●司馬遼太郎と天童よしみ

司馬遼太郎と天童よしみの共通項は?全国的スターになっても大阪拠点で活動し続けた点だ。司馬遼太郎氏は東大阪(布施)、天童氏は八尾と場所も近い。ちなみに塩爺も布施のひとだ。以下は日経。
大阪拠点に飽くなき挑戦──天童よしみデビュー35年
演歌歌手、天童よしみがデビュー35周年を迎え、積極的な活動を展開している。記念の新曲、ニューアルバムを相次ぎ発表したほか、6月には新歌舞伎座(大阪市)で集大成の座長公演と特別コンサートを開く。屈託のない笑顔と熱く力強い歌声で、子供からお年寄りまで幅広いファンの心をつかむ天童。飽くなきチャレンジ精神の源泉は――。大阪育ちの天童よしみは今も実家の大阪府八尾市を生活の拠点にする。音楽産業が東京に1極集中するなかで、NHK「紅白歌合戦」のトリを3回も務めた歌謡界の大御所が、いまだに大阪を本拠地にしているのは異例だ。
 「大阪に帰ってくるとホッとする。温かい家族がいて、友人や近所の人たちもみんな人なつっこい。10代後半のころ、数年間母と一緒に東京に住んだが、窮屈な感じがして耐えられなかった」今年はデビュー35周年という節目の年だけに様々な企画を展開している。まず1月にシングル「なんで泣く」をリリース。4月にはポップスの名曲を集めたアルバム「よしみコレクション」を発売した。6月(大阪)と9月(東京)には、それぞれ4週間ほとんど休みなしで座長公演「くれない三度笠」とコンサートを開く。フル稼働の日々が続くが、「大阪でエネルギーを十分蓄えて頑張りたい。先日も父から、『大阪らしさを失うな。おまえらしく、しびれる演歌を歌い続けなさい』と言われて、勇気と元気をいっぱいもらった。今後も自分らしさを追求したい」と話す。実際、天童の人生を変えたのも大阪だった。1970年、アニメ「いなかっぺ大将」の挿入歌「大ちゃん数え唄」が話題を呼び、72年に「風が吹く」でデビュー。しかし、その後売れない時代が長く続いた。復活を果たしたのは85年の「道頓堀(とんぼり)人情」。「負けたらあかん」と大阪弁で明るく歌い上げた。「東京のレコード会社から契約を打ち切られ、歌をやめることも考えた。そんな人生で一番つらい時に出合ったのが『道頓堀人情』だった。東京に負けたくないという大阪のど根性で歌った」この時の反骨精神が今も天童を支えているのだろう。

カテゴリー[ アート ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 05月 18日 06:31:46

Trackback

この記事に対するトラックバックURL:

プロフィール
上山信一
(男)
http://www.pm-forum.org/ueyama/
慶應義塾大学総合政策学部教授、改革コンサルタント。専門は大企業・行政・NPO等の経営刷新。近年は地域再生も手がける。大学では「経営戦略」「公共政策」等を教える。旧運輸省、マッキンゼー共同経営者等を経て現職。大阪市生まれ。50歳。中央省庁・自治体の各種委員、企業顧問等を兼務。京大法、米プリンストン大修士。趣味は登山、鉄道、料理。メール:ueyama@pm-forum.org
検索