カテゴリー [行政改革]
●オーケストラの公共性⑤
(続き)
すでに先進的な芸術団体は、演奏活動のみならず新たなフィールドで活動をはじめている。それで経営的にも成功している事例を紹介する。
・兵庫芸術文化センター管弦楽団
兵庫県は芸術文化の発信拠点として、また阪神淡路大震災からの復興のシンボルとして2005年10月に兵庫県立芸術文化センターをオープンさせた。兵庫芸術文化センター管弦楽団はこのホールの専属オーケストラで、メンバーは、主として35歳以下の若手演奏家で構成される。日本以外からも、アジア、ヨーロッパやアメリカから広く募集を行っている。最も特徴的なのは、3年間しか在籍をすることができず、入団から3年後には「卒業」しなければならない点である。つまりこのオーケストラはアカデミーとしての要素も持つ。また設立当初からアウトリーチ活動(文化芸術普及活動)に対して非常に積極的であり、年間20回以上の出前演奏会を実施している。また「スーパーキッズ・オーケストラ」と題して小学1年生から高校3年生までの子供たちを集めて、芸術監督の佐渡裕氏とオーケストラメンバーの指導のもと演奏会を開催する、といった事業も実施している。メンバーの平均年齢は27歳(2006年度)、50人弱のメンバーの約半数が外国人であるという珍しさも手伝って2006年の実績報告書によると29事業46公演で56,459人の入場者数を記録しており、地元西宮をはじめとして広く知られつつある。
・神奈川フィル
「アートを活用した新しい教育活動の構築事業」は2006年4月から神奈川県、神奈川県教育委員会、NPO法人STスポット横浜が三者で主催している事業である。県立高校等でアーティストがのべ60回程度の授業を行う。「アーティストによる事業実施事業」と「教育関係者等への普及事業」が主な柱だが、アートと学校教育の連携をシステム化した点が特徴的である。神奈川フィルはこの事業において打楽器奏者を高校の先生として派遣している。オーケストラのメンバーが団を通じて招かれ、しかも演奏以外の活動を行うことは珍しい。さらにこのような派遣を単発ではなく、年間を通じて長期で実施しているケースは新しいモデルとしてみることができる。
・オーケストラの新しいモデル
これら2つのモデルに共通するのは、いずれも目的が演奏だけにとどまらないことである。前者は「芸術家育成機能」、後者は「学校教育的機能」とも言うべき、従来のオーケストラには無いものを備えている。さらにこのモデルはオーケストラとして新しい機能を備えることによって組織的経営的にもメリットを獲得することに成功している。見方を変えれば、新しい方法で行政からの資金を引き出している事例ともいえる。
神奈川県の事例のように、教育の現場では教育課程を編成し、指導計画を策定する際に地域の芸術家や文化団体と連携したいというニーズは高い。教育事業への進出などの取り組みは、すでに多くのオーケストラにおいて行われているところである。ただ、そのほとんどオーケストラにとってはヴォランティア的に行われているケースが多く、経営的にとてもプラスになっているとはいえない。しかし学校訪問などは地域社会への貢献になると同時に、未来のオーケストラ人口を増やし、聴衆の裾野を広げる。
・行政の意識改革
行政側もこのようなオーケストラ側の思惑を上手に汲み取り、従来の発想よりもオーケストラの意義を広くとらえるべきだ。オーケストラには多くの公的資金すなわち税金が投入されている。行政もオーケストラが社会に貢献できる分野はもっと幅広いことに気づく必要がある。
・まとめ
オーケストラは誕生から300年以上が経つ現在でも脈々と受け継がれており、明治期に日本が受け入れたように、世界各国へといまなお広がりを見せ続いている。誕生はヨーロッパで、しかも一部の貴族の娯楽のためのものであったにも関わらず、現代日本においては芸術文化だけでなく教育や福祉、都市再生などより身近な、領域に広がりつつある。
しかし、芸術文化に関わる人々は概してその素晴らしさだけを訴える。支援する側もされる側も幅の広い意義や価値についての議論をしてこなかった。
しかし今日では価値観の多様化が進む。様々な局面で説明責任が求められる。特に行政からの支援については、これまで成長の影に隠れていたものが明るみに出た結果、説明を果たすことができずに続かなくなってしまったものも多い。オーケストラと行政の双方は既得権益の維持、あるいは前例踏襲を脱却すべきだ。まずはオーケストラに求められる役割・公共性を客観的に認識する。そのうえで、将来の可能性について考え、自らの役割やミッションを再提起する必要があるのではないだろうか。(おわり)
