戦後世代

原爆の日、インドでも平和の祈り

【8月6日 AFP】63回目を迎えた広島原爆の日の6日、インドのグジャラート(Gujarat)州アーメダバード(Ahmedabad)の学校でも、生徒たちが平和の祈りをささげた。

AFPBB News


珍しく、ここで少し、私的体験をだらだらと。

先日、なぜか
インドネシア人(インド人にあらず)の環境(エコ)企業の人たちに、
雑談で、大阪空襲の説明を、少し、した。

自分は語学力がかな~り怪しいので、
同席していたNGO職員(関東人)がかいつまんで訳してくれたんだが、
話しながら、彼らは
「それはアトミック・ボンブか?」などと、意外な興味を持ってくれた。
相応の教養のある人たちだから、
ヒロシマ・ナガサキのことは知ってくれていたようだが、
大阪もまた空襲で酷くやられたのだということは知らなかったようだ。

と、いうか、自分も、大阪に越してくるまでそれを想像することはなかった。

関東人として生まれ育ってきたので
流石に東京の大空襲の話はさんざ聞いたりしたが、
大阪でも同じように空爆があったということは、
実際に大阪で友だちができるまで気に留めることすらなかった。

ましてや、それが終戦前日の1945年の8月14日にも為されていた、とは。

大阪の猫つながりの友だちで
戦前生まれの方が1人いるのだが、
その方が実は、学徒動員のローテーションの関係で
たまたまこの日の空爆を逃れることができた、という話をしてくださった。

はっきりとは言わなかったが、
ご自身が、実はとても大きな偶然によってき生き延びたということが、
そのお話から理解できた。
そして、きっと多くの学友を亡くされたのであろう、とも。

翌日に、ニホンが白旗を揚げるということを、
アメリカ合州国は知っていた、はずなのに。

今、その地は、とても綺麗なオフィスビルが立ち並んでいる。


インドネシア人たちとは、この話はえらく中途半端に終わった。
(単に、これは雑談でしかなかったのだ)
が、何より、その場に居た全員が戦後生まれだったということが
大きかったのかもしれない。


その一方で、
「インドネシアではどうだったのか」という問いかけを
自分が全く思いつかなかったことを、
今この出来事を思い返して、恥じ、後悔している。

その地はまた、過去にニホンが進軍した土地でもあったのだから。

そこでもし、一言でも、相手の国で「何があったか」を聴くことができれば、
また違った角度から、「あの戦争」が見えてきただろうに。


「あの戦争」で死んだ、多くの人の死を無駄にしないために
出来ることは何か、思いながら。

.

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登録日:2008年 08月 14日 00:45:19

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