From NY - 49 回目のグラミー賞ーデキシー チックスが5タイトル獲得、ポリースが再結成

<第49回グラミー賞>ディクシー・チックスが主要3部門を独占受賞 - 米国

【ロサンゼルス/米国 12日 AFP】11日、ロサンゼルスで開催された第49回グラミー賞(The 49th Annual Grammy Awards)授賞式は、女性3人組カントリーバンドのディクシー・チックス(Dixie Chicks)の独壇場となった。
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(c)AFP/Getty Images Frazer Harrison

AFPBB News


画像

49回目のグラミー賞の受賞式が、先日11日の夜、
ロス エンジェルスのコンベンション センターで開かれた。  

結果は、デキシー チックスが14年前のエリック クラプトン以来
のトップの3つを含めての5の賞を獲得する快挙を成し遂げた。 
カントリー音楽で女性バンドというのもグラミー史上始めての
出来事らしい。

思えば、3年前にブッシュ大統領の指揮したイラク戦争を非難して、
カントリー系のラジオ局から全面的にボイコットされたり、
保守派からの嫌がらせが続いたが、彼女達は負けなかった。
当時はラジオ居の妨害が続きヒット チャートの20位にも
入れない状態にまでなっていたが、その頃、カントリーから
アダルト コンテンポラリーのポップ路線に幅を広げ始めて、
どんどん新しいファンを増やしていったのだ。
しかし、彼女達の女性パワーは本当凄い!

今年のグラミーでは、メリー J ブライジ が昨年のマライア キャリーと
同じく、8部門でのノミネートされて、R&B系の3つの賞を獲得したし、
バンド結成以来24年になる、(もう、そんなになるのか!)
レッチリも堂々とロック アルバムの賞を受け取った。

同じく、ニューヨークでは、グラミーの協会の
メンバーの為のディナー パーティが、開かれていた。
LAのグラミー式典をニューヨークに同時中継して
皆でディナーを楽しみながら、大画面で観覧
特別ゲストの、ボニー レイットなどのステージを見る
という、業界関係者だけの特別企画の催しなのだ。
私も知り合いの関係者から、このディナー イベントに
招待されていたのだが、どうしても都合がつかず断念、、、、。

今回のグラミー授賞式での事前で、大きく話題になったのが、
ポリースの再結成の話だった。 これから新しいアルバムを
リリースしてツアーをやるようだ。 この日は、グラミーの
式典のオープニング早々 ポリースの3人がステージにたって、
デビュー ヒット曲のロクサーンを歌ったのだ。 
ポリースのパフォーマンスは久しぶりに見たが、
昔の様に力強く素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
年は取った感じだったが、相変わらずのパワーは失っていなかった。

私が彼らに最初あったのは、丁度70年代の終わりで、
イギリスからヨーロッパで話題になり始めた頃だった。
彼らが、アメリカのA &M レコードと契約する事になって、
ニューヨークにやってきたとき、私も仕事で、ニューヨーク
に来ていて、知り合いの弁護士のオフィースで紹介された。 

当時のマメネジャーのマイルス コープランドから、会うなり
いきなり、素晴らしいバンドだと早口に説明され、
シングル盤の、ロクサーンをもらって、一緒に来ていた
ポリースのメンバーを紹介された。 ポリースは始めてだったが
以前、アニマルズと言うバンドにいたギターのアンディ サマーズは、
ツアーで日本に来たことがあったので、名前を知っていた。
他の二人は無口で、特別なインパクトは感じなくて
最初の印象は薄かった。


そのあと、何ヶ月かして仕事でヨーロッパへ行ったときだが、
たまたま、寄ったオランダで呼ばれてライブを見たが、
これが本当に凄くて始めて見て興奮。ぶっとんだ!!