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登録日:2008年 05月 05日 08:28:28
●オーケストラの公共性④
・オーケストラの持つポテンシャル
大都市である条件としてプロ野球チーム、サッカーチーム、そしてオーケストラをもつことが挙げられることがある。いずれも都市や地域社会のシンボルになり得る。世界のトップオーケストラは実際に都市の重要な観光資源となっている。例えばウィーンフィルの本拠地であるウィーン国立歌劇場やベルリンフィルの本拠地であるフィルハーモニーホールは国を代表する一大観光地である。演奏のためにある地域を訪れれば地域全体に経済効果をもたらすこともある。オーケストラは芸術文化振興という機能のほかに、観光集客、都市再生・教育・福祉・情報発信・コミュニティ活性化など多くの分野で期待できる。
・具体イメージ
イギリスのバーミンガム市交響楽団は中心市街地再開発の際に建設された国際コンベンションセンター内に良質のコンサートホールを確保した。団の評価が向上し、文化とは無縁の産業都市だったバーミンガムがヨーロッパの一大文化都市へと発展した。
大阪センチュリー交響楽団の「タッチ・ジ・オーケストラ」のように子供たちが楽器に実際に触れたり指揮者体験をしたり、文字通りオーケストラに触れる企画も増えている。
アメリカ・カリフォルニア州のバレーオ市では市当局が繁華街でクラシック音楽を流したところ、犯罪の発生率が大幅に減ったという実験データもある。広島交響楽団では「Music for Piece」をキャッチコピーとして、「ヒロシマ」から平和を発信するべくオーケストラ活動を行っている。、新日本フィルハーモニー交響楽団は東京都墨田区にあるすみだトリフォニーホールと全国のオーケストラで初めてフランチャイズ契約を結び、地域に根付いた活動を意識して行っている。音楽、とくに何百年もの歴史を持つクラシック音楽には何かしら人間を揺さぶる「力」がある
・意識改革
オーケストラは自らの役割に対する認識を変える必要がある。オーケストラは自らが都市にもたらす芸術振興以外のさまざまな機能を再認識し、きちんと説明すべきである。自治体の財政危機に照らせば従来型の「心の豊かさ」論への固執は危険である。
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登録日:2008年 05月 05日 08:13:25
●オーケストラの公共性③
(続き)
・今後の方針
文化や芸術にスポットを当てた都市再生論や創造都市論のような政策が各地で散見される。大阪市では2007年3月に「大阪市創造都市戦略Ver.1.0」を策定し、「ソフト施策」を重視し「アーツとビジネスが融合する都市」を目指すとしている。また仙台市の「楽都仙台」や川崎市の「音楽のまち・かわさき」のように、都市ビジョンの中で音楽に注目したキャッチコピーを掲げて施策に取り組んでいる自治体もおおい。オーケストラが行政から支援を得るにあ環境は以前よりも追い風の中にある。また、「のだめカンタービレ」のブレークや「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日)」(フランス・ナント発祥のクラシック音楽祭。一流の演奏を低料金で提供し2007年は106万人の来場者数を記録)の成功などで聴衆の裾野は広がりつつある。総じて見れば、わが国のクラシック音楽業界とオーケストラは明るい経営環境にある。
・潜在するリスク
以上、データをもとにわが国主要オーケストラの運営形態や収支構造、行政からの支援を概観した。総合すると一般に言われる「公的助成が少ない」「オーケストラは恵まれていない」といった意見は必ずしも当てはまらず、団員の給与水準も極端に低いわけではないことがわかった。しかし、現代日本のオーケストラが持つ2つのリスクに着目したい。ひとつはオ補助金や寄付の減少、各方面からの活動の場の提供など金銭面以外のものも含んだ支援の減少のリスクである。前者の原因は行政の財政難である。自治体の予算規模は現在縮小傾向にある。今後数年で急激に財政状況が好転することは考えにくい。現在は、オーケストラに対する支援が横ばい傾向にあるが今後もこのままのペースで推移することはきわめて不確実である。ましてや文化予算の規模を増やすことは、財政状況上非常に難しい。すなわち、文化行政の意義とは関係なく削減の対象となる恐れがある。
