From NY - スタジオ ミュージシャン、マイケル・ブレッカーとの思いでの話。

テナーサックス奏者マイケル・ブレッカー死去 - 米国

【ニューヨーク/米国 16日 AFP】11ものグラミー賞に輝いた人気テナーサックス奏者マイケル・ブレッカー(Michael Brecker)が13日、ニューヨーク市内の病院で白血病のため57歳で亡くなった。
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(c)AFP/Vanina LUCCHESI

AFPBB News


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先日、白血病で,有名なスタジオ ミュージシャンの
マイケルブレッカーが亡くなってしまった。


マイケルはテナー サックス奏者として、スタジオ ミュージシャン の
中で、トップ クラスの人で、彼と兄のランディ ブレッカーは
ブレッカー ブラアーズ、Brecker Brothers としても
活躍していたことがあり、業界では有名な人だった。

私がニューヨークに住み着く前だが、東京に住んでいて、
当時 NY 在中のジャズ ギターリスト増尾好昭さんの
マネジャーをしていた。 彼は、日本のレコード会社と
契約していたので、アルバムのレコーディングやライブなどで、
私もニューヨークー東京と頻繁に行き交い、そのため、
ニューヨークのジャズクラブに頻繁に出入りしたり、
色々なスタジオ ミュージシャン達とも、出会ったのだ。

丁度その頃、マイケル ブレッカーにもNY で出会った。

当時、彼と兄のランディ ブレッカーは、ダウンタウン、
ウエスト ビジレッジに流れる、セブンス アベニュー(7番街)
とカーマイン ストリートの一角の ビルを改造して、
ユニークなジャズクラブを経営していたのだ。
一階はバーで、2階は丁度100人ぐらいが座って、
軽い食事もできて、ライブ演奏が聴けるヒップな場所で、
店の名前は、セブンス アヴェニュー サウス。

そのジャズクラブには、連日テレビや音楽の関係者、
そして、色々なミュージシャン達が溜まる事が多かった。 

スタッフのベースのゴードン エドワーズ、
セッション ドラマーとして有名な、スティーブ ガッド、
サックスのデビッド サンボーン、ベースの ウイル リー
ステップ ア ヘッドの、メイク マニエリ、ギターのエディ ゴメス、
などが、常連で良く遊びに来ていた。

サタデー ナイト ライブで、有名になった、コメディアンの
ジョン ベルーシは、近くにアパートを持っていたので、
ダン アクロイドと一緒に来る事が多かった。

増尾さんも、その店で何度もライブをブッキング
させてもらった。
ある晩 たまたま店に寄ったマイケルと
そこで会ったのが最初だった。
増尾さんのバンドのライブが終わって、

一階のバーで、ビールを飲みながら、座っていたら、
マイケルが話しかけてきた。


当時の私の英語はたいした事がなかったので、
最初は何を言っているか良く分からなかったが、
私に彼のマネジャーかと聞いてきたので、
そうだと答えると、
増尾さんの演奏が良かったと言ってくれた。

マイケルは、見た目は、やせ形で、背が高く、
インテリ系の天才肌。


以前私が持っていたイメージは、神経質な感じの印象で、
話しにくい、苦手な感じに見えた。 だが、実際に話し始めると
やさしく、ゆっくりとした、口調で語ってくれた。
それから彼とは良く店で会い、色々話すようになった。

しばらくした後、私がジャズのアルバムを プロデュースしていた
時、いくつかの曲で、どうしてもホーンの音が欲しかった。


当時、数々のNYのジャズセッションミュージシャンの中でも
ブレッカー ブラザーズはトップクラス。 
レコーディング セッションの選択も厳しく、ブッキングも
難しいという評判だった。 それで、マイケルに直接たのんで、
特別に、レコーディングセッションに参加してもらった事がある。

グリニッチ ビレッジのエレクトリック レディランドと呼ばれる
スタジオでアルバムを制作しているとき、夜中の2時すぎに
マイケルとランデイに来てもらって、ホーンのオーバー ダビング
をした事がある、 ちなみに、オーバー ダビングとは、
ベーシックなレコーディングの後に、余っているトラックに
別の楽器の音をスタジオでかぶせていく作業。

彼らは、丁度その時アメリカの3代ネットワークのひとつ、
NBC の、有名な土曜日の番組、サタディ ナイト ライブ
に出演していて、その収録後にスタジオに来てくれた。

その夜のサタディ ナイト ライブにゲストで出ていた
ジヤコ パストリアス (当時天才ベースと呼ばれた人,
当時ジヤコが付き合っていた、フォーク シンガーの
ジョニミッチエルなどもマイケル達と、スタジオに
遊びに来てくれた。

私は、突然の訪問者達に緊張させられたが、
スタジオでのレコーディングセッションは
スムーズにいった。
 

ブレッカー ブラザーズは噂通り素晴らしい演奏をしてくれて、
たった、二度のテークでOK。 貴重な経験をさせてくれて、
良い思い出となった。

そして、それからのマイケルはグラミー賞を何度も受ける
トップクラスのミュージシャンとなっていったのだ。


彼は、しばらく前から 白血病と戦っていたのだが、、
また、本当に惜しい人を亡くしてしまったようだ。

REST IN PEACE MICHAEL !!

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登録日:2007年 01月 22日 13:16:31

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マイケル・ブレッカーの死

撮影地:NY CANON IXY DIGITAL 900 IS 1/8 f:2.8 ISO:AUTO 1月13日にテナー・サックス奏者マイケル・ブレッカーが亡くなりました。57歳。 ニューヨークに行く前だったか、行ってる間だったか、そんな話をちらっと聞いたのですが、それは事実でした。 今もまだあるのかどうかはわからないけど、ブレッカーといえばニューヨークのジャズ・クラブ「7th Avenue South」のオーナーで、今回「時間があれば行きたいなあ」などと思ったぐらいだし、マンハッタンを歩いていて自然と「7th Avenue」という標識に目が行くのは、これがブレッカーを連想させるからに他なりません。 20世紀の偉大なミュージシャンがまたひとり、いなくなりました。 ご冥福をお祈りします。 今日は静かにドナルド・フェイゲンの「マキシン」での彼のテナー・ソロか、はたまたステップスの六本木ピットインでのライブ「スモーキン・イン・ザ・ピット」から「ノット・エチオピア」のハードなブローでも聴きましょうか。

date:2007年 01月 27日 16:54:41

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プロフィール
YUKI WATANABE
YUKI WATANABE
(男)
大学時代から ピンク・レディー、キャンディーズ、松任谷由美のコンサート、イベント等を企画、制作、同時に海外の音楽制作や、音楽出版を手がける。

80年代に、アメリカに移住。ニューヨークのアートや音楽シーンに加わり日米の交流を図る。以来、ダンステリア、マーズ、パラディアムなど、数々のダンスクラブをプロデュース。色々なジャンルでアーティストマネージメントも手がける。

現在、TVやラジオの番組、映画の製作、エンターテイメント関連のイベントのプロデュース、プロモーションのコンサルティング等担当。
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