●大阪市の公設市場ーー90年前の気概

以下はサンケイ。
今から90年も前だが大阪市役所が全国に先駆けて公設市場設置を作って大成功した。そのDNAは今も残っている。大阪から国に先駆け先端的な政策を出していこう。

公設市場の建議が大阪市議会に提案されたのは、18年2月のことだ。第1次世界大戦(14~18年)に伴う物資不足や価格上昇の解決策として、東京や大阪市は欧米の公設市場を研究していた。その動向を知ったか、市議4人が東京に先んじて動いたのだ。市も即応して、2か月後の4月15日、谷町、境川、天王寺、福島にバラックを建て、「日用品供給場」を開く。市が整備した市場を商人に提供し、安定供給を図る仕組み。内務省(当時)の記録によると、初の公設市場だった。 「天下の台所」とあって、大阪は江戸時代から天満の青物市や堂島の米市が栄えたが、主役は問屋や仲買人。大正に入っても多くの家庭は、家々を回る「御用聞き」から掛け売りで物品を買っていて、価格は言い値、量もごまかされるケースがよくあったらしい。「あしき商慣行も物価高騰の要因」。そう考えた市は「正札(定価)表示」と「現金販売」を公設市場で義務づけ、職員に監視させた。売値の上限を設定し、計量にも神経をとがらせた。結果として野菜やみそ、昆布が一気に値下がりし、市民が殺到した。
「行政が商慣行を変え、主婦を買い物に引っ張り出した」と、関西学院大の石原武政教授(65)(商業論)は説く。「流通革命」を市が先導したのだった。
 18年の夏、富山県の漁村を発端にした「米騒動」が全国に波及したが、大阪市の公設市場は白米を他よりも3割安く販売し、評価を決定づけた。政府が普及を指導し、30年には、40道府県の計328か所に広がった、という。大阪が全国のモデルとなり得たのはなぜか。桃山学院大の芝村篤樹教授(66)(地域経済論)は、東洋最大の商工都市として発展していく当時の「大大阪」を率いた役所の気風を読み取る。
 「国に頼らずとも、市民を守る政策を進める自負とサービス精神があった」。確かに、市の『公設市場サーヴィス讀本』(37年)をみても、昭和初期にして「お客様第一主義」を掲げ、商人の服装や言葉遣いまで指導していたのだ。

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登録日:2008年 08月 27日 22:59:11

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プロフィール
上山信一
(男)
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慶應義塾大学総合政策学部教授、改革コンサルタント。専門は大企業・行政・NPO等の経営刷新。近年は地域再生も手がける。大学では「経営戦略」「公共政策」等を教える。旧運輸省、マッキンゼー共同経営者等を経て現職。大阪市生まれ。50歳。中央省庁・自治体の各種委員、企業顧問等を兼務。京大法、米プリンストン大修士。趣味は登山、鉄道、料理。メール:ueyama@pm-forum.org
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