実際に千葉県にあるニューフィルハーモニーオーケストラ千葉では補助金の突然のカットによって2006年に楽団員のボーナス全額カット、2007年には給与が35%削減されるという事態が発生している。補助金が減少したまま運営を続けようと思えば、しわ寄せは人件費に来る。
二つ目のリスクの最大要因は地方企業の疲弊である。特に地方のオーケストラにとっては、企業からの支援は財政面を超えた意味をもつ。例えば、企業が運営する演奏会用のホールの存在は大きな支えとなる。しかし近時、地方企業の倒産件数は増加傾向にあり決して楽観視できない。例えば大阪に本社を置く石原産業株式会社は「イシハラホール」を運営していた。しかし明るみに出た不適切な不法投棄の後処理に多額の費用がかかるという理由で2008年1月にホールの休館を発表した。CSR(企業の社会的責任)やメセナへの関心が高まり、文化に対する支援も注目されてはいる。だが、本業で安定した経営ができない限り、支援は期待しにくい。地方企業の疲弊はオーケストラ経営における第2のリスク要因としてとらえられる。(つづく)
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登録日:2008年 05月 05日 07:50:57
●オーケストラの公共性②
(続き) NHK交響楽団を除く全国の主要オーケストラは、何らかの形で公的支援を受ける。次はオーケストラの経営を支えている行政からの支援についてみていく。
・文化行政の変遷
行政からの文化支援は、大きく分けて国からと自治体からの2つある。日本の文化行政は1968年に国に文化庁が設置されて以降、70年代初頭から府県レベルでの文化事業や制度の整備が開始された。さらに1980年に入ると各地方自治体は文化施設の建設に積極的に取り組み、文化公共ホ-ルと呼ばれる建物が相次いで建設された。しかし建設ラッシュは、バブル崩壊後は「箱物批判」につながり、やがてハード中心からソフト重視のホール運営、文化振興ビジョンの策定、文化振興条例の必要性など、文化領域の様々な議論を生み出した。
・国レベル
2001年末に文化芸術振興基本法が制定され、07年2月には「文化芸術の振興に関する基本的な方針」の第2弾が閣議決定された。オーケストラのような舞台芸術活動に対しては文化庁などが芸術創造活動推進施策として支援する。
・自治体の支援
一方、文化にはコミュニティを形成する力や、郷土への愛着や誇りを培う力もある。そこで「地域文化」の名の下に、自治体も役割を担っている。国の基本方針でも、「国民の生活に近い地方公共団体が高い専門性と知識を備え、主たる役割を担うことが期待される」とうたわれる。しかし地方公共団体の芸術文化関係経費の支出はバブル経済崩壊後の93年をピークに減少が続いている。ただし減少の主要因は文化施設建設費の減少であり、、オーケストラ支援のようなソフト部分は減少していない。芸術文化事業費は横ばいで推移している。
・大フィルのケース
以下では例として国・府・市のそれぞれから補助を受けている大阪フィルハーモニー交響楽団をモデルケースとして取り上げ、その推移をみる。90年代以後今日までを見ると補助はバブル経済崩壊後の92年に突出するものの、全体の水準としては比較的安定的に推移している。特に大阪市からの補助は95年(平成7年)から変化が無く、予算規模全体で見ると高水準を保っている。大阪府は99年に補助を減少させている。しかし同時期から国の補助金が増加し、減少を補っている。国の補助が97年から増加傾向にあるのは96年のアーツプラン21(ソフトの充実を目指して新しく開始された芸術支援事業)の開始によって、支援事業費が前年より大幅に増額されたからである。大阪フィルのケースでは行政からの支援はトータルとして見れば横ばい、むしろ増加傾向にあることがわかる。
・まとめ
オーケストラの経営はもともと苦しいとよく言われる。だがデータを見る限り、特に近年苦しさが増しているとはいえない。またこれまで統合(東京フィルハーモニー交響楽団と新星日本交響楽団)や分裂(日本フィルハーモニー交響楽団と新日本フィルハーモニー交響楽団)の例はあるが経営不振による倒産・解散はない。(続く)
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登録日:2008年 05月 05日 07:39:06
●オーケストラの公共性を再考する①
