担するよりも、どこにでもある物をミックスしてみればいい。自分らしさがちょっとでも出て、そのことでミックスしたものが既存イメージを少し変えることができれば、それがいいのだ。
これは別に目新しいことではなくて、いわゆるポップな手法というのは本当はみんなそこに行き着くはずだった。ファッションの世界でもかなり先駆けてやっていたはずなのに、しかし現実では決してそうなってはいなかった。本当の新しさを生み出すのはオリジナルなクリエーションだと、デザイナーたちはポップをやりながら心の底ではそう思っていて、なんとなくニヒルに商業主義に迎合してきてしまったのだろう。
■どうせなら美しい方がいい
マークはひょっとすると、そんな自分の不甲斐なさにいらだっていたのかもしれない。深いスリットやフロントとは脈略のつかないベアバック、ナボコフの「ロリータ」のような二面的な少女趣味などは、マークがプリンスを選んだことの意味を記号的に暗示しているように思えた。
ただしマークがすごいのは、自身のブランドでもルイ・ヴィトンでも申し分ないほどかわいくてきれいな服やバッグにしてしまうこと。アートなら最初はいくら汚くても、またはそのまま汚くてもいいかもしれないし、優れた作品なら後世の人が美しいと認めるかもしれないのだが、ファッションはそうではない。始めから美しいことが望まれるし、どうせなら美しい方がいいに決まっているからだ。(c)UEMA
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登録日:2007年 12月 18日 18:14:54
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