●終戦直後の国際交流
以下の記事、たいへん面白い。いつの世にも国籍を超えた若者の交流と友情が世界をひとつにする。国際政治だの外交だのという以前にやはり人間同士の国際交流が大切だ。僕は嫌いな国がない。海外を旅してとことん不愉快な思いをしたことがない。どこの国にも親切な人たち、無邪気な子供たちがいて言葉は通じなくてもささやかな交流ができる。その思い出は一生消えない。若者よ、たびをしよう。
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終戦の年のクリスマス。香川県旧詫間町(現三豊市)のアメリカ進駐軍基地で、日本舞踊を披露した女性たちがいた。紳士的に振る舞う米兵に親しみを覚え、周囲の反対を押し切って慰問。米兵らは、お礼にクリスマスソングを歌ってくれたといい、参加した豊中市の山本コトヱさん(85)は「戦勝国も敗戦国もなく心を通わせた、忘れられない思い出」と話す。昭和戦争中、山本さんは実家のある詫間町の海軍航空隊で、副官秘書として働いた。基地には学生が召集され、特攻隊員として出動。若い命が次々に失われ、やりきれなさが募った。終戦後、進駐軍が基地に来た。「何をされるかわからん」と言われ、親せき宅に身を寄せたが予想と全く違っていた。畑仕事をするお年寄りに「えらいですね」と声をかけ、子どもたちにはアメやガムをくれた。
実家に戻った山本さんは「何かもてなしができないか」と、日本舞踊の仲間と基地を慰問することに。1945年12月25日、6人で基地を訪れた。舞台の部屋は米兵であふれかえり、山本さんらが着物姿で登場すると、「ビューティフル」と大きな歓声が上がった。進駐軍の責任者から「ぜひお礼を」と言われ、その日の夜、米兵5人を実家に招いた。5人は座敷に正座して「ジングルベル」を合唱、山本さんらも日本語で歌った。兄と弟が戦死した山本さんは「『戦争さえなければ』との思いは消えないが、あの日の思い出は今も輝いている。いつか、再会したい」と願う。(12月25日 読売新聞)
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登録日:2007年 12月 25日 06:38:21
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- 上山信一
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- 慶應義塾大学総合政策学部教授、改革コンサルタント。専門は大企業・行政・NPO等の経営刷新。近年は地域再生も手がける。大学では「経営戦略」「公共政策」等を教える。旧運輸省、マッキンゼー共同経営者等を経て現職。大阪市生まれ。50歳。中央省庁・自治体の各種委員、企業顧問等を兼務。京大法、米プリンストン大修士。趣味は登山、鉄道、料理。メール:ueyama@pm-forum.org
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