橋下改革を機に、関西のオーケストラについての議論が増えた。筆者はクラシック音楽ファンでコンサートにもよくいく。大阪の4つのオケの合併論にも賛成しかねる。しかし擁護論の多くはデータを欠いた情緒論、そして現状維持論が多い。オーケストラにも経営と改革が必要だ。それもせずに単に補助金を維持するのは市民の理解が得られないだろう。そこで昨年、大学院生と行った調査結果を議論の材料として提供したい。なお、分析は原則として日本オーケストラ連盟に正会員として加盟する23団体を対象とする。
1.オーケストラ経営の現状
ぴあ総合研究所『エンタテイメント白書2007』によれば、日本の音楽コンサートの市場規模(すなわちチケット単価にチケット流通枚数を掛けたもの=入場料売り上げ)は2006年で1518億円である。このうちクラシック音楽のコンサートはおよそ2割を占める。室内楽も含まれるためすべてがオーケストラのものではないが規模としては演劇(293億円)とほぼ同じ、歌舞伎(71億円)やジャズ(31億円)を上回っていると推測できる。
(1)運営形態
オーケストラの運営形態はさまざまだが劇団やダンス集団などに比べると、組織化が進んでいる。多くは非営利組織で運営され、23団体中18団体が公益法人(財団法人もしくは社団法人)である。一方、市が100%直営で運営しているもの(京都市交響楽団)や任意団体で運営しているもの(大阪シンフォニカー交響楽団、セントラル愛知交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、以上3団体)、NPO法人化したもの(関西フィルハーモニー管弦楽団)も見られる。
(2)収入・費用構造
財政規模が10億円を超えているオーケストラが7団体ある。一方、5億円に満たないものも7団体ある。平均像を語れば、収入面では事業収入は半分程度で残りの半分は行政の補助金や企業や個人の会費・寄付、さらには芸術振興基金による場合が多い。支出の大部分は、公演時のホール賃料、指揮者への謝金、移動時の交通費・運搬費などの事業費と人件費である。オーケストラは基本的に人の集まりであり、大きな資産は持たず、固定費の高い経営体である。
さて在阪4オーケストラの収入構造はどうか。以下は2005年のデータである。
(在阪4オーケストラ2005年収支構造 単位:百万円)
①大阪フィルハーモニー交響楽団 ②関西フィルハーモニー管弦楽団 ③大阪シンフォニカー交響楽団 ④大阪センチュリー交響楽団
① ② ③ ④
設立年 1947年 1982年 1980年 1989年
事業収入 ¥487 ¥315 ¥272 ¥160
補助金総額 ¥293 ¥60 ¥62 ¥465
・文化庁等 ¥115 ¥55 ¥59 ¥11
・大阪府 ¥68 ¥3 ¥2 ¥454
・大阪市 ¥110 ¥2 ¥1 ¥0
収入合計 ¥990 ¥417 ¥375 ¥757
公的助成率 30% 14% 17% 61%
事業収入率 49% 76% 73% 21%
団員平均年収 ¥517万円 ¥295万円 不明 ¥498万円
(『季刊Orchestra』2006秋号をもとに加工)
いずれのオーケストラも公的助成を受けているが、その比率には差がある。大阪フィルは行政の広い範囲から支援を受けている。センチュリー交響楽団は大阪府の支援が色濃い。この両者は給与も高い。対照的なのが関西フィルハーモニー管弦楽団と大阪シンフォニカー交響楽団である。両者はいずれも、「私的」に設立された団体で公的助成率は2割以下と低く、必然的に事業収入に依存する。
ここからオーケストラには、公的助成率の高い準公立型・行政依存型と団員給与を低く抑え、事業収入率を高めて収支バランスを図る民営・独立経営型の二つのタイプがあることがわかる。(つづく)
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登録日:2008年 05月 01日 23:54:02
●国土交通省、若手の活躍
以下は時事通信の「官庁速報」。道路特定財源の使い方やら何やらで評判の悪い国土交通省。しかし若手は改革運動をやっている。僕も旧運輸省の出身だから当然、後輩の仕事ぶりは気になる。いやどうしたって彼らのことはかわいい(だから
道路賛成とか公共事業礼賛論者ではないが)。どこの組織もそうだが組織としてはいろいろ課題を抱えていても若い世代はその中で懸命にがんばっている。メディアはそうした動きも伝えてやってほしい。
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【中央官庁だより】 ◇第1期からの提案=国土交通省(1)
省政策のアピールの仕方や業務改善などについて、若手から提案していこう
との動きが省内に出ている。発信源は省庁再編に伴う共通採用第一期生の
