●市長交代

以下は読売。おそらく全国を見渡してこの4年間の関市長ほどの激務をこなした首長はいないだろう。しかし多くの市民が関氏が果たした役割の大きさに気づくまであと数年、いや10年くらいはかかるのではないか。祖父の場合も同じだった。先を見越して作った巨大な御堂筋の建設に多くの市民や議員は反対した。だがその英断の上に大阪の町のその後の発展がある。改革者の成果は歴史だけが正しく評価する。関さん、本当にお疲れ様でした。
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激動の4年関・大阪市長退任:「地方分権受け皿に」
職員らに見送られ退庁する関市長(左)=大阪市役所で 地方分権の「受け皿」となるような市を築いてほしい――。18日退任した大阪市の関淳一市長(72)は、職員厚遇問題や同和行政に関する不祥事、市政改革と〈激動の4年間〉を走り抜けた。この日も多忙な日程をこなし、市長として最後の言葉を残した。
【記者会見】
関市長は午前中、民間企業にあいさつ回りをした後、午後2時から市役所で退任記者会見に臨んだ。4年間で最も印象に残ったことを問われると、「2年前の出直し市長選。賛否両論だったが今振り返ってみると、やってよかった。きちんと区切りをつけ、次の市政改革を進められた。一連の同和関連問題で大量の職員を処分したのも、非常に厳しい試練だった」などと振り返った。今後の市政については、「関西全体の経済を発展させるには、市民や、多くの企業経営者らと同じ目線で物事を見ることが必要だと思う」と話した。
【市議会】
市長選で推薦を受けた自民と公明両会派の控室のほか、対立候補を推薦した民主、共産の両会派にもあいさつに回った。「お世話になりました。大阪市をよろしくお願いします」と頭を下げ、一人ずつ握手を交わすと涙ぐむ議員もいた。
【所属長会】
午後5時からは、局長や区長ら55人を集めて会議を開き、「市政改革は私が行ったのではなく、みなさんを先頭にした職員らのおかげ。短期間で職員や経費の削減を行い、非常に優秀だ。自信を持って、これからも市政を進めていって」と語りかけた。最後に「明日からは、一市民になる。どこかでお会いすると思うが、そのときは友人としてよろしくお願いしたい」と頭を下げると、拍手が起きた。
 <“改革登山”2合目過ぎ>
「大化けするかもしれない」。4年前の夏、故磯村隆文市長(当時)の後継に浮上した助役の関氏を、市幹部が評した言葉が忘れられない。助役から市長就任の慣例が続いていたが、3人の助役の中でも目立たない存在。半信半疑だった。関氏は初当選後もしばらく、第3セクター3社の特定調停合意など「既定方針」通りの市政運営を続けたが、職員厚遇問題が次々発覚すると、思い切った対策を取った。「根本的な改善には、選挙戦で支援を受けた職員組合との関係見直しが必要」と、2005年秋に出直し市長選を実施。再選後には、市政改革マニフェストを策定して職員削減などを進め、長年の同和行政についても総チェックした。“予言”は当たった。関氏は自身が変わりながら、市を変えようとした。ただ、今回の市長選では、推薦政党からの注文で市営地下鉄民営化についての明言を避けるなど、「過去との決別」の先に何を目指すかが、市民にはわかりにくいままだった。
市政改革推進会議委員長の上山信一・慶応大教授は「問題点の是正や身の丈改革は進んだが、経営形態や府市連携、区政や議会など、先を見越した改革はできなかった。登山なら2合目を越えたあたり」と話す。それでも、登るべき山があることが明るみに出た。トップが代われば登り方は異なるだろうが、課題がすぐそこに横たわっている。もう、見て見ぬふりはできない。(沢田泰子)
(2007年12月19日 読売新聞)

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登録日:2007年 12月 19日 08:59:57

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プロフィール
上山信一
(男)
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慶應義塾大学総合政策学部教授、改革コンサルタント。専門は大企業・行政・NPO等の経営刷新。近年は地域再生も手がける。大学では「経営戦略」「公共政策」等を教える。旧運輸省、マッキンゼー共同経営者等を経て現職。大阪市生まれ。50歳。中央省庁・自治体の各種委員、企業顧問等を兼務。京大法、米プリンストン大修士。趣味は登山、鉄道、料理。メール:ueyama@pm-forum.org
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