ボーカルのスティングの高い声が、バンドの絶妙な演奏に
とけ込んで、独特のリズムと不思議な音階がステージ一杯に
暴れ回っていた感じだった。ステージを見て直感、
”これは、絶対売れる”と感じて彼らから
目が離せなかった。

4人目のポリースと呼ばれたのがマイルスコープランド。
彼がマネジャーで、ドラムのステュワートとは兄弟、
そしてアメリカ生まれのもう一人の異母兄弟
イアン コープランドがいて、彼は、南部のアトランタで
アーティストのブッキング エージェントをやっていた。

彼らは3人兄弟の関係で、一人がバンドマスター
そして、2人がポリースのビジネスの裏方をやっていて
ポリースの成功の裏には、鉄腕マネジャーと呼ばれた
マイルスの巧妙な策略があったとも言われている。


その後私は、アメリカの南部にいたイアンと良く連絡を
取るようになっていった。彼のまじめな気性が好きだった。
79年のライブを見た後、イアンがワールド ツアー
を計画していて、ある日彼から連絡が来て、
日本にも立ち寄りたいと言う事で、プロモーターや
ツアーに関する相談を受けた。

私は知っていた東京のプロモーターをいくつか教えた。
それから、イアンは日本の会社と連絡を取り合い、
ワールド ツアーで立寄る為の日程など、色々な
準備を進めていたのだが、、、日程もほどんと決まり
さて契約という一歩手前で、突然 マイルスが出てきて
別の日本の会社と契約しまったようだ。
まるで鳶に油揚と言う話だ。

後から聞いた話だが、マイルスは密かに、彼の別ルートで、
大手プロモーターとポリースのツアーを詰めていたようで、
良い条件の確保のために、兄弟のイアンを動かせ
当て馬に使ったようだった。

私はこれを聞いて唖然としたが、イアンはもっと驚いたらしい。
マイルス達の親父はFBIの秘密エージェントだったらしいので
人を使った駆け引きが大変うまかったのだろう。
ただ年下のイアンは兄には何も言えなかったらしい、
私も思わずマイルスに脱帽した。


そして、その後ポリースはアメリカでも大きくなっていった。
81年にの秋には、アリーナ中心とした全米ツアーで戻ってきた。
ニューヨークはマジソン スクエアー ガーデンで、売り切れ満員。
私も招待されて見に行ったが、前に見たときよりも
彼らのステージはさらに完成された感じで素晴らしかった。
まだまだ旬が続く感じに見えた。

アフター コンサートのパーティがトライベッカのオデオンで開かれ
プレスや関係者で通路もテーブルもごった返し、イアンにも
久しぶりに会った、おとなしくテーブルを囲んで、
でスティングやアンディと座っていた。 
マイルスは相変わらず忙しく人をかき分けて
渡り歩いていたようだ。
そして、その後もポリースの動きはとまらず、
どんどん加速を付けて世界的に有名なバンドに
成長していったのだが、、、、。

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登録日:2007年 02月 14日 15:12:08

コメント

こんにちわ 昨年このブログを拝見しました 本当にも面白いブログですね またこのブログに私がトラックバックをしたさい、私のパソコンで数十回クリックをした為
大変ご迷惑をおかけしたようで 凄いたくさんトラックバックがあってどうやって
消していただいだら良いかと思いコメント入れさせていただきました・私のコメント削除可能でしょうか?

内田 佳奈子 @ 2007年 09月 10日 00:59:39

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プロフィール
YUKI WATANABE
YUKI WATANABE
(男)
大学時代から ピンク・レディー、キャンディーズ、松任谷由美のコンサート、イベント等を企画、制作、同時に海外の音楽制作や、音楽出版を手がける。

80年代に、アメリカに移住。ニューヨークのアートや音楽シーンに加わり日米の交流を図る。以来、ダンステリア、マーズ、パラディアムなど、数々のダンスクラブをプロデュース。色々なジャンルでアーティストマネージメントも手がける。

現在、TVやラジオの番組、映画の製作、エンターテイメント関連のイベントのプロデュース、プロモーションのコンサルティング等担当。
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