2001年組(1種)を中心としたグループ。「旧省の枠組みにとらわれな
い、われわれだからこそ気付くことがあるはず」(01年組の1人)として、
昨年夏から秋にかけ業務終了後に「非公式の勉強会」(同)を週1回開催。
「入省年次(平成13年)に引っ掛けて13の検討テーマを掲げた。省内の議
論のきっかけになればいい」(別の01年組)としてまとめた提案は、「到着
の遅い庁舎エレベーターの改善」から「重点施策の策定作業見直し」まで多岐
にわたる。中にはホームページの刷新など日の目を見たものも。公共事業批判
などでマイナスイメージで見られがちだが、幹部の間では「彼らも閉塞(へい
そく)感があり、打破したいのだろう」と理解を示す向きは多い。省内では公
式に、重点施策の在り方を含め政策決定システムの見直しが検討され始めてお
り、若手の動きがほどよい「刺激」になっているとも言えそう。(了)
(2007年4月2日/官庁速報)
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登録日:2008年 03月 25日 22:59:39
●行政改革の基本は市町村改革・・あまがさき宣言99
以下は私が友人たちと創設した「行政経営フォーラム」(98年創設、現在会員約400名)が99年に採択した宣言。今の状況と比べてどうだろう。
あまがさき宣言1999
1.行政の経営改革は市町村から
明治以来、我が国の行政は、基本的に、国が一元的に方針決定と予算配分を行い、地方が執行・管理するという役割分担を行ってきました。その結果、国全体としては成長を遂げ、豊かになることができました。しかし、その反面、地方・中央ともに巨額の財政赤字を抱え、また、「お役所仕事」と揶揄されるような行政サービスの質・効率性の悪さも指摘されるようになっていきました。 こうした行政の現状を改革しようという動きが、住民に対して直に行政サービスを提供する市町村の現場から芽吹きつつあります。 地方行政の活動とは、「法令遵守」「予算消化」といった言葉で表されるように、長い間、与えられた環境を「管理」するといった発想に立つものでした。 しかし、今日では「管理」よりも創造的な活動が求められる「経営」の視点が重視されはじめています。それは、住民の「バリュー・フォー・マネー(税金の払い甲斐)」や「満足度」を意識して、税金を支払った見返りを目に見える成果として提供しようとした結果、生まれてきたものです。各地の市町村を中心に、「創造的な活動を通じて、最小のコストで最大の満足や価値を提供しよう」とする、いわば「行政経営」の発想が芽生えはじめてきているのです。 住民と直接的に接する場である市町村でこそ、柔軟な経営改革が実践できます。そして、その経験は、あらゆるレベルでの行政の経営改革にとって様々な示唆となるものです。市町村には「変化の担い手」としての役割が期待されているのです。
2.真の経営改革とは
予算と、人員と部局を削るばかりが改革ではありません。改革の結果として求められるのは、住民の満足度とバリュー・フォー・マネーが高まることです。 「支払いに対する見返り(バリュー)」が大きいほど満足度は高くなり、満足度が高ければ喜んでお金や労力を提供することになる。こういった環境づくりこそが経営改革の基本であり、それに不可欠なのは、サービスの質を競う競争原理です。予算がなくとも知恵を使うことで経営改革は進められます。改革の手段として、時には、隣の自治体の効率的なサービスを買うことや、NPOやボランティアと手を組むことも考えられます。
経営は「顧客の反応」から多くのことを学びます。住民から健全な反応を得られるよう、情報共有を進めて、積極的にコミュニケーションを図る環境を作ることも重要となってきます。 プロの公務員が誇りを持って仕事ができる環境づくりも重要です。公務員が仕事に対して不安や不満を抱いているようでは、良質な住民サービスは期待できません。公務員によるひたむきな改善努力には、惜しまず賞賛を送るべきです。
3.いかに変革するか
行革の原点は、現場レベルの行動改革や、一人ひとりの自助努力であり、それがあってはじめて、民間経営の手法や行政評価が活きてきます。 改革手法は、絶対的なものが一つあるわけではなく、多種多様に存在します。民間企業に、海外に、そして国内の先行事例に広く範を求めていきましょう。その際に避けるべきは、手法の調査・研究に税金と時間を無為に使い、行政内部の内輪だけでの試行錯誤をすることです。外部にノウハウをもとめた上で、まず行動ありきです。経験から学び、考えることから、真に必要な手法も浮かび上がってきます。実践の中で初めて改革のスキルも育ちます。最初から100点満点を目指さない、ということを、勇気を持って宣言しましょう。地道な努力を重ね、5年後、10年後を目標に、成果を出すべくチャレンジしていきましょう。
4.誰が、改革の担い手か
行政改革は、行革当局だけの仕事ではありません。経営者である首長、住民、議会、公務員の共同作業です。 行政サービスは、行政だけのノウハウと人手によって経営できるほど容易いものではありません。経営の改革には、顧客からの叱責やアドバイスが不可欠です。また、「満足度」や「バリュー・フォー・マネー」を高める経営には、民間企業の経験から学ぶことが多くあります。行政改革は、民間企業やNPO、会計士、大学、コンサルタント、シンクタンクなどの行政外部との「共創」によって初めて推進できるものなのです。 また、その進捗を、正当に評価し紹介できるマスコミの存在も、改革の担い手として不可欠な存在といえます。
5.いつまでに、何をやるべきか
私たちは、3年以内に、全国の市町村にこういった「行政経営」の考え方を浸透させたいと考えています。さらに、実態が大きく変わるまでには、おそらく10年はかかるでしょう。まずは、全国の市町村の間で、先行事例を積極的に紹介しあい、お互いが切磋琢磨できる環境づくりです。「行政経営フォーラム」は、そのきっかけとなることを目指して、これから2年間、活動を進めていく所存です。
1999年5月14日 兵庫県尼崎市にて採択
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登録日:2008年 03月 25日 14:38:09
● インテグリティについて
個人と組織のインテグリティ――「官から民へ」を支える規範
行政サービスの担い手が官から民に移りつつある。公務員が独占してきた仕事も一般市民が分担し始めた。「裁判員制度」が好例だ。福祉施設、学校、ミュージアムなどのボランティアも増えた。市民も一片の「公務」を担う時代になりそうだ。国民が公務を担う現象は実は珍しくない。典型は徴兵制である。女性や子供も軍需工場に徴用された。徴用は城や道路の建設などで古来行われてきた。福祉もそうだ。福祉はかつて家族や近隣社会の義務だった。今は政府が担うがかつては国民が分担した公務である(もっとも昔はあまりに当然のことであえて“公務”とすら意識されなかったが)。
・福祉徴用の時代
これからの行政の中心課題は福祉、介護、医療などの人的サービス分野だ。きめ細かいサービスの提供には手間と費用がかかる。しかも受益者がうるさい有権者である。手抜きはできないが財源とマンパワーには限界がある。特に医療は厄介だ。医療とは不思議なもので医療水準が向上すればするほど病人が
増える。検査で早期発見される。その上、弱い遺伝子を抱えた人たちが生き延びる。世代を重ねるごとに人類は病弱になるという説もあるほどだ。とにかく手間とお金のかかる病人が増えていく。かつて人は年をとると病気を抱え、寝たきりになりほどなく死んでいった。しかし医療が充実すると深刻な病気を抱え寝たきりで長生きする老人が増える。長生きは個人と親族にとってはうれしいことだがマクロの行政コストという意味ではバッドニュースである。施設に加え膨大な数のケア要員が必要になる。財政状況に照らすとそのコストが税金でまかなえるかどうか疑わしい。保険もあてにならない。保険とは一部の人だけが事故にあって救済するから成り立
つ。全員が受給者になると破綻する。今後、大多数が寝たきりで長生きするようになれば介護保険も老人医療保険も破綻するだろう。だとすれば金銭を介さないマンパワーの調達方法が必要になる。つまり「福祉徴
用」である。医療は別だが福祉や介護の分野では、かつての徴兵制のように週に一定時間、手伝うことが義務化されるのではないか。そもそも21世紀は“兼業”の時代である。会社員でも主婦でも専業雇用が消えつつある。転職、パート、アルバイトも多い。学生も専門学校に通うし(ダブルスクール)、公務員も地域でNPO活動に参加する。こうした流れともあいまって誰しもが何らかの公務を担う時代になるだろう。
■新たな公私のけじめ=首尾一貫性(インテグリティ)
だが個人のなかで官民が融合する時代になると、今までとは違った意味で公私のけじめが大切になる。市民にも公務員にも英米でいう「首尾一貫性(integrity:イン
テグリティ)」が問われるだろう。これは「一見脈絡のない活動をしていても、一定
の原理原則に則っていて特に公私混同などのやましいところがない状態」を示す。特に変革期に重要な概念だ。例えば変革リーダーは従来の枠組みを超え、あるいは壊して動く。その行為はしばしば「私利私欲」「公私混同」と批判される。例えば首長が民間委託や民営化を決めたとする。それを指して住民や議員から特定企業に市民の財産を売り渡す行為だと批判されることがある。これを恐れては何もできない。だが実際に特定企業との癒着や不正が起きることもある。官も民も関係者は常に身を潔白にしておかねばらない。「首尾一貫性」を示すには情報公開が一番だ。
成熟社会というのは落ち着いた社会のようでいて、実はきわめて不安定な社会だ。
右肩上がりの時代と違って課題の多くは未知の問題である。解く上で何らかのイノベーションが必要となる。その多くは何らかの形で民の力を借りるということである。
ところがこうしたイノベーションの意義は保守的な人々には理解できない。不正、癒
着、私益追及と誤解されることもある。だから組織と個人の信用、そして首尾一貫性
が求められるのである。ちなみに「官から民へ」の行き着く先は民主導の社会だがそれは人と組織への信頼感の上に成り立つ社会である。そこでは権威やルールは法律や官僚組織に由来しない。民が担う公共とは民相互の信頼感の上に成立し、その根っこには組織と個人のレベルでの首尾一貫性が必要なのだ。
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登録日:2008年 03月 10日 12:01:26
● 公務員の専門性への疑問
内閣人事庁の構想など公務員改革の案がまたでてきた。これからの「公務員」について元公務員のわたしの考え方を紹介したい。
わが国では一般に公務員は優秀だと見なされてきた。歴史的経緯を見ると、明治政府は全国から選り抜きの人材を、東京大学を筆頭とする一流大学に集めた。エリート教育を施し、卒業後も恵まれた地位を保証して(キャリア官僚制度など)、官庁に配置した。かくして能力も意欲も高い人たちが国家を背負って仕事をする体制ができた。高度成長期までこの仕組みはある程度は有効に機能した。
だが最近は必ずしもそうではない。優秀な人材の多くが外資系企業やベンチャー、医師や弁護士などを目指す。また官庁に入った後の能力開発の限界も見えてきた。能力開発の限界の原因の一つは、頻繁な人事異動だ。技術職や現場職員は別として、一般事務職の場合、二、三年で様々な職場をまわる。動物園を担当していた人が福祉に移ったかと思うと、二、三年後には教育委員会で小学校の統廃合をやったりする。こうした頻繁な人事異動は、特定の業者や利害関係者との癒着を防ぐには有効だ。ゼネラリストとしての経験を積むためにも優れた制度とされてきた。
だが、最近はゼネラリストとしての強味よりも専門性の不足からくる弊害の方が大きい。結果として、公務員集団、そして官庁組織は素人集団になりつつある。ところが多様かつ複雑な現代社会の問題はゼネラリストとして培った汎用性のある判断力や問題解決能力だけでは解けなくなっている。
公務員に専門性が育たないもう一つの大きな理由は、競争環境に置かれないことである。もちろん、省庁内での出世競争はある。だが企業のような組織を挙げての業界他社との競争はない。企業人の場合、専門性を持った職業であればあるほど、個人の能力を切磋琢磨するキャリアパスが用意される。例えば金融にしろ、法律にしろ、専門家の多くは複数の職場を渡り歩く。あるいは複数の職業を経験した後に専門職につく。組織の枠を超えたキャリアパス作りのルートがある。
ところが公務員の場合、いろいろな部門をまわるとはいっても、所詮、同一組織の中だけだ。出向を通じた他流試合にしても所詮は、身分保証された上でのことである。ともすれば井の中のかわずになってしまい、庁内で積んだ経験程度では企業の競争社会でキャリアを重ねた人たちに太刀打ちできない。
・公務員の専門の虚構
さらに、よく考えてみれば、「公務員の専門性」という想定自体がフィクションに過ぎない。ある日突然、人事異動で来た人が、たとえば「○○省○○企画課専門官」といった肩書きで仕事を始める。一定の能力を持った人物だし、仕事はマニュアル化されている。だから一応の仕事はできる。だが、はたして本当に質の高い仕事をしているのか疑問がある。今までまったくよその部署にいた人が、突然その分野の専門家として仕事をしているのである。
マックス・ウェーバー以来の官僚制の考え方では、官僚制において仕事をしているのは官僚組織あるいは官職であって個人ではない、とされる。仕事には個人裁量が介在する余地はない。また、すべての公務員は同一規格の能力を持っていて、担当官によって仕事の品質の違いはないとされてきた。そのことで政府の正統性が担保され、ひいては法の下の平等が実現されるとされてきた。ところが、現実はそうではない。もともと官僚制に内在していた矛盾が近年の業務の高度化、複雑化によって次第に露呈しつつある。
さらに言えば、公務員を採用するよりどころとされてきた公務員試験の存在基盤も疑わしくなってくる。憲法や財政学といった試験科目については精通しているに越したことはない。だが、それを勉強してきたから市民にとって役に立つ判断がきっちりできるという保証はない。むしろ、学生時代に老人介護のボランティアをした、中古車のセールスをした、といった人たちの方が市民の苦労がよくわかる。また、実務で必要とされる憲法や財政学の知識は、必ずしも大学時代に学ぶ必要がない。就職後に習得しても良いはずだ。一九世紀以来の官僚制度、そして官僚の専門性という前提そのものが、もはや時代遅れになりつつある。
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登録日:2008年 02月 02日 00:40:53
●改革の偽装ーーキャリア制度廃止問題
以下は読売新聞。「キャリア制度廃止」の見出しを見ておやっと思ったが、記事を読む限り、この懇談会の提言は、改革でもなんでもない。単に1種、2種を総合職、一般職に言い換えるだけではないか。ノンキャリアからの幹部登用の道は今の制度でも出来るし実例もある。看板をつけかえるだけで改革は進まない。これは改革の偽装ではないか?キャリア制度の見直しは早期退職、天下り、公益法人の見直しとセットでなければ実現できない。看板の付け替えで公務員制度改革の幕引きを狙う守旧派?の偽装工作ではないか?廃止というなら本当に廃止しなければならない。本当の問題は現在のキャリアの処遇ではないか。思い切った激変緩和措置、移行措置を与えて制度はこの際、全面廃止するなら本当に廃止するべきだ。
以下は記事
ーーーー。
国家公務員の「キャリア制度」廃止、首相懇談会が提言方針
福田首相の私的懇談会「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」(座長=岡村正・東芝会長)は23日、国家公務員1種採用試験に合格した入省者がほぼ自動的に幹部に昇進する「キャリア制度」の廃止を提言する方針を固めた。具体的には、〈1〉現行の1種、2種採用試験を廃止し、新たな採用・昇進の仕組みとして「総合職」(企画職)採用試験と「一般職」(執行職)採用試験を導入〈2〉一般職採用者にも幹部登用への道を開く「幹部候補育成課程」を創設――の2点が柱となっている。現行のキャリア制度は、1種採用の「キャリア官僚」が、入省時から幹部候補生として育成される。2種、3種採用の職員が幹部に登用される例や、キャリアが幹部コースから外れる例が少ないため、人事が硬直的になり、職員の能力・実績が昇進に反映されていないとの批判がある。例えば、2005年度時点で見ると、本省課長以上の幹部職員計4778人のうち3536人(74・0%)を1種採用者が占めている。審議官級以上の「指定職」に限れば、887人のうち783人(88・3%)が1種採用者だ。今回明らかになった提言内容には、こうした人事制度が省庁の活力を奪っているとする批判にこたえ、現行の2種を含む「一般職」の職員でも幹部職員になれるようにする狙いがある。幹部候補課程に入っても育成効果が出ない職員は課程の対象から外すとし、能力・実績主義の徹底も打ち出した。懇談会では、この提言内容を2008年1月にまとめる報告書に盛り込むことにしている(2007年11月24日3時2分 読売新聞)
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登録日:2007年 11月 24日 06:56:22
- プロフィール
- 上山信一
- (男)
- http://www.pm-forum.org/ueyama/
- 慶應義塾大学総合政策学部教授、改革コンサルタント。専門は大企業・行政・NPO等の経営刷新。近年は地域再生も手がける。大学では「経営戦略」「公共政策」等を教える。旧運輸省、マッキンゼー共同経営者等を経て現職。大阪市生まれ。50歳。中央省庁・自治体の各種委員、企業顧問等を兼務。京大法、米プリンストン大修士。趣味は登山、鉄道、料理。メール:ueyama@pm-forum